ラストスパート!
そう、
「ラストスパートォォォオオオオッ!」
と、叫びながら、妻は小説を書いていた。
「ブクマ3件上等じゃい!評価がなんぼのもんじゃい!こっちゃ二度目の人生賭けてるんじゃ!人生は五十過ぎてから始まるんじゃわい!」
鬼気迫る表情であった。
愛犬の紋次郎が生きていたなら、「キャゥゥン」と、尻尾をお尻に挟んだことだろう。
紋次郎は、可愛いもっふもふのシェットランド・シープドッグだったが、もう五年ほど前に亡くなっている。
スススススススススス
ぽちぽちぽちぽちぽち
と、恐ろしい表情で、スマホを操作していた、妻であったが、やがて、
「ふぃーっ」
と息を吐き、
「本日分の更新完了よん♪るんっ♪」
と、ギャップも凄まじく、のたまったのであった。
わたしは、おそるおそる氷とアイスティーの入ったグラスを妻に差し出しながら、
「……今日は、ずいぶんと筆がのってたみたいだったね……」
と、妻の顔色を伺った。
妻は、アイスティーをがぶりと飲んで、
「筆がのるものらないもないわん。はかどらなくても、はかどらせなきゃいけない時もあるるん♪」
「えっと……つまりは……無理してがんばったんだね!!」
「そうなのよ!」
妻は、座卓に、ダンっと、グラスを置いて、叫んだ。
「もう、ナントカ賞の締め切りまで、日にちがないのよ!それまでに10万字の壁を突破しないといけないのよ〜〜〜!」
ぶっちゃけて、リアルで、赤裸々な妻であった…。
「…今、何文字くらいなんだい?」
と、わたしは優しく訊ねた。
「約、85000字くらい?……かな?あと五日、一日3000字書かなきゃ、間に合わないのよぅ!!」
「たしか、一週間くらい前に、70000字未満だとか言ってたじゃないか、ずいぶん文字数稼いだじゃないか!」
「ふっふっふっ。そこはそれ、私、自分で言うのもなんだけど、めっちゃがんばったわ!!」
したり顔で、言った後、
「でも、リアルに、切実に、あと五日で15000字書かないと、すべての努力が水泡に帰すのよ!すべてが水の泡なのよっ!!」
「まあまあ、10万字超えたって、賞を取れるとは限らないんだしーー」
わたしは、ハッと、口を押さえた。
「……あなた、いま、なんつった……?」
ユラリと妻が立ち上がる。
「いやあのそのだ……もしかしたら、そんな可能性もなくはないかなと……」
「そんな可能性未来、ないわよ」
妻が、ものすごいめつきでわたしを睨みつける。
「……あなた、私のこと、信じてるって言いながら、本当は、信じてなんか、なかったのね……あなたがそういう人だなんて、知らなかった……」
次の瞬間、殴られる?蹴られる?打たれる?!と、身構えたわたしであったが、妻はなんとーーボロボロと涙を流し始めたじゃないか!!
「あにゃた……私の、こと、信じて、くれて、なかったなんて、じと、じとい、しどい、ひどいわぁぁあああ!!」
妻は、わんわん泣きじゃくりながら、他にも聞き取り不明な言葉を呟いていたが、わたしも立ち上がって、
「そんなこと、ないよ。いまのは、言葉のアヤだよ、おまえのことは信じてるし、おまえの小説も、面白いよ!!」
オロオロする、わたしであった。
それでも、妻は泣きやまなかった。
わたしは、えいっとばかりに、座卓を回り込み、妻の身体を抱きしめた。
「えぐっ!ふぐっ!あなたのバカぁ!!」
わたしの背中をボコボコ叩く妻を、わたしはさらに強く抱きしめた。
「すまなかった。心にもないことを言ってしまった。ごめんよ、ごめんよ……」
妻はそれでも泣きじゃくっていたが、やがてーー
「手、離して。鼻、かむ……」
そう言って、身体から、力を抜いた。
「うんうん、鼻水いっぱい出ちゃったねぇ」
かくいう、わたしの肩のあたりは、妻の涙と鼻水でべちょべちょである。
「わたしが、悪かったねぇ、さぁ、座って。鼻をかんで、水分補給しようねぇ」
妻は、差し出されたティッシュで、ズビバーと鼻をかみ、わたしが注ぎ直したアイスティーを、コクコク飲んだ。
「……あなたが、悪いんだがら……」
すべてに濁音がつきそうな発音で、妻は呟いた。
「うん、そうだね、わたしが悪かったねぇ。夫が、妻を、信じなくて、どうする!わたしが、いけなかった」
わたしは、ヨシヨシと、妻の頭を撫でた。
「ぞうよ…あなだが、いげないんだがら……」
「うんうん、悪かったよ、ごめんよ……」
ひとしきり、妻は鼻をすんすん言わせていたが、やがて、落ち着いた。
「おわびに、今夜は回るお寿司でも、食べに行こうか、わたしのお小遣いで…」
妻は、フルフル首を横に振った。
「こんな顔じゃ、出かけられない……。明日……回らないお寿司屋さん、連れてって……」
ガビーンと、わたしはショックを受けたが、
「……わかったよ。明日、久しぶりに、回らないお寿司屋さんに行こう!」
と、あえて、元気よく言ったのであった。
妻は、また一回鼻をかんたあと、
「ウソよ、回るお寿司屋さんでいいわ。でも、明日ね……」
と、可愛らしく言ったので、あった。
そこにはーーわたしたちの間には、たしかに、愛という感情があったと思ったわたしであった。




