もったいないオバケ
「えんやらやっと!」
和室の座卓の上に、向かい合って座っている妻が、コトリとスマホを置いたのがわかった。
「おーわーりー!今日の『俺のカノジョに血と薔薇を』の、更新準備、終わり!今日も私はやり遂げたわ!るん♪」
るん♪
と、両頬のわきに両拳を当て、妻は嬉しそうに言うのであった。
「褒めて褒めて!」
「偉い偉い!」
お互い齢五十を超え、結婚生活も三十年になるが、わたしたちは仲良し夫婦なのだった。
そして、いま妻は、リアル2度目の人生を目指して、「小説家になろう」に執筆作を投稿している真っ最中だ。
「更新は何時だい?」
「やだもうあなたったら!更新は毎日同じ19時よ!」
毎日同じと言われても、妻が長らく三ヶ月半も休載していた連載小説を、再開してから、まだ三日目だ。
温かい目でで見守ろう。
「……そうだったね。疲れたろう、お茶でも入れようか?」
「もう夕方だけど、あえてイングリッシュブレイクファーストで頼むわ!」
我が家でお茶と言えば紅茶のことだ。
「実は、ラズベリーのスコーンも用意してあるんだ!」
「やった!スコーン、好き!やったぜ、明日はホームランだ!スコーンはお菓子のホームラン王だね!」
若年層には通じない、ふる〜いコマーシャルのパロディを織り交ぜつつ、両手を万歳して、妻は喜んだ。
「それにしても……昔は原稿用紙に万年筆でマス目を埋めて行ったものだけど、今はスマホやタブレットで楽々小説が書けちゃうんだもんね……お手軽な時代よね……」
スコーンをかじりながら、妻は呟いた。
「お手軽と言っても、創作活動だから、頭は使うだろう。フル回転した脳には、やっぱり甘い物だ」
「……最近、糖尿の数値が気になるんだけど……」
「ふだん節制してるんだし、たまのおやつくらい、大丈夫だよ」
「そうね……でも、夕食は白米少な目にしないとね」
わたしも妻も、血糖値とコレステロール値の気になるお年頃なのである。
「しかしまあ、スマホで小説の書ける一番の利点は、辞書を引かずにすむことだわよね」
「辞書……めったに使わなくなったなぁ」
「ググッたほうが早いものね。Wikipediaなんか、すぐ出てくるし」
二個目のスコーンに手を伸ばしつつ、妻は続けた。
「それにしても、アクセス数が伸びないわぁ〜」
「まぁまぁ。まだ連載再開して、まだ三日目なんだし…」
かじりかけのスコーンをじっと見つめながら、妻は、
「…もったいないオバケが出るわ」
と、ため息まじりに呟いた。
「もったいないオバケ?」
「ご飯を残すと『もったいない〜もったいない〜』って、出てくるオバケ。昔よく、『もったいないオバケが出るぞ!』って怒られたわ…」
「ウン十年前の話だな」
「…いまでも子どもたちに、もったいないオバケが出るぞ〜って、おどかすのかしら?」
「さぁなぁ……」
わたしたちは、子宝には恵まれなかった。
「先週、内科のお医者さんに、『ご飯を残す勇気も大切ですよ』って、言われたわ…なんでももったいないって、食べちゃうんじゃなくて、カロリーのこと考えてご飯を残すことも、勇気だって…」
「…いろんな勇気があるなぁ…」
「でも、このままじゃ、もったいないオバケが出ちゃうわ…」
妻は、わたしと妻と二個ずつ買って来たスコーンの二個目を平らげたところだった。
「…三個目は、やめといたほうが…」
わたしの分だし、と付け足したくなるのを、あやうくこらえた。
「違ーくて!!私の小説よ!こんなに面白いのに読者がつかないなんて、もったいない!もったいないオバケが出るわっ!!」
ああ、その話に戻るのか…
「こんなにっ!こんなに面白いのにっ!クライマックスなのにっ!日本語で言うなら佳境に入ってるのにっ!これが読まれないなんて、本当に本当に本当にもったいないわ!!文芸界の損失よっ!!」
「まったくもってそのとおりだな」
と、わたしは応じた。
「…………え?」
「おまえの小説は、面白い」
「…………そ、そう?」
「これが世に知らしめられないなんて、言語道断だ」
「………よね?」
「まったくもって同意見だ。もったいないにもほどがある」
「……うんうん」
「だが、いずれ衆目は集まるさ。いまはこらえる時期だ」
「でも……小説は、佳境……クライマックスなのよ……」
「おまえの小説は腐らない!」
わたしは、妻の目をジッと捉えながら、続けた。
「わたしはおまえの小説が日の目を見る日を信じてる。だから、おまえを信じるわたしのことを、おまえは信じろ!」
マンガなら、ここでドヤァ!っという擬音が背中に入るところだ。
妻はコクコクコクとうなずきながら、
「信じるっ!あなたをどこまでも信じるわっ!!」
両手を握り合わせ、目をうるませた。
見よ!
これが処世術!
駄々っ子のような妻に、ただオロオロしていては、三十年も夫婦はやってられないのだ!
「ありがとう、あなた…、
私、なんだか元気が出てきたわ…」
もとから元気なくはなかった気がするのだが、そんなツッコミをしてはいけないのである。
「ありがとう、あなた……やっぱりラズベリーのスコーンは最高ね!お菓子のホームラン王だわ!」
「あ……」
わたしの二個目、妻には三個目のスコーンを、いつのまにかつかんでいた妻は、それはそれは美味しそうにそのスコーンを頬張りながら、にっこり笑ったのであった……。
忍耐こそ、我が人生なり。




