失言
「今日は、AE◯Nに行くのにバスに乗ったんだけどね…」
夕食後の紅茶を飲んでると、妻がそう切り出した。
「小学生の子どもに席を譲られちゃったの!」
「ほう、敬老精神に溢れた、よい子だね」
「私、お腹がポッコリさんだから、妊婦さんと間違われたのかしら?」
わたしが答えるのと、妻が続けて言うのと、ほぼ同時だった。
「…………。」
「…………。」
長い沈黙を、破ったのは、妻のほうだった。
「そうね、よいお子さんよね……いまどきなかなかいない、よいお子様よね……」
顔は笑ってるが、座卓に置いた手が、プルプル震えている。
「いや、うん、まあ、その、ソウダヨネ」
わたしはぎこちなく返事した。
「五十をこえたBBAですものね……妊婦さんに間違われたりするわけないわよね……?」
疑問形で言ってくるのが、きょわい!
「いや、でも、ハイ……あの……それで、席を譲られて、どうしたんですか?」
「座ったわよ……せっかくのご厚意ですもの。妊婦さんじゃないのよって、言わなくて、よかったわぁ!」
「ヒィッ!イヤ、デモ、妊婦さんに間違われた可能性も否定出来ないであります!」
「ほっほう?!」
ふんぞりかえって、ギョロリと下目使いで睨んでくる妻。
「おまえは確かに年よりは、若く見えるから……その可能性もなくはないかと、思われます……」
我ながら苦しい言い訳だ。
妻はしばらくわたしを睨んでいたが、やがて、フーっと大きく息を吐いて、
「まあ、いいわ。どちらにしろ、あの男の子が、いまどきめったにいないよいお子様だって事実は変わらないものね」
わたしは下手な返事を避け、コクコクコクコクただうなずいた。
「それにしても、バスの中のマナーって、なってない人が多すぎるわよね!優先席に座って足組んで座ってスマホいじってる若い子見ると、蹴っとばしてあげたくなるわ…そこに座るには、五十年早いんじゃ、ってね」
「……空いてても、優先席に座らないのがマナーだよね」
「あと、混んでるとき、立ってる人で、目の前の席が空いても座らない人、腹立つわぁ。座らないのは勝手だけど、邪魔だから、そこに立ち続けるな!どけ!せめて他の人が座れるようにしろ!って、思うわね!」
「ウンウン」
「もっと謎なのは、混んでても空いてても、絶対に席に座らない人!ーーおまえは、星飛雄馬がようやく入団した巨人軍のバス移動の際に、巨人の選手たちが立ちっぱなしなのを見て、席を譲ろうとしたら、花形充に「星くん、先輩方の邪魔をしてはいけないよ」って、たしなめられて、よく見たら、先輩方はみんな爪先立ちで吊革につかまっていたーーっていうエピソードくらい、謎な行動よね……」
「……今で言う、体幹を鍛えてたんでしょうか?」
「あのシーンだけは、妙に頭の中に残ってるよ……あとあと、電車の中で、ドア横の位置をキープし続ける人、邪魔よねぇ。それだけなら、まだしも、大勢乗り込む駅で、ドア横に位置したままの人とか、乗り込んですぐにドア横に貼り付いて動かない人とか、邪魔を通り越して危ないわ!」
「ウンウン」
「あなた、なんでも、ウンウン言ってれば私の機嫌を損ねないですむと思ってるでしょう?」
「ウンウン」
わたしは、ハッとして、口を手のひらで押さえた。
妻は、
「ふーん、あっ、そう。まぁ、いいけど」
と、言った後に、
「あなたのお小遣いで、フレンチのディナーで許してあげるわ?」
と、キチクなことを言い渡したのであった。
わたしの月のお小遣いの、半分が吹っ飛ぶではないかっ!
わたしは、妻の言い分に、毅然として、
「ありがたく、そのようにさせていただきます……」
と、低く低く頭をうなだれたのであった……。




