ちょっとそこまで…
「おや、今日は美容院に行って来たのかい?キレイにしてもらったんだねぇ」
「あら、わかる?ちょっとサボってたんだけど、キレイキレイしてもらったのよ!」
妻はちょっと髪に手をやり、誇らしげに言った。
わたしは、うんうん頷いた。
若い頃は、妻の髪型の変化なぞ、すぐには気づかなかったわたしだが、人間、齢五十歳を超えると、これが事情が変わってくる。
変化したのは、わたしではなく、妻の容貌だ。
あまり細部についてどうこう言うのは避けるが、今日のように美容院に行った後は、妻は一化けする。
白髪が目立ちがちで、ボサボサしていた髪は、キレイに染め上げられ、セットされて、十歳とまでは行かないが、五歳は若返って見える。
どんなボンクラでも、その変化に気づかないはずがないのだ。
たとえ美容院にかかった代金が、男性が床屋で使う額の五倍近くになろうと、もったいないなどと言ってはいけない。
自分の妻がキレイになって、悪いことなど、ちっともない。
妻が毎日飲んでるコラーゲンのことだって、あーだこーだ言ってはいけないのだ。
「しかし、ずいぶん早かったんだねえ、まだ出かけて二時間経ってないじゃないか?」
「最近の美容院は、オンラインで予約が出来て、待ち時間がないからラクなのよ♪」
と、妻は言った後に、
「昔はそういう便利なシステムがなかったから、三、四時間待ちが当たり前で大変だったわ〜」
と、ため息をついた。
「おまえがちょっとそこまで出かけてくると言ったきり、半日戻らなかった時には、捜索願いを届けようかと焦ったことがあったっけ……」
わたしは遠く三十年前を思い出していた。
「そんなこともあっわねぇ……遅くなったと言えば、私がレイトショーで、『七人の侍』を観に行った時も……」
「ああ、おまえが一人で観に行ってしまった『七人の侍』か……」
あのとき、わたし達はなにか喧嘩のようなものをしていて、妻は一人で映画館に出かけてしまったのだ。
「まさか上映時間が五時間を超える映画だとは、私も知らなくて……クライマックスのいいシーンで、私の携帯が、ビービービービー震えて……マナーモードとはいえ、うっとうしかったわ」
「うっとうしいは、ないだろ、鬱陶しいは。十二時過ぎても帰って来なかったから、わたしは死ぬほど心配したんだぞ!」
「うっとうしかったのは、あなたではなくて、携帯の話じゃない。…怒らないで」
「あのときも、ちょっとそこまで出かけて来るだけ言い残して帰って来ないから、わたしは本当に本当に心配したんだ」
「心配かけて、ごめんなさいね、あなた」
妻は、しおらしく謝ってくれた。
「いや、いいんだよ、どっちにしろ、それも昔の話だ……。だいたい、なんでこんな話になったんだっけ?」
「ちょっとそこまで繋がりで……私が美容院でキレイにしてもらったって話が始まりよ」
「そうだったな。いや……おまえは三十年前も、今も、変わらずキレイだよ……」
「いやね、あなたったら、お世辞なんか言って……」
妻は頬を染めた。
「……ところで、小説のほうは更新が滞っているようだが?」
照れ隠しに、わたしは話題を変えた。
すると、妻は、
「げほげほ」
と、わざとらしく咳き込み、
「現在鋭意制作中よ!!けっしてサボっているわけでも、スランプなわけでもないわ!!」
と、アセアセ言うのであった。
妻がそう言うなら、そう言うことにしておこう。
「今日は、外食でもするか!」
キレイになった妻と出かけるのも、悪くない。
「お寿司がいいわ!回るやつでいいから!」
子どものように、はしゃぐ妻。
ああ、キミは本当に変わらないね……と、いう呟きは、わたしの心の中に留めたのであった。




