人生は、五十歳から
「あなた。私、小説家になるわ」
五十を超えた妻が突然そんなことを言い出した。
「ミネルヴァさんが教えてくれたの、いまは誰でも小説を書いて、読んでもらえる公開サイトがあるって。私、才能あるし、きっとすぐにバズるわ!」
ミネルヴァさんというのは、妻のLINE仲間で、自称女性だ。ただ、妻も直接会ったことはないらしく、夫であるわたしは、密かにネカマではないかと疑っている。
「とりあえず、高校生のころ校内の文集に書いた小説を焼き直して、投稿するわ!」
「おいおい、それじゃ二重投稿になるんじゃないのか?」
妻はホホホッと笑って、
「三十五年も前に書いた小説ですもの、もう時効よ、時効。それに私ももう内容はおぼろげにしか覚えてないの。実質、新作みたいなものよ!」
「内容を覚えてないって、どうやってその焼き直し小説を書くつもりなんだ?」
「私、才能あるから、大丈夫よ!これでも昔、投稿小説が二度も雑誌に載ったことがあるのよ!」
妻はまたホホホッと高笑いした。
「その話はもう100回以上聞いたよ。…それで、題名とかは決まってるのかい?」
「『俺のカノジョに血と薔薇を』よ。ペンネームは、ひさしじろう」
「おい、ちょっと待て、それは昔わたしが使っていたペンネームじゃないか…」
実はわたしと妻、高校時代からの付き合いで、同じ文芸部に所属していたのがなれそめである。
「いいじゃない、私の昔のペンネームなんか使って、昔のお友達に見られたら恥ずかしいもの。その点、あなたのペンネームなんて、覚えてる人誰もいやしないから、大丈夫!」
「おまえなあ…」
妻は昔からいきあたりばったりな性格だった。
「実はもう、一話目はメモ帳に書いてあるの。あとはもう投稿するだけなんだけど…」
妻はちょっと表情を曇らせた。
「ジャンルにチェックを入れなくちゃいけないんだけど、これ、ここなんだけどね…ファンタジーに、ローとハイがあるの…」
「ローとハイ?ローハイドなら知ってるがな、クリント・イーストウッドも若かったなぁ」
「ローハイドなんて、五十歳以下の若い人は絶対知りませんよ。それより、ローとハイですよ!ローとハイ!」
「わたしがわかるわけないだろう、ググれ!」
「あ、そうね、はいはいっと」
前途多難である。
こうして、齢五十歳を超える妻の、小説家になろうへの挑戦は始まったのである。
そして、この話は、まだまだ続くのであった。