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くらう。  作者: 溝口智子
6/25

 翌日、慎一は大学近くのカフェで、昼休みの時間帯にあいりと待ち合わせた。

 あいりが来るまでの数十分をずいぶん肩身の狭い思いで待った。周囲に座っているのは、きらきらしい女子か大学生カップルばかりだ。

 カタカナが多いメニューを見ても自分に似合うものなど見つからない。無難にアイスコーヒーを頼んで目立たぬようにじっとしていた。


「すみません、お待たせしました!」


 声を聞いて振り仰ぐと、ずいぶん大人らしくなったあいりが小走りに駆け寄ってきた。


「講義が長引いてしまって……」


「ああ、大丈夫。自分は時間にだけは余裕がありますから」


 そう言った慎一の言葉にホッとしたのか、一度は会ったことがある人間だということで緊張が解けたのかはわからないが、あいりは笑顔で席に着いた。


「おひさしぶりです、引っ越しの時は本当にお世話になりました」


「いや、とんでもない。一人暮らしは順調ですか?」


「ええ、まあ。暮らしの方はなんとか……」


 あいりは曖昧に微笑んで、俯いた。恋人が失踪した女性に聞くにはふさわしくない質問だ。順調でない事柄があるから呼ばれたのだと、慎一は自分の発言の間抜けさに気づき、あいりから視線をそらした。あいりは話題を変えようとしたのか、メニューを開いて差し出した。


「あの、深田さんはお食事は?」


「気にしないでください、帰って家族の分も作らなければなりませんので」


 慎一の言葉に気を使いつつも、あいりは一人分だけランチメニューを注文した。慎一はメニューの色鮮やかな料理の写真に目をやらないように気を付けながら質問をつづけた。


「早速ですが、江崎さんのご実家の住所についてお伺いしたいのですが。暑中見舞いの宛先と、いただいた資料のなかの住所が違っていますが、なにか事情があるんですか?」

 

 水が入ったグラスに触れかけていたあいりの手が止まった。じっと慎一の目を見つめる。


「秘密にしてもらえますか?」


「もちろんです」


「翔さんは実家と仲が悪いんです。大学の学費も生活費も、翔さんは自分で支払ったそうです。実家が引っ越したことも、暑中見舞いの葉書が宛て先不明で戻ってきて初めて知ったんです。翔さんがいなくなってから実家に戻っていないか、一応、電話をかけてみて、その時に今の住所を教えてもらいました」


 あいりが注文した魚介のパスタが運ばれてきて会話が止まった。店員が去ってもあいりはしばらく逡巡していたが、家事で荒れた慎一の指先に目をやってから話しをつづけた。


「翔さんのお母さん、翔さんがいなくなったって言っても心配もしないんです。大人なんだから放っておけって。だから私が警察に行ったんです。でも全然相手にしてくれなくて。警察って冷たいんですね」


 慎一は苦笑して曖昧に頷いた。


「あ、すみません。深田さんも警察官だったんですよね」


「もう六年も前のことですから。冷たい人間もやめました、安心してください」


 下手な冗談にあいりは少し表情を明るくした。慎一は携えてきた資料をテーブルに置く。パスタの皿にちらりと目が行く。トマトソースの赤とムール貝の紫の貝殻、冷めていくパスタはそれでも美味そうでごくりと唾を飲んだ。

 目の前で美味しそうに食べられたら怒りが湧くかもしれないと思い、あいりに食事をするよう勧めることはしなかった。

 慎一は皿から視線を反らして話を始める。


「事前にいただいた資料には家族関係に問題があることは書かれていませんでしたが、なにか理由があるんですか」


「理由っていうか、翔さんが実家に戻ることなんてないだろうって思ったから。関係ない情報はないほうがいいかと思って」


「関係がなさそうでも、仲が悪いからこそ聞くべきことというのもあります。こういう時に必要のない情報はないですよ」


 あいりは視線を落として居心地悪そうに肩を縮めた。慎一は手元の資料を指し示す。


「もしかして他にも省いていることがあるんですか」


 あいりは深く顔を伏せて視線を泳がせた。


「じつは私たち、喧嘩してたんです」


 慎一は黙って頷く。


「あの日は講義が終わってから、茅島駅で翔さんを待ってたんです。会社では話そうとしても避けられて。仲直りしなくちゃって思ってたんですけど、また駅で言い合いになっちゃって。翔さんは私を置いて行っちゃって」


 顔を上げたあいりは、今にも泣きそうな表情だ。


「やっぱり、翔さんがいなくなっちゃったのは私のせいなんでしょうか」


 その可能性が高いと思ったことは表に出さないようにして、慎一は優し気な表情を作ってみせる。


「それはわかりませんが。江崎さんは衝動的に動くタイプですか?」


「いいえ、どちらかと言うと慎重すぎるというか保守的でイライラするっていうか」


 二人はあまりうまくいっていなかったようだ。江崎翔が消えた理由は、やはりここにあるのではないかと慎一は聞き取りに本腰を入れた。


「喧嘩の原因がなんだったのか教えてもらえますか?」


 あいりは両手で顔を覆って小さな泣き声をあげた。


「私です、私が翔さんを裏切ったから」


 ああ浮気か。それにしては簡単に白状した。近頃の若い女性はこういうものなのだろうか。

 周囲の視線が集まっていることを感じながら慎一は溜め息を飲みこんだ。なにやら深刻そうに話している妙な二人組、それも女性が泣いているという奇異な状況だ。視線が集まるのは当然だが、無駄に目立つことはしたくない。

 出来るだけビジネスライクに済ませてしまいたいと、慎一は事務的に尋ねた。


「江崎さんは駅からどこへ向かったか見当はつきませんか。もう一度、電車に乗ったんですか?」


 ぐずぐずと鼻を鳴らしながらあいりは顔を上げた。泣き声を立てていた割には目に涙は浮かんでおらず、案外平気そうな顔をしている。


「いえ、駅を出て家とは反対の方向に歩いていきました」


「反対というと?」


「あの、工業団地跡ってご存知ですか」


「ええ、もちろん」


「そっちの方に行っちゃったんです」


 茅島町はかつて工業地帯として栄えた場所だ。数多くの工場が立ち並び巨大な倉庫が何棟も軒を連ねていた。そこを工業団地と呼び、地図にもそのように記載されている。しかし不況続きで撤退していく企業が後を絶たず、広大な工業団地は廃墟になって久しい。


「江崎さんは工業団地に行くような用事があるんですか」


「ないと思います。ただ私の顔を見たくなかっただけなんじゃないかな」


 平気な顔というよりは、あいりは静かに怒っているようだ。江崎翔が見つかったら、また喧嘩をするつもりなのだろう。

 他にも聞きたいことは色々あったのだが、あいりの時間がなくなってしまった。

 冷めたパスタを慌てて掻き込んでいるあいりを横目で見ながら、慎一は席を立った。


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