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くらう。  作者: 溝口智子
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   ***


 病室のベッドの上に座っている江崎翔は全く様変わりしていた。


 塩谷は姪のあいりから渡された写真でしか彼を見たことがないのだが、明らかに人が違っていると思う。

 口元はだらしなく緩み、へらへらと笑っているように見えた。垢じみた印象なのは、無精ひげや鑑定入院で過ごしたここ数日、風呂に入れてもらっていないということだけが理由ではないように思われる。

 何か、人間の業のようなものが染みついているように見えるのだ。それは翔が保護された時の状況を、塩谷が聞き知っているからかもしれない。


 江崎翔は茅島町の工業団地の中の一棟で見つかった。失踪してから五日が経っていた。

 見つけたのは塩谷の元同僚である深田慎一だ。江崎翔の捜索を依頼してから三日間、ずいぶんと駆け回ってくれたらしい。


 慎一が見つけた時、江崎翔は女の遺体の肉を食っていたという。監禁されていた様子で、かなり衰弱していた。重度の脱水症で緊急搬送され、一週間の集中治療を余儀なくされた。


 人肉を食っていたという情報を、医者は疑いながらも胃洗浄を行った。腐敗した肉が吐き出され、鑑定され、それは確かに工場で死んでいた女の肉だということがわかった。


 二体発見された女の遺体のうち、腐敗が酷かった方は歯型から身元がわかった。伊藤理香という二十一歳の、キャバクラに勤めている女だった。ストーカー被害にあっていて、そのストーカーを撒くために工業団地に足を踏み入れ、そこで行方不明になっていたことはわかっている。


 ストーカーの男、神田恭平が犯人として疑われた。だが、伊藤理香が失踪した日、神田は理香が通ったのとは別の改札口で、来るはずのない理香を待っている姿を防犯カメラに撮られていた。

 残念なことに、駅を出てしまうと、工業団地までの道に防犯カメラが設置された建物はなく、廃墟になっている工業団地には人目すらない。伊藤理香になにがあったのか語る者はいない。


 ただ、理香の死因は人間に食い殺されたのだということだけは判明した。喉笛を人間の歯で食いちぎられた歯形が残っていた。

 それは工場内で死んでいたもう一体の女性の歯型で、その胃の中から微量だが、腐敗しきった理香の肉が出てきたのだ。


 理香を食った女性の身元はまったくわからない。女性の側に落ちていた白いワンピースとパンプスは理香が失踪当日に着ていたもので、女性の持ち物は何一つ見つかっていない。

 また、栄養状態が悪く、体中にあざや骨折跡や縛られたようなロープの痕などがあることから、どこかに監禁されていたものと推測されている。


 工場内でなにが起きたのか知る者は江崎翔だけなのだが、翔は正気を失っていた。言葉はほとんど話さず、一日中ぼうっとして、食事はとらず眠りも浅い。栄養点滴だけで生きているため、日ごとに痩せていく。


 あいりは恋人の翔のもとに面会に行けるのかと聞くことすらしない。人の肉を食ったということはマスコミにも、もちろんあいりにも隠してあるのだが、なんとなく雰囲気で、ただならぬものを感じるらしかった。それでも気にはかけていて、塩谷に様子を見てくるように頼んだのだ。


「あいりのことを覚えているか?」


 言葉をかけても翔はまったく反応しなかった。塩谷の言葉が耳に入っているのかどうかもわからない。ただぼうっと、そこにいるだけだ。塩谷は慎一から聞いた、発見時に翔が口にしたという言葉を発してみた。


「お腹、すいてるの?」


 翔はゆっくりと顔を上げて塩谷を見つめる。塩谷はもう一度、繰り返した。


「お腹、すいてるの?」


 翔は黙ったまま首を横に振った。一瞬だけ微笑んだように見え、その後、瞳からは光が消えた。もう、どこを見ているのかわからない。もしかしたら、翔の意識はまだ工場の中にいて、そこから抜け出せないでいるのかもしれないと塩谷は思う。


 江崎翔は身元のわからない女を殺害した疑いで逮捕されたのだが、翔が自ら女を食ったのか、誰かに食わされたのかはわかっていない。何もかもが廃工場の闇の中に隠されて消えてしまった。


   ***



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