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くらう。  作者: 溝口智子
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   ***


 また、意識が途切れていたようだ。耳元で子守歌が繰り返されている。とても心地よくて目を瞑りかけた。


 その時、口の中にものが入っていることに気づいた。ぬめっとした感触が気味悪く、慌てて吐き出した。

 口の中も鼻の中も腐臭にまみれて、呼吸するたび体内が腐っていくように感じる。すぐに状況を理解した。


 人の肉を食わされたのだ。


 一気に胃の内容物が逆流してきて、口から迸り出た。もっともっと、出来れば胃も腸も吐き出してしまいたかったが、水も飲めずにいた時間が長く、一度吐いてしまうと、胃液さえ、もう一滴たりとも出て来てくれない。


 いったい、どれくらいだ。いったい、どれくらい、自分は人肉を食べたのだ。


 膝枕から抜け出し体を起こす。辺りはぼんやりと明るくなっていて、自分が吐き出したものが見て取れた。腐肉と胃液が混ざり合い、どこまでが口から吐きだしたもので、どこからが胃の中から出てきたものなのかわからない。

 肉の消化は炭水化物などよりずっと早いと聞いたことがある。翔は扉の方に顔を向ける。


 朝が来ていた。いったい何時間、気を失っていたのか。女性はいつ、自分の口に人肉を押し込んだのか。

 腹が減っていた自分は腐肉を食べたのだろうか。

 吐き気が止まらない。だが、苦い味がせり上って来るだけで、口から出せるものは何もない。

 食べてしまったのだ。眠っていたが、何かを飲み込んだことを覚えていた。繰り返し、繰り返し、飲み込んだのだ。苦く、臭く、湿って、ぬめる。


 口の中に残っている味は最悪だった。この世の汚いものをすべて凝縮したような悪臭と、ヘドロのようなぬめりが鼻を突き抜けて脳天に刺さり続ける。

 ワンピース姿の女性、懐かしいメロは手にしていた腐りきった肉を翔の口元に近づけた。翔は顔を反らす。おかしくもないのに腹の底から笑いが溢れてきた。


 げらげら笑いながらメロの手を握り、腐肉をメロの口に運ぶ。メロはぺろりと腐肉を舐め、ぎょろりとした目で不思議そうに翔を見つめる。

 翔は笑い止むことなく、メロの膝を手のひらで思いきりバンバン叩く。メロは腐肉を放り投げた。口を横に広げてにいっと笑うと、自分の指を食いちぎって血を垂らし、翔の口に突っ込んだ。


 翔はメロの指にむしゃぶりつき、舐めまわす。鉄錆のような味の奥から甘さが広がる。腐肉の臭さよりも強く、甘い香りが翔の口内を満たした。

 もっと味わいたくて指に齧りつく。メロがビクッと身を震わせた。血はじわじわとしか出てこない。


 ずっとぺろぺろと指を舐め続けていると、すぐに味は消えてしまう。

 翔は思いきりメロの指を噛みしめた。メロが声にならない悲鳴を上げた。翔はかまわずギリギリと歯を立てる。

 生きている人間の肉はもの凄い弾力で、噛んでも噛んでも噛みきれるものではなかった。


 皮だけ齧りとろうと別の場所に歯を立てる。メロは唇を強く噛んで痛みに耐えている。ぶちりと皮膚に切れ目が入り、血が滲み出てきた。

 それを必死に舐めていると、メロが翔の頭を優しく撫でだした。口の中の甘い血の味、撫でられる気持ち良さ。翔は、うっとりと目を閉じた。だが、やはり指の血はすぐに出てこなくなってしまう。翔は口を離して顔を上げる。翔をじっと見つめたままメロが尋ねた。


「お腹、すいてるの?」


 メロはワンピースをたくし上げて、ばさりと脱ぎ捨てた。朝の柔らかな光に包まれたメロの体は、ガリガリに痩せていて子どもの頃と大差ない。それなのにどこかに女性らしさがあって、翔は思わず抱きついた。大切なぬくもりを求めるかのように。


 メロは両手で翔の頬を挟むと、そっと自分の胸に近付けた。翔の唇に乳首を押しつける。翔は赤ん坊のように乳首に吸い付いたが、乳は出ない。それでも翔はいつまでも、ちゅうちゅうと乳首を吸い続ける。


「きれいだね」


 メロがはっきりとした口調で言った。


「きれいだね」


 翔は口を離して顔を上げた。扉の隙間から差しこむ白々とした光に照らされたメロの乳首は、吸い上げられたせいで真っ赤に腫れている。まるで果物のようだ。


「きれいだね」


 またメロが言う。

 翔は乳首に歯を立てると、思い切り噛み千切った。メロの絶叫が、真っ白な朝日の中に響き渡った。


   ***



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