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くらう。  作者: 溝口智子
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 自宅に戻り、納戸から懐中電灯を探しだしたころには、すっかり日が暮れていた。慎一はバッグに懐中電灯を入れて、再び出かけようと立ち上がった。くらっと眩暈がして倒れかけた。今日は完全に水しか口に入れていない。


 食べ物は諦めるとしても、せめて塩分だけは取ろうと台所に行き、冷蔵庫の海苔の佃煮の瓶を取り出した。指で掬って舐めると、甘味と塩分が舌の上でとろけていく。ごくりと飲み込んで、もう一度、今度は大きな塊を掬う。

 後は止まらなかった。掬っては舐め、掬っては舐めして瓶を空にしてしまうと、カスも残さないほど丹念に指で瓶の底を拭った。一日ぶりに味のあるものを口に入れて、生き返ったような気がする。

 そして生き返ったことを後悔した。腹が減ったという感覚を、無駄に思い出してしまった。空腹の極限にいる時は空腹感に悩まされることはないのに、少しでも生きるための味を思い出すと、途端に体は「食いたい」「生きたい」と騒ぎ出す。

 面倒くさい。慎一は腹立ちまぎれに瓶をテーブルに叩きつけて外へ出た。


 帝王が聞いたという音の正体を確かめに、工業地帯へ足を運んだ。実際に工場内部を見てみたら、江崎翔がなにかの理由で工場内に入る理由を思いつくかもしれない。もう、そんなあり得そうもない思い付きしか出てこない。


 浦本工業の門をよじ登り、シャッターをくぐる。夜も更けて月が昇っていた。満月に近いようで外は灯りが必要ないほど明るいが、その光も工場の中まではとても届かない。

 バッグから懐中電灯を出して辺りを照らす。工場内はしんと静かで生き物の気配もしない。光に照らしだされるのは動かない機械だけだ。旋盤という金属切削加工用の大型機械工具にはコンピューター制御のものもあるらしいのだが、浦本工業で使われていたものは、すべて手作業用の古いものだった。


 ピカリピカリとあちらこちらで、大きなレバーやハンドルの金属部分に当たった懐中電灯の光が反射する。何やら機械達の点呼を行っているような気分になった。

 手前の旋盤でも、隣の旋盤でも、光を正しく反射する。きっと電気を通して動かしてやれば、いい働きをする選手になるのだろう。慎一は旋盤の点呼を続けながら奥へと進んだ。


 奥の突き当りには階段があり、上階へと伸びている。金属製の階段をカンカンとリズミカルな音をさせて上る。

 二階で足を止めて踊り場の手すりから下を覗いてみた。旋盤たちが、きちんと整列している。踊り場のドアから中に入るのは後にして、もう一階上っていく。階段は三階で行き止まりだった。

 ドアを開けて中を覗くと、窓から月の光が差しこんでいて明るい。懐中電灯を消し、室内を見回す。事務室だったようで、事務用机やイス、書類が入ったままのキャビネットなどが置きっぱなしになっている。

 机の下や物陰をざっと確認したが、どこも埃がたまっていて、最近人が出入りした様子はない。


 二階へ下りて、ドアを開ける。ドアの取っ手には妙に太い鎖と、がっしりとした南京錠が鍵が開いたままの状態でぶら下がっている。

 こちらも部屋の中は月明かりでよく見えた。仮眠室か救護室だったのか、部屋の真ん中に衝立があり、その陰にパイプベッドが一台、置き去りにされている。ベッドの側には黄色と黒のトラロープが落ちている。床の埃は乱れていて、誰かが歩いた跡がある。

 慌ててしゃがみこみ懐中電灯で照らすと、大きめの靴の足跡と、それより小さな裸足らしい足跡が見て取れた。

 ドアにぶら下がっていた南京錠は真新しいものだ。つい最近、誰かがここに鍵をかけて閉じ込めたのだ。裸足で歩く誰かを。


 足跡を追うように階段を駆け下りる。床を丹念に照らしていくと、二階で見たのと同じ足跡が見つかった。気を抜きすぎていた。手がかりを踏みつぶしていたかもしれない。

 慎重に進んでみたが、シャッターに近づくにつれて足跡などわからなくなった。一階には忍びこむものが多くいるのか、二階の部屋ほど均等に埃が積もってはいない。

 慎一はかがめていた腰を伸ばして、もう一度、懐中電灯の光を工場内のあちらこちらに動かした。薄汚い埃をかぶった旋盤達は冷ややかに光を反射した。

 急いで浦本宗吾を見つけなければならない。慎一は懐中電灯のスイッチを切ると、工場の外へ走り出た。


 浦本の家に着いた時には月は雲に覆われて空は暗かった。家々の窓から漏れる明かりで通りを歩くことは困難ではないが、逆にそれは、慎一が身を隠すのに適していないということだ。

 ゴミの山をくぐってドアの前に立ち、一応、ノックはしてみた。だが、真っ暗な家の中、返事はおろか、物音の一つも聞こえない。浦本宗吾が帰るのを待つため、居座れる場所を探そうとした。しかしこの近くには、身を隠せそうなものは電信柱でさえ存在しない。


 堂々と家の前に立っていたら怒鳴り散らされて、近隣住民から不審者として警察に通報されるだろう。なんとかして隠れなければ。慎一はうろうろと、犯罪者のように歩き回った。


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