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くらう。  作者: 溝口智子
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 幸運なことに、江崎翔の友人、森裕也の家は酒屋だった。一階が店舗で、二階と三階が住居になっているようだ。

 昔ながらの風情の酒屋で、店の前に一升瓶を入れるケースが山積みになっている。ガラス張りのサッシ戸から中を覗くと、入り口すぐのところにカウンターが設けてあり、立ち飲みもやっていることが見受けられた。

 そのカウンターの中に人の良さそうな若い男が立っていて、スマートフォンをぼんやりと眺めている。慎一はサッシ戸を開けて店内に入った。


「いらっしゃいませ」


 男はスマートフォンをポケットにしまって、カウンターに両手をついた。慎一はバッグから名刺を取り出し、男に差し出した。


「突然、お邪魔してすみません。私、深田と申します」


 男は軽く会釈して名刺を受けとる。見た途端、眉根を寄せた訝しげな表情で慎一の顔をまじまじと見た。


「探偵?」


「はい。本日は森裕也さんにお聞きしたいことがあって伺いました」


「裕也は自分ですけど……、なんでしょうか」


 怪しむ様子は見せたが、口調は丁寧だ。客商売の心構えが身についているということなのかもしれない。慎一は深刻になりすぎないように気をつけながらも、重い雰囲気で話を続ける。


「江崎翔さんを、ご存じだと思うのですが」


「はい、知ってますが……」


「江崎さんが、現在、行方不明になっていまして」


「え! 翔が? なんで?」


 森裕也は目を見開いてカウンターに身を乗りだした。


「事情は何もわかっていません。三日前から連絡が取れなくなっていると、江崎さんの知人から捜索を依頼されて探しています。ですが、手がかりを掴めずにおります。もしかして、江崎さんから連絡があったということはないでしょうか」


 裕也はスマートフォンを取り出して操作している。しばらく待っていると、首を横に振った。


「最後に連絡したのは二週間前です。その後はなにもありません」


「そうですか。江崎さんがなにかトラブルを抱えていたということはありませんか」


 慎一の言葉を聞いた裕也は予想もしていない質問だったのか驚いていたが、すぐに眉尻が下がった情けない表情になる。


「俺、最近あんまり翔と話す機会がなくて。あいつも自分からいろいろ話す性格じゃないし。翔は危険な目にあってるんでしょうか」


「わかりません。事件か事故に巻き込まれた可能性もありますが、私は自主的な失踪と仮定して捜索しています」


「自主的な失踪……。そう、そうなのかな……」


 話しづらそうに視線を落とした裕也に、慎一はゆっくり丁寧に尋ねる。


「なにか、心当たりがありますか?」


「心当たりっていうか」


 裕也はちらりと慎一に視線をやってから、少し黙り、また口を開く。


「翔はあんまり幸せなやつじゃないから」


「幸せじゃない。それは、どんな理由で?」


「彼女ともうまくいってなかったらしいし、仕事も結構ブラックだし、奨学金の支払いで生活もキツイらしいし。それに……」


 口ごもり、考え込んでいるのを、慎一はじっと見守る。


「子どもの頃からそうなんだけど、翔はなんでも自分が悪いからだって、すぐ言うんですよ」


「自分が悪い?」


「何か運が悪いことがあったりとか、人から迷惑かけられたりとかしても、自分が悪いんだって言うんですよ。怒ったり恨んだりってしたことないんじゃないかな。だから、失踪したっていうのも、他人にとってはなんでもない理由かもしれないなって、ちょっと思います」


 江崎翔とあいりは浮気のことで揉めていたという話だったが、実際は彼女を責めることもない煮え切らない彼氏に対して、あいりが一人で怒っていただけなのかもしれない。


「江崎さんは子どもの頃からそんな性格だったんでしょうか」


「俺の知ってる限りではそうです。俺が翔と友達になったのは中学生の時だから、あんまり事情は詳しくないんですけど、なんだか育ち方がかわいそうっていうか、それが原因なのかなって」


 裕也は話そうかどうしようかと悩んでいるようだった。慎一は背中を押すために優しく微笑んでみせた。


「よければ、どんな小さなことでも教えてください。それが捜索に役立つこともあるんです。秘密は絶対に守ります」


「本当ですか」


「はい。探偵に一番必要なことは、個人情報を漏らさないことですから」


 裕也は、じっと慎一の目を見つめてから「じつは」と口を開いた。


「翔は虐待されて育ったんです」


「虐待。両親からですか?」


「たぶん。俺は噂で聞いただけだからわからないんだけど、小学生の時に施設に保護されたとかなんとかで。死にかけたことがあるって」


 慎一は真面目な顔で小さく頷く。


「それは大変でしたね。江崎さんは、そのことについて何か話していましたか?」


「何も。あんまり自分のことは話さないし、家族のこととかも……、あ、いや違う。一つだけ知ってます」


「何をですか?」


「妹がいるって言ってました。親からすごくかわいがられてるって」


 あいりから聞いた情報には妹のことなど書かれていなかった。あいりが書き漏らしたのか、聞いたことがなかったのか、どちらとも判断が付かない。


「妹さんの話をしたことはありますか?」


「うーん。どうだったかなあ」


 裕也は腕を組んで俯き、考え込んだ。しばらく、じっと待っていると、申し訳なさそうに顔をあげた。


「すみません、ちょっと思い出せません」


 慎一は内心がっかりしたことを顔に出さないように努めて頷いた。裕也からはそれ以上の情報は得られず、慎一は静かに店を出た。一つ、大きな溜め息を吐く。


「育ち方がかわいそう、か」


 今も江崎翔はどこかで自分を責めているのだろうか。それは生きている限り続くのだろうか。それともいつかは怒りをもって、世界と戦うのだろうか。

 どちらにしても、生きていなければ意味がない。なんとか探すしかない。慎一は最後の選択肢であった江崎翔の両親に会いに行くことにした。



 元・江崎家から、新築の今の江崎家までは徒歩で二十分とかからなかった。家の外観は先ほど見た空き家と大して変わりない。駅までの道は遠くなり、周辺は高いビルばかりで陽当たりは良くない。だが、家としての存在感はこちらの方が格段に上だった。こちらの家の方が人が長く住んでいたのだろうと思わせるものがある。この家には「生活」がある、そんな気がした。

 インターフォンのボタンを押すと、すぐに「はい」と、女性の声がした。


「先日、お電話いたしました、深田と申します」


 慎一が名乗ると、スピーカーからはノイズ音も聞こえなくなった。切られてしまったのだ。無視されたかと諦めて戻ろうとしたところに、ドアが開かれた。


「来られても困ります」


 小声だが厳しい口調で言う女性は、慎一とあまり年齢が違わないように見える。どこか険のある目つきをした、とっつきにくそうな人物だという印象を抱いた。それは子どもを虐待するような親だという先入観のせいかもしれない。


「すみません。翔さんが見つからず、手掛かりもなくて困ってまして。翔さんのお母さんですよね。何かお心当たりはありませんか」


 江崎翔の母親には、自分が元警察官であることだけ伝えていた。現在は無職だなどと話していたら、きっと家から出て来てはくれなかっただろう。無職だと言わなかったのは怪しまれるのを避けたわけではなく、そんな話をする余裕もなく電話を切られたというだけのことではあるのだが。


「だから、大人なんだから放っておいてください。電話でも言いましたけど、あれはろくな人間じゃないんだから、何か問題を起こして逃げ出したんでしょ」


「問題というのは、どういった……」


「知りませんよ。知るわけないでしょう」


 女性は早口で、すぐにも家の中に戻りたいのだと示している。


「息子さんは、昔の素行が悪かったとか、そういったことがあるんですか」


「あなたには関係ないでしょう。あれのことなんか思い出したくもない」


 慎一は出来るだけ丁寧に言葉を継ぐ。


「他のご家族はどうでしょう。何か聞いていらっしゃいませんか」


「誰も何も知りません」


「妹さんはどうでしょう。お兄さんとは仲良くされていたのでしょうか」


 女性は眉を吊り上げて大きな声を上げた。


「娘があれと仲良くなんてするわけないでしょう! あれが娘と血が繋がってるなんて言われるだけでも嫌だわ!」


「すみません、何かご事情があるんですね。知らなかったものですから」


「事情なんてありませんよ。あれのことなんて考えるのも嫌」


 女性は、嫌だという気持ちをすべて込めたように、思い切り眉を顰めた。この様子だと、江崎翔の妹には会わせてもらえないだろう。諦めるしかない。慎一のことを見ないように顔を背けつつ、女性は家の中に戻ろうとした。


「もう一つだけ、いいですか」


 慎一が呼び止めると、振り向きはしなかったものの動きは止めてくれた。黙ったままの背中に問いかける。


「なぜ、息子さんのことを『あれ』と呼ぶんですか」


 振りかえった女性の表情が急に冷ややかなものに変わった。感情のない冷徹な表情だ。先ほどの苛立った様子は微塵も見えなくなった。


「あれと言うのでさえ、嫌なの」


 女性は静かな口調で、それ以上の会話を拒絶した。江崎翔の母親は慎一など存在しないかのように、まるで何事もなかったかのように扉を閉めた。完全な無視。置き去りにされた空虚感は、江崎翔の生家である空き家で感じた違和感とよく似ていた。

 それでもなにかわからないかと死角から江崎家を窺っていると、高校生らしい少女がやってきて、江崎家の門扉に手をかけた。慎一はあまり近づいて翔の母親に見つからないようにと気を付けながら「すみません」と少女に話しかけた。

 ふりかえった少女は写真で見た翔と面差しは似ていたが、格段に健康そうだった。


「お兄さんのことで伺いたいことが……」


 そう言った途端、少女は不思議そうに首を傾げた。


「お兄さん……ですか?」


「ええ。あなたのお兄さんが三日前から……」


「あの、私には兄はいませんが」


「え?」


「私は一人っ子です」


 少女がなにを言い出したのかわからず、慎一は軽く混乱した。


「もしかして、ご両親から口止めされているんですか? 江崎翔さんについて話すなと」


「ああ、あれのことですか!」


 少女は明るく笑う。


「あれは兄なんかじゃないです。ただのゴミです」


 慎一がなにも言えずにいると、少女は軽く会釈して家に入っていった。この家には江崎翔という人物は存在しない。慎一は暗い気持ちになって歩み去った。


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