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くらう。  作者: 溝口智子
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 どうしてこんな道を通っちゃったんだろう。理香は激しく後悔していた。

 アスファルトがはげた歩道は、地震でも起きたかのようにでこぼこで土が見えている。

 理香が生まれるはるか前、何棟も軒を連ねた工場が稼働していた頃はきれいに舗装されていたであろう歩道も、今では雑草が蔓延り、とても歩きにくい。

 雨は上がったが、道はぬかるんでぐちゃぐちゃだ。せっかく買ったばかりの白いパンプスが泥だらけになってしまった。


 忌々しく思いながら辺りを見回す。歩道よりもはるかに広い車道を通った方が歩きやすいのではないかと、ふと思った。後ろを振り返り、誰もいないことを念のために確認してから、片側三車線の車道の真ん中に出ようと白いノースリーブのワンピースをたくし上げてガードレールを乗り越えた。


 ギクリと動きが止まった。道の先になにかが立っている。人のようにも見える。だが、それはまったく動かない。

 足が前に進んでくれない。一生懸命に自分に言い聞かせる。暗いところではなんでも恐ろしく見えるのだ。こんなところに人がいるはずがない。きっとマネキンとか、そういったものに違いない。


 そう思って、ふと笑った。いったいどうして、こんなに幅ひろい車道のど真ん中にマネキンが立っているというのか。どう考えても、粗大ゴミかなにかを人と見間違えているのだ。

 そう納得すると、緊張が緩んだ。足を踏み出そうとしたとき、影が動いた。それは人のものに見える動きだった。直立した人が、伏せていた顔を上げたように見えた。いや、人にしてはなにかおかしい。

 全体的にだらりと力なく、首と思われる部分は骨が折れているのかと思うほどに右に曲がって肩につきそうになっている。もしかしてあれは、生きてはいないものなのか。


 それはゆっくりと動き、理香の方に一歩近づいた。木板の軋みのような、キシッキシッという音が聞こえる。理香は血の気が引くのを感じて一歩後ずさった。

 アスファルトの裂け目から伸びた雑草が足をこすって痛痒い。切り傷ができたかもしれないと冷静に考えている。

 感情はしんと静かなのに、心音だけが耳に大きく聞こえて、ひどく緊張しているのだと自覚させた。


「……ね」


 軋みのような音と思ったものは、目の前にいる何かが発しているのだった。


「……き……いだね」


 ぞわっと背筋に悪寒が走った。人の声だ。妙な抑揚があって聞き取りづらいが、間違いなく何かを喋っている。声はしゃがれていて年齢も性別もわからない。


「き……ね」


 カクン、カクンと揺れる頭は、今にも、もげて落ちそうだ。操り人形のように手足が不自然なテンポで、ばらばらに動いている。

 理香の呼吸が激しくなり、口を開いて水中で空気を求めているかのように喘ぐ。足を動かそうとしても、じりじりと踵がわずかに下がるばかりだ。

 何者かが、また一歩を踏み出す。

 声が聞こえた。


「きれ……だ……」


 それが、右手をゆっくりと伸ばした。理香の方に指を付きつける。

目が合った。

 理香はきびすを返して駆け出した。逃げなくちゃ。何かがおかしい。あれは、おかしい。


 後ろから追いかけてくる足音が聞こえる。靴の音ではない。べちゃべちゃと泥を蹴立てている。裸足だ。


 バッグを取り落とした。だが気にする余裕もない。どんどん間合いが詰まってくる。ヒールの高いパンプスでは、ろくに走ることもできない。理香は唇を噛みしめて涙をこらえた。逃げなければ。


 後ろから伸びた手が顔にかかる。指が肌に食い込む。両手でがっしりと顔を掴まれた。右目に指がめり込む。指に圧されて、目玉がぬるりと目頭の方に押し込まれる。


 後ろから伸びた腕に引っ張られるまま、理香は後ろ向きに倒れた。追いかけて来た者に抱き着かれ、そのまま地面に倒れ込み、まるで優しく膝枕されているような体勢になる。


 それは曲がった首を伸ばすようにして、理香の顔を覗き込んだ。


「きれいだね」


 理香の両目に、十本の指が突き立てられた。


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