第一章31 『響き渡る革命の音』
「クライム王国に新国王の誕生ですか」
ヘブンベル王国の首都フォードの城では、清廉な少女が海の見えるテラスで、新聞を片手に紅茶を飲んでいた。
「それも、革命王の後継者となれば、これは世界中がクライムに注目しますし、発展も促されていくことでしょう」
隣で律儀に立っている執事は微笑んで意味ありげに笑っている。
「何がおかしいのですか?」
「いえ。その新聞の記事をよくご覧になってください」
「?」
「左の隅、演説団の後ろの席です」
「……ん? あっ!」
ソフィアはその横顔を知っている。先日の舞踏会で五分ほど話し込んだ旅人だ。
見切れるように彼女と二人で写っているが、彼らを知っている人物ならこの存在に気が付くだろう。
なにせ、ここに座れるのは関係者のみ。
――となれば、彼らがただの旅人だと知っている者の目には止まることになる。
「やはり、彼らは只者ではありませんでしたね。これからが楽しみです」
「……シュヴァン、やけに楽しそうですね?」
「ええ。もしも、その新聞に写る影の立役者の存在に気付く人がいるのだとすれば、一体どれくらいの人数なのかと思うと、楽しくて」
「立役者……。彼らが手伝ったとでも言いたいのですか?」
「ふふ。さあ、それはどうでしょうか。次は、姫様の番ですよ」
「は、はぎゅらかしたわね!」
「言えておりませんよ。は・ぐ・ら・か・し・た」
執事が馬鹿にするように区切ってそう言うと、ソフィアの顔は耳まで熱くなった。
「ふふ。顔が赤いですよ?」
「ほ、放っておいて!」
「駄目です。さあ、お仕度ください。会議の時間です」
「わかっていますわ。ふぅ、次は私の番、ですわね」
新聞を近くのメイドに渡し、ソフィアは長い廊下を執事と歩く。
今日はソフィアにとっての大勝負。
この国を変えるための大会議だ。
会議室の扉を開き、中に座る役人達がソフィアに視線を集中する。
「大丈夫ですよ。きっとできます」
そんな執事の声を後ろから聞き、ソフィアは毅然とした態度を維持した。
「では始めましょう。皆様」
緊張もなく、ソフィアは彼らにそう促した。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
一方、ソフィアの会議が開催されている城では、三人のメイドが新聞のとある記事に釘づけだった。
「これ、アルダ様ですわよね?」
「間違いないよ!」
「わぁ、お兄ちゃん有名人!」
ミリィ、セアリア、テトラの三人は、交互にその新聞を見て驚く。
「そこの三人、さぼらないの!」
そんな先輩メイドの注意が入るまで、目の前の皿洗いを放棄してしまっていた。
皿洗いを再開し、三人は思い起こすように彼の話を始める。
「はぁ、アルダ様……」
「ミリィは随分とアルダ様にご執心ですわね。でも、専属メイドはわたくしよ?」
「せ、セア……! く……、あ、アルダ様はそんなでかい胸が嫌いって言ってたよ」
「あら。殿方がそんなことを? ありえませんわ」
「あ、ありえるよ! 私みたいな中くらいがちょうどいいって言ってたもん! それに、あんなにグイグイ迫ってたら、逆に引かれるよ!」
「ひか……っく! ミリィこそ、そんな普通のメイドなんか流行んないわよ!」
「流行の問題じゃないもん!」
「いいえ、断じて違うわ!」
二人の手はいつの間にか止まっており、これには先輩メイドも肩をすくめた。
そんな中、黙々と作業を続ける年下のテトラが二人に言う。
「お兄ちゃんは、お仕事するメイドさんが好きだと思うよ?」
「「――!」」
「ふんふふふ~ん♪」
「そ、そうです。仕事ができないメイドはもはやゴミ。金食い虫もいいところ……」
「み、ミリィの『ゴミ』という表現はともかく、確かにそうですわね。わたくし達って給料高いですし。それでいてこうやって雑談に花を咲かせているようではいけませんわ」
セアリアはそう言うが、彼女たちの給料はメイドの中で一番安い。
「私、頑張りますね。アルダ様!」
「わ、わたくしだって!」
「テトラも~~」
気合十分に皿洗いを開始した三人。
パリィィン!
「あ……」
「……ミリィ。さすがにドジなメイドは雇ってもらえないわよ」
「そ、そんなぁあっ!」
ミリィはどんよりとした面持ちで、いつもの様に割ってしまった皿を片付け始める。
「うぅ、アルダ様ぁ……皿を割るメイドはダメですかぁ?」
泣きながら掃除する彼女の背中は、少し寂しかった。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
例の新聞は世界中に広まっていた。
中央の島に位置する大聖堂にもそれは届いており、聖職者一人一人に配られている。
大聖堂というのは、世界中の教会や修道院を束ねている場所。
その高さは他の建物とは比べ物にならないほどで、聖職者たちからは「神に一番近き場所」と呼ばれていた。
「ユノ=カトリフ」は世界に点在する教会の一つでシスターを務めており、本日は大聖堂からの招集に応じて中央島にやってきていた。そんな彼女にも新聞が配られていた。
しかし銀髪に修道服の少女は、新聞よりもある人物に注目していた。
周りの教徒も同様だ。
「……教皇様、皆にお言葉を」
だらしなく玉座に座る少女の脇に立つ神父が、声をかけた。
彼女こそ、大聖堂の頂点に君臨する者。「教皇」だ。
ふわっとした白い服に身を纏う彼女は、眠たそうに目を擦り欠伸を一つする。そして、ようやくユノ達、つまり集まった聖職者を見た。
「ンアぁ……皆さん、新聞は読みましたでしょーか? 書かれてある通り、革命王の後継者という人が王位を獲得しましたぁ。彼女は間違いなく後継者の一人ですぅ」
いつもの様に彼女はだらけきっていた。
眠そうに、全く真意の見えない話をダラダラダラダラと続けて、ようやく核心に迫った。
「そこで、ここに皆さんが集まった理由をお話ししますねぇ。実はぁ、ウチも彼女に続いて王女様になってみよぉと思うんですよぉ」
「……!?」
ユノはその言葉に少なからず動揺した。
しかし、「天使」の異名を持つ新教皇はそんなこと構わず続ける。
「ウチらで手頃な国を占領して、国を作ろぉってことです。簡単でしょ?」
「占領って……戦争するということですか!」
驚きのあまり、ユノはつい言葉に出してしまった。
すぐに皆の視線がユノに集まり、一気に緊張感が増していく。
「場合によりますねぇ。このまま教皇様やっていても、どぉにもならないですし、だから、革命王の後継者であるウチも、そろそろ参戦しよっかなぁ~って思った次第でぇ」
彼女の口にした言葉は真実だ。
おおやけにはされていないが、あそこにいるぼ~っとした教皇「シェパン=ミスティ」は革命王と同じ力をもつ後継者の一人。
暗黙の了解だが、聖職者の間には共通の認識だった。
彼女がこうして教皇の立場に上り詰めているのも、彼女の異質な力による功績といわれる。
それ故か、彼女の言葉に驚いているのはユノ一人であった。
「それは、神の助言か何かですか? 独断で世界に働きかけようというのですか?」
「独断というより、ウチが神様でいいでしょぉ。それとも、反論がありますかぁ?」
「……!」
ビクッ!
ユノはシェパンと視線が合い、寒気が走った。
それは、革命王特有の迫力。
ユノは以前読んだ書物でそれを知っていた。彼らには独特の迫力があり、後継者にもその力は宿る。
だが退くわけにはいかなかった。
ユノは彼女の言動が信じられないからだ。
ここにいる聖職者は皆が教会を任される階級の者のみ。
しかしこの数十名がすべてではなく、修道院や教会には何人もの教徒が存在し、皆が神に明日を祈っている。
それらを踏みにじるような行為を、ユノは認めることが出来なかった。
「神はそのようなことを望んではいません! 国を治めるなど、我々の望むことではありません! それなのに――」
「うるさいですねぇ」
「――!」
彼女にはあんな性格とは裏腹に、もう一つの異名がある。
「じゃあ『破門』ですねぇ。二度と教会に足を踏み入れることも許しませんし、シスターとしての階級も剥奪ということで、明日からは教徒でも何でもないことにしましょう」
「――え」
「またどこかで会えるといいですねぇ」
シェパンはそう言って手を振ってきた。表情は変わらず眠そうで、いつも通りだ。
そんな彼女のもう一つの異名は「独裁天使」。
「さ、出て行け」
「や、やめてください! 神のご加護を!」
「神の御前で見苦しいぞ」
ユノは神官の男二人に腕を掴まれ、大聖堂の外へとつまみ出された。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
ドサッ!
「きゃぁ!」
「二度と顔をみせるな」
「神の慈悲として制服を剥ぐことはしないが、それは返してもらおう」
「ゃめ――きゃあぁっ!」
神官の男は胸元にあるバッジを剥ぎ取り、抵抗しようとするユノを足で蹴飛ばした。
二人の男は何事もなかったかのように大聖堂へと戻っていく。
ユノは泥まみれの修道服を身に纏い、大聖堂手前の土の道に座り込んでいた。
道行く人間からは声もかけられない。
それがこの世界の常識だった。
修道服を纏っている以上、他の人間から別世界を見るような目で見られてしまう。
「どうして……神は私を見放すのですか?」
空を見上げてみれば、灰色の雲が敷き詰められていた。
ふと、鼻筋に冷たい感触が落ちてくる。
雨だ。雨が降ってきたのだ。
「……うぅ」
なんだか景色が滲んで見えてきて、頭も重くなってくる。
ユノには行く宛がなかった。
唯一あるとすれば実家くらい。
しかし、両親から何と言われるのだろうか。両親も同じく教会の人間であるから、きっと蔑視されるに違いなかった。
「…………あ」
そこで、一人の男の姿を思い出した。
旅をしているという男。
つい何年か前に出会った彼の姿。
あの日、教会で一緒にいろんな話をして、色々な価値観を身に着けたことは、ユノにとっては貴重な経験となった。
彼は今頃、どうしているのだろうか。
「……そういえば、あの時も雨でしたね」
飢えていて、教会の前で倒れていた彼を助けた時を思い出した。
そしてふと、笑いがこぼれてくる。
「……!」
その時、頭の中を何かがよぎる。
咄嗟に先程配られた新聞に目を通してみた。
「間違いない……!」
雨の中、ユノは懐かしの彼の横顔を見て、背中を押されたような気分になった。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
その一方、ある街の宿屋に放浪商人のクリフ=クールはいた。
彼も新聞片手に溜息をついている。
「アルはん、こんな儲け話を隠すなんてひどいなぁ~」
クリフはいつかのタキシードではなく、いつもの商人服に身を包んでいた。
携帯するそろばんが自分流のチャームポイントだが、一目でそれを見破った人はいない。
「こりゃあ同行した方が得だったなぁ。運が向いてないかぁ~~」
宿のロビーにある酒場で、テーブルに突っ伏した。
「マスタぁ~~もう一杯」
「お客さん、これで五杯目ですよ?」
「飲まないでやってられっかぁ! ――なんて、一度言ってみたかったわ。マスターもノリに付き合ってくれてサンキュな。これお代ね」
「またいらしてください」
「気が向いたらなぁ~」
クリフは今まで飲んでいたフルーツジュースの値段を払うと、酒を飲んでいる陽気な商人達の脇をすり抜けて自分の部屋へと戻っていく。
「がはははは!」
「今日も酒が美味いな!」
「……幸せそうなことで」
クリフも酒を飲める歳であるが、アルコールにはめっぽう弱かった。
「ちょっくら、オレ様も思考を変えようかねぇ」
そんな独り言を残して、彼は宿の部屋に消えていった。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
さらにその一方、雪の降る町の裏路地にて一人の少女が男に訊ねる。
「新聞、読んだ?」
「ああ」
「ねえねえ、ここから近いし、行ってみない?」
「……」
少女から新聞を渡された男は、記事の写真をじぃっと見つめ、口の端を釣り上げた。
「たまにはお前の案にも乗ってやろう」
「お前っていうな! あたしには――」
「他は待機してろ。今回は俺と『アシュリー』で行く」
「ようやく名前で呼んだ。それでいいのよ。――ってもういないし!」
赤と黒の二色のフードに身を包み、脇に二本の刀を差す男は暗闇の中から消えていく。
「待ってよぉ!」
それを見て、アシュリーと呼ばれた奇抜な格好の少女も、追いかけていった。