第一章24 『ペルシャーク大陸』
「さ、寒いです~」
港に到着して早々、ルシェの感想はそれだった。
アルダも同じく寒いが、この寒さは二度目の経験であったため、対処法も知っている。
「ルシェ、まずは防寒具を揃えよう。この港町には専門店があるから」
「は、はいぃ~」
二人は早速店を目指して歩き始めた。
途中、ルシェが降り積もった雪に足を取られそうになったが、アルダが支えて大事には至らなかった。
「白銀の別世界」と呼ばれているこのペルシャーク大陸は、雪が溶けることのない年中冬の大陸だ。
その為、旅人や商人は着いた先々の港町で防寒具を揃えてから出発する。足元一つとっても、防寒具がなければこの雪原大陸を歩くことは不可能だ。
そんな冬の大陸は、アルダ達が到着した頃からすでに雪が降っている。
二人は頭に雪を乗せながら、防寒具専門店へと入った。
幸い、この手の店は独自に経営しているものが多く、そこまで値の張るものはない。高級品を買うならばある程度高いが、アルダ達にそんなものを買う余裕があるはずもなく、一番安くて濡れにくい素材の防寒具を選択した。
ルシェは体全体を覆うピンク色のロングコートと、手袋にブーツ、マフラーを購入する。
「帽子はどうするんだ?」
「濡れちゃいますから、しまっておきます」
お気に入りの帽子を脱ぐと少し印象が変わる。
ルシェは惜しむようにそれを自身のナップザックの中に詰め込んだ。
対してアルダは、もともと羽織っている黒のコートに合う丈の長い靴と、手袋、耳当てを購入した。
「アルダさん、暖かそうですね」
「ルシェだって、準備万端じゃないか」
二人は互いにその恰好を褒め合うと、金貨を払って店を出る。
そして、町の出口付近で目的を確認した。
「まずは、情報収集が先だな」
アルダは温かくなり、声の震えも先程よりはなくなっている。見たところ、ルシェも同様に、あまり寒さを感じなくなっているようだった。
「ひとまず、これは絶対条件なんだが。この大陸で野宿は不可能だ」
「そうですね。野宿なんてしたら死んじゃいます」
「ああ。だから、夕刻には確実に町や村に到着している計算で歩こうと思う。幸い、この町から近くに王都があるから、今日はそこで一泊し、情報収集も済ませてしまおう。その後は……まあ、今夜にでも会議するか」
「賛成です!」
元気良くルシェは飛び跳ねた。
ブロンドの髪も寒風になびく。
「今日は一時間くらいで到着かな。よし、王都『リルアーム』に向けて出発だ」
「お~!」
二人は町を出て、雪原に足を踏み入れた。雪は止まず、その視界は酷いものだったが、二人で間隔を縮めて歩き、数十分歩いたところで雪は止んだ。
そのまま雪原を歩いて、王都を目指した。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
「あれか……」
雪道を看板に従ってひたすら歩くと、みるからに大きな街が遠く前方に現れる。
王都リルアーム。冬の環境に適応した街の構造をしていて、城は世界中でも珍しい氷の装飾が加えられた美しい造形をしている。
城の後ろに雪山、城の手前が城下町といった全体像をしていた。
「綺麗ですねぇ」
「リルアームは世界有数の文化国家なんだ。……だけど、現在の政治体制は、あまりいい噂を聞かないな」
「どういうことですか?」
もはや口癖と化したその言葉に、アルダは真摯に答えた。
「この環境で人間が暮らすとなると、何が必要だと思う?」
「……移動手段ですか?」
「確かに、この大陸では馬車が使えない。その代わり、トナカイを使った乗り物が主流になっている」
「トナカイ?」
「うーん。あ、ちょうどいい。ほら、あれだよ」
アルダは雪原の奥を指さす。ちょうど、誰かがトナカイのソリで街へと運ばれている様子が見られた。
「す、すごいです! あんな動物初めて見ました! あれ乗りましょう!」
「一応、あれもお金を取られるぞ。ここでは商売の一つだからな」
「……やっぱり、駄目ですか?」
「無駄なことに使わない方がいいだろう。俺達は今日を生きるだけでも精一杯だからな」
「むぅ……ということは、必要なのはトナカイですか?」
「不正解。正解は、暖房設備だ」
「暖房設備なら、魔法を使えばいいじゃないですか」
ルシェの意見は間違ってはいない。しかしそれには、欠点がある。
「魔法が使えない人はどうする? 魔法は誰しもが使える代物じゃない。ルシェは叔父さん達から教わったらしいけど、そもそも魔法は、個人の素質が重要なんだ」
「素質ってことは、使えない人もいるんですか?」
「ああ。俺は全くできないな」
「アルダさんでも?」
「どんな人にでも生まれ持った性質があるからな。生まれた瞬間、体内に魔力が存在している。加えて、魔法を使うための知識を学んだことがある。そんな人じゃないと、魔法は使えないんだよ」
そう言ってアルダはふと、ナインのことを思い出す。
彼女は学園でも魔法の専攻を受けていたし、特別優秀だった。特に、占いに用いるような闇属性の魔法を得意としている。
基本的に魔法は、七つの属性から成り立つ。
火、水、土、雷、風、光、闇。
これらの属性のうち、一つを使いこなせれば有能。――それが、この世界における常識である。
ちなみにアルダは、このどれもが使えない。それもまた素質によりけりで、使えない人には一生使えず、いくら知識を溜めこもうと不可能らしい。
「魔法を使えない人にとって、この寒さを凌ぐのは容易じゃない。いつも防寒具を身に纏っていればいいかもしれないけど、それは自分の責任としてなら平気だ。しかし、店を経営するとどうだ? 客に防寒着を強制する宿なんて、入りたくないだろ?」
「……そう言われると、そうですね」
「だからここの王国は、ある体制をとった。魔法が使えない人への措置、魔法による暖房提供だ。けれどそれには欠点があった。国が独自で運営しているんだが、結構な料金を取られるらしい」
「え、じゃあ……」
「あの街をここから見ても分かるだろ?」
歩きながら、アルダが再度街を眺めた。
「住居と住居の屋根の上を、大きな配管が伝っていますね」
「あれを通して火の魔法の一種を民家に送っているんだ。その証拠に、配管は奥の城に集約している」
「あ……」
「まあ、あまり感じのいい景観じゃないな」
「……」
その後、ルシェはあまり言葉を発することはなく、気が付けば街に辿り着いていた。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
二人は宿を探してそこで一泊する準備をした。
次に街を散策し、例の噂の情報収集に臨む。
「さて、どこから行くか」
「あの……アルダさん」
「なんだ?」
「この街の人達、どこか元気がないですね」
「……それは俺も気になっていた」
誰もが最初に感じるであろう、この街の雰囲気。それはどこか沈んだような暗いものだ。
人の数もそうだが、旅商人と思われる者以外、おそらくこの街に住んでいるだろう国民が、揃って下を向いて歩いている感じがする。
しかし空を見たところで、あるのは灰色の雲の層と、奇天烈に巡らされた配管しかない。
「これじゃあ、誰に訊いても答えてくれそうにないな」
「どうしましょう?」
「とりあえず、人の集まっているところに向かおう。こんな雰囲気でも、ここはこの大陸の首都だ。情報収集にはこれ以上ない場所だからな」
アルダの提案で、二人は依頼掲示板があるという「憩いの館」という場所に行ってみることにした。
街の所々にある案内板を使い、二人は迷わずに到着する。
憩いの館と呼ばれるその場所は、ひときわ大きな柱状の施設で、第一印象としては、そこに木が生えていたからそれを利用して作ったという感じの店だ。木製のそれは、中から灯りが漏れている。
中に入ると、外と違って一定の賑わいが見られた。
装飾は大人の雰囲気を漂わせた渋いもので、灯りがあるのにどこか影を感じてしまう。
ここは食事処としても活用されているらしく、奥にはカウンター席があり、手前にはテーブルと椅子が配置されていて、商人然とした男や女が話し合っているのが見える。
さすがに、昼間から酒を飲んでいるような陽気な輩はいなかった。
この建物は三階建ての構造で、一階と二階は食事処。
三階には依頼掲示板や騎士の駐留施設があるらしい。
「あ、あの、ここって私達には場違いなんじゃ……」
「そうだな、確かに落ち着かない。三階に行くか」
二人はそこに五分と立ち止まることなく、三階へと上がっていく。
辿り着いた三階の雰囲気は下とは比べ物にならないくらいの静けさを帯びていた。
簡素な場所で、依頼掲示板と休むスペースがある程度。奥には騎士達のスペースがあるらしく、扉で区切られている。
「……騎士の人に訊いてくるから、少し待っていてくれ」
そう言い残し、アルダは扉の向こうへと消えていった。
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アルダが行ってしまい、ルシェはすることもなく依頼掲示板を眺めることしかできなかった。
誰かに訊ねようにも、ここにはルシェしかいない。
「……あ、これならできそう」
そんなことを呟きながら依頼掲示板に目を通していると、階段を上ってくる音がした。
そちらを向くと、目深に帽子を被った痩躯なコートの男がやってくるのが見えた。
ルシェよりも年上であろう細長の体格をした男は、見た目からして近寄りがたい。
「本当に、騎士を頼っていいものだろうか」
しかし、男はそんなことを呟きながら、ルシェに気付くことなく通り過ぎていった。
それと入れ替わるようにして、アルダが戻ってくる。
「ルシェ、お待たせ」
「何か掴めました?」
「弟の情報はないが……あれに関しては、宿に戻ってから報告するよ」
「それじゃあ、もう宿に?」
「ああ。今日は疲れたから帰るとしよう」
二人はとりあえず宿へ向かうことにした。