第一章21 『姫様と旅人』
舞踏会が始まった。
先程まで閑散としていた空間も、今は料理が並べられて緩やかな音楽がかかっている。
参加者は十人十色で、食事に集中する者も、踊りに熱中する者も、世間話を繰り広げる者もいる。
そんな中アルダは、メイドのミリィと共に目を見張らせながら、自然を装いつつも食事を済ませていた。
舞踏会の終了まで、およそ二時間の戦いとなる。
「おぉ、この料理美味しいな」
「本当ですか?」
「もしかして、ミリィが?」
「えぇと……実は私、料理が得意なんです」
戸惑いながら、ミリィは声を細めてそう言った。頬が少し赤く染まっている。
「へぇ。さすがメイドだな。まさにメイドの鏡だ」
「そ、そんなに褒めてもらえるなんて、過大評価すぎますぅ」
「いや、本当に美味しいから。過大評価なんてことはないな、これは」
「……ありがとうございます」
そんなことを話しているうちに、周りの歓声が聴こえてきた。
「な、なんだ?」
「ソフィア様のご登場のようです。アルダ様、あちらですよ?」
ミリィの細い指が示す方角には、シュヴァンと共に華やかなドレスに身を包む海色の髪の少女がいた。
アルダも名前くらいは知っている。
彼女はいい跡継ぎになるということで巷でも有名人だった。
「……綺麗だな」
「え、そ、そんな」
「姫様のことだぞ?」
「ですよね。いいんです。私なんて」
「別にそこまで落ち込む必要ないと思うが……。あ、もうあんなに人が集まってる」
国民や商人に囲まれている姫。
ミリィはそれを見て、アルダに微笑みかけてくる。
「まだ舞踏会は長いですし、ゆっくりしていませんか? シュヴァンさんの合図で話しかけに行くことにして、私達はその、夫婦に見えるように振舞わないと、いけませんし」
「そ、そうだったな」
シュヴァンからはそう指示を受けていた。こちらの役柄は国民夫婦だ。
「あ、あなたって呼んでいいですか?」
「確かに、そっちの方が現実味あるな。頼むよ」
「あ、あなた。えと、んと……夫婦って何を話すんでしょう?」
「俺に訊くのか? まあ、料理美味しいな。――とかでいいだろう」
「それだと、先程と変わりないような気もします」
「じゃあ、どうする?」
「……あなた、この料理美味しいですね。こんな美味しい料理が作れるなんて、よほど腕のたつシェフを雇っているのでしょうね」
ミリィは自分で自分を褒め始める。それに伴い、顔がどんどん紅潮していった。
「そ、そうだな。けど、ミリィの方が上手に決まってるだろう?」
「――!? ん、んもう、あなたったら口がお上手なんですからぁ!」
「そ、そんなことないぞ! ははは」
もう、半ばヤケクソになっていた。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
「あの二人、何やっているのかしら」
離れた位置からアルダとミリィを監視していたのは、ルシェとセアリアとテトラの、設定上は商業を営む三姉妹だ。
「アルダさん、何だか楽しそうですね」
顔を赤くして食事をしているのが、遠巻きにもわかる。
あながち新婚夫婦に見えなくもない。
「あーあ。じゃんけんで負けなければ今頃はテトラがあそこでお兄ちゃんに、あ~ん。――ってしてたのになぁ」
「なに言ってるのよ『テト』。それはわたくしの役目でしょう? ああ、ミリィはどうしてあんなに下手なのかしら。わたくしが手本を見せつけたいわね」
「お、お二人とも、シュヴァンさんから合図が送られたみたいですよ!」
二人を注意深く見ていたルシェは、あの二人がすぐに食事の手を止めたのを見た。
そして、自然を装って姫様へと近づいていく。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
「あなたが……」
「は、はじめまして。アルダ=メンシアと言います」
「シュヴァンから聞いています。ミリィもご苦労様」
「は、はい」
ソフィアはアルダに微笑んできた。
その笑顔は思わず見とれてしまうものがある。
「魅力」と一言で表現していいものかどうか、誰もが一瞬躊躇うであろうその姿には、姫としての風格ではなく一国の代表の様な輝きを思わせた。
アルダは一目で、王様よりも彼女の方が支持されている理由が分かった。
その存在だけで頼りになる。信頼できたのだ。
「一つ、よろしいですか?」
「……! え、ええ」
まさか、彼女の方から話しかけてくるとは考えてもみなかった。
「アルダ様は、商人として世界を回っているのでしたね」
「はい」
ここは、シュヴァンが打ち合わせしていた商人という設定を彼女も遵守しているようだ。アルダは自然と彼女に合わせた。
「その、世界の景色というものは、どのようなものなのでしょう? この世界は果たして、誰もが笑いあえるような楽園でしょうか?」
「……それは断言しかねます。自分が二年間で見てきた景色は、この世界に押し潰されている者や、神の啓示を本気で信じるしか救いの道はないと言い切る者の姿でした。彼らと関わり、改めて感じたことは、この世界には『希望』が足りないことです」
「成程、耳が痛くなりますね。しかし、それは真実でしょう。私もそのような報告を聞いていました。ではやはり、現世界の仕組みに問題があるとお思いですか?」
「そうですね。一つの意見としては、商業団体に所属する資格であるところの『学園の卒業』という点が厳しいと思います。小さな村には学業施設の設備が甘いですし、そういった環境で育つ子供達は、幼くして親元を離れて学業に励むか、学園には通わず村の農業を手伝うかの二択しかありませんから」
「……そうですか」
ソフィアはどこか苦しげな表情を浮かべてから、一人で頷いた。
「では、もう一つよろしいでしょうか?」
「はい。何でも訊いてください」
「アルダ様の好きな方……好意を寄せる女性が他の誰かを好きである時、どうしますか?」
「……へ?」
アルダは思わずミリィの方を見る。
ミリィもこれに関しては驚きを露わにしていた。
次にシュヴァンの方を見ると、真剣な眼差しでアルダを見ている。その視線はまるで、答えてくださいとでも言っているようだ。
「そうですね……。どうしても好きなら、振り向かせる努力をします。――それでも相手が嫌がるようなら、無理強いはしませんね」
「成程、そうですか。ありがとうございます。参考になりました」
「い、いえ。自分はそんな経験がないですから、参考になるかどうか……」
「そんなことありません。アルダ様には感謝いたしております」
「……」
それだけの会話でアルダの時間が終わった。
ミリィと共に先程の場所へと戻っていく。
「あの、アルダ様」
「ん?」
「先程の話は、二年間旅をしてきた話ですよね? 何か、あったのですか?」
「――!」
ミリィの言葉に一瞬どきりとした。
「ど、どうしてそう思うんだ?」
「いえ。私、昔から勘だけは鋭いので、そうかな? ――と思いまして」
「……まあ、そんなところだ」
「もしかして、聞いてはいけませんでしたか?」
「いや。そんなことないさ」
アルダは近くにあった飲み物を飲んでから、少し間をあけて話し出す。
「そうだな、二年間で印象深いのは、あの二人になるか」
「あの二人?」
「一人は、自分の父親が大商人だったから同じ道を歩もうとしている男。もう一人は、幼い頃から修道院で育って、今は教会のシスターを務めている女の子。あの二人は、今でも印象深い」
「……命の、恩人とかですか?」
「そういう関係じゃないが、価値観の違いを一番感じた人達さ。忘れることはないだろうな」
「大切な人、なんですね」
「そうなるかな。向こうはどう思ってるかわからないけど」
「きっと、同じだと思います」
「……ありがとう。ん?」
そんな会話をしていると足音が聞こえてきて、振り返ると、アルダは声が出なかった。
「……アルダ様?」
「まったく、むず痒くなること言うねぇ、『アルはん』ったら」
タキシードに身を包み、妖しい笑顔を浮かべていた茶髪の男は、開口一番そう言った。
「どうして……」
「あの、アルダ様?」
「あ、ああ。こいつが――」
「『こいつ』とか言っちゃう? 冷たいなぁアルはん。でもビビったぜ? オレ様に内緒でそんなかわいこちゃんと一緒にいるんだもんなぁ。どした? もう入籍の話が出てるんだとすりゃあ、オレ様が得する結婚式をプランしてやるぞ? 知り合い価格にしてやろう」
「え、えぇと、どういうことでしょうか……」
「からかうのはよせ。ミリィが目を回したぞ」
「にゃははは、こりゃ失敬。まだそこまで至ってないというわけだな。しかし、そんなイイ女は滅多にいないんだ。逃がすんじゃないぞ?」
「……はぁ、もう何も言わん。ミリィ、これがさっき噂していた男だ」
「え?」
紹介されると、男は胸ポケットからそろばんを取り出してニコッと笑う。
「そう。オレ様が噂のその人よ。『クリフ=クール』。よろしくねぇ、ミリィちゃん」
「は、はぁ」
「――で、なんでいるんだ? お前には似合わない場所だろう」
「舞踏会は姫様と会えるチャンスだ。そう聞いたら飛んでくるに決まってるさ」
「あ、あの……」
ミリィはおずおずと話に入ってきた。随分とかしこまってクリフに訊ねる。
「クリフ様は、どのようなことをされている方なのですか?」
メイドとして、危険人物を姫に合わせるわけにはいかないのだろう。彼女のそれは賢明な質問だった。
しかしクリフは、疑いをかけられているとも知らずにそろばんを弾いて断言する。
「『流れ者商人』って、カッコよく言ってみるかなぁ」
「流れ者商人?」
「要するに、独立した商人ってことだよ」
「独立……このご時世だと商人の独立は厳しいですよね。大手の団体に市場は占領されていますし、商品の確保も……」
「そ。だけどオレ様は、そんなんじゃ諦めないよ。今は、市場じゃ出回ってないような不思議な物を売ってるけど、その場凌ぎでしかない。そこで、姫様と商談をしようとしたんだけど、やっぱり厳しいって釘刺されたところさ」
この世界で働くとなれば、大抵の人間が何らかの団体や機関に所属する。
例えるなら、海産物に至ってもそうだ。
海が広がっているこの世界では、当然、魚介類も食されている。
では、その魚は誰が仕入れているのかというと、漁業専門の団体がそれにあたる。
海産機関の代表「螺旋海団」。
そこの頭領である「アラシマ=キテツ」がおよそ三百隻の船を保有していて、機関に所属するメンバーや、他の小単位漁業団体にレンタルしている。
漁場も螺旋海団によって指定されていて、占有時間や船出の許可は螺旋海団が出す。
捕ってきた獲物は、その個々の団体で売りに出すことが出来る。その相手となるのがサービス団体であり、彼らが海産団体から商品を買い、値段を提示して町や村で売りさばくことになっている。
機関のトップとなる螺旋海団は、漁場の指定や船の貸し付けをしたり、海賊の討伐や団体の統括などを担当していて、主に世界中の団体を管理するのが役目だ。
つまり、商人が独立して店を出すとなれば、団体同士の提携もなく、商品が回ってこないという点から、厳しいということになる。
商品を買うにしても、大量購入する際の資金は個人負担で、その分の利益が出せるかといえば、赤字間違いなしだった。
「別の方法を模索すればいいだろ」
「それはダ~メだ。オレ様はそんなんで妥協しないっての。どうせなら、あのトップ団体の連中を統括するくらいの位置まで行くけど、ありゃ、頭がよくないと無理だろ?」
「まあ、確かに」
「自慢じゃないけどオレ様は馬鹿だ。でも、誰かに何かを売って、儲けたいって気持ちなら負けん」
「――結論は?」
「まだ諦めらんねえなぁ」
「……そう言うと思った」
「ハハッ。そんじゃ、お二人のラブラブダンスを邪魔するわけにもいかんし、そろそろ別の町を目指すとするかな」
「もう行くのか?」
「なんだぁ。オレ様がいないと淋しいのかぁ? 可愛い奴だなぁ。――けど俺様はそういう趣味じゃないから、勘弁してくれ」
「誰もそんなつもりで言ったわけじゃないぞ」
「にゃはは。そんじゃミリィちゃん、またね」
「あ、はい」
アルダとクリフの話を邪魔しちゃいけないと思ってなのか、ミリィはいつの間にか少し離れたところで食事をしていた。
「あ、そうそう」
「?」
クリフは、くるりと向き直ってアルダの方へと歩んでくる。
「な、なんだ?」
「オレ様も。アルはんのことは大切だぜ。ま、同性として友人として、な」
「……そうかよ」
「にゃはははは。そ。んじゃあ、また逢うことがあったらよろしくな~」
クリフはあの時と同じようにそう言って、躊躇うことなく会場を後にした。
「変わった方ですね」
「ああ。でも、ああ見えて女子からはモテるんだぞ?」
「そうなのですか?」
「ああ。あいつと一緒に仕事をやったことがあってな。街の喫茶店のウェイターだったんだけど、女性客を相手にしたら、あいつがテーブルに行った時の方が喜ばれてたんだ」
「――! そ、そんなことないですよ! 私はアルダ様ラブです!」
「え?」
「……あ、その、ご主人様として、です」
「はは、ありがとう」
アルダは心の中で少し落ち込んだ。
――そんな時、ミリィが何かに気付いたようで、アルダの両手をとってくる。
「――え?」
「アルダ様、お願いします」
そう言ったミリィにリードされながら、アルダはステップを刻んだ。ずっと流れているゆっくりとした曲に身を任せ、踊り始める。
「これって、まさか……!」
「はい。私達は自然を装うため、このまま踊り続けましょう」
「でも、いいのか?」
「あとはシュヴァン様とセア達がいますので」
信頼していることがわかる微笑みをアルダに向け、ミリィは先程よりも楽しげな表情へと変わる。
「ミリィは、踊るのが好きなのか?」
「はい。踊るのも歌うのも大好きです」
「そうか……。なら、あっちは任せて、こちらは役目を果たすとするか」
「ありがとうございます!」