第一章14 『ヘブンベル王国』
アルダとルシェは、村を出てから港町で定期船に乗り、シルバーヘント大陸から次の目的地である「ヘブンベル王国」のある「バストゥーユ大陸」へと向かっていた。
世界最大の貿易都市「フォード」。
そこが目的地なのには理由がある。
アルダがどこへ行こうか迷っている時に、ルシェが人の多いところなら情報が掴めるかもしれないと言うと、流れでフォードに決定した。
「お、見えてきたぞ」
甲板の上でアルダが遠くに見える巨大な水上都市を指さした。
「あれですか?」
「ああ。海の上に浮かぶようにみえる街、あれがフォードだ」
「どうして海の上にあるんですか? 陸の上じゃ駄目なんですか?」
「駄目なんだ。貿易都市と呼ばれるように、あそこには頻繁に貿易船が渡来することになる。ああやって、三百六十度が港のフォードなら、どこからでも貿易船が入港できるし、俺達の乗ってるような移動目的の定期船だって、港が広ければ広いほど、大量に入港できる。海の上にあるのは、海上貿易の利点を生かして効率を上げるためなのさ」
「成程ぉ……」
ルシェは遠くに見える都市をまじまじと見つめ、うずうずしていた。
それはアルダも同じで、あんな大都市に行くのは久しぶりである。
「ルシェ、一応言っておくが、人の数は今までの場所とは段違いだ。十倍以上って考えておいた方がいい」
「は、はい」
「それと、人が集まるところに盗み有りって言ってな、俺達みたいな田舎者はとびきりの獲物だから、持ち物の管理はちゃんとするんだぞ?」
「わ、わかってます!」
ルシェはナップザックを抱えるように持った。
「よし」
「あの、着いたら、まずはどうするんですか?」
「そうだな、宿をとるのが先になるか。それから忘れちゃいけないのが、俺達は無職ってことだ」
「……あ」
「でも、ああいう大きな町には依頼掲示板っていうのがあって、そこには国民たちの些細な願い事が掲示されている。それを叶えた報酬に金貨をもらえるから、まずはそこで仕事でも探そう」
「そ、そうですね。無一文じゃ海も渡れませんし、食事も宿もないですもんね」
「そういうこと。まあ、依頼って言っても、命懸けの依頼は受けたくても受けられない。傭兵団に登録されているなら話は別だけどな」
「ようへいだん?」
「それはまた今度だ。ほら、もう少しだぞ」
アルダは、迫るフォードに顔を向けた。同じくルシェも目を輝かせてフォードを見つめる。
二人は新たな都に、少なからず心が躍っていた。
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フォードの中央には、大きな真白の宮殿がそびえたつ。
壁は海の潮風にも耐えうる特殊な素材を用いていて、サビは全くなく、むしろ輝いている。
ここ「ウミネコ城」にはバルコニーがあり、そこからは海一面と、海上を行き来する船団が見えた。
そんな場所に、この国の王女「ソフィア=クローゾフ」はいた。
彼女は麗しい海色の髪を風になびかせ、ドレス姿のまま優雅にティータイムを楽しんでいる。
ソフィアは由緒正しき王族の娘で、クローゾフ家の八代目皇女。世襲制のヘブンベル王国では、彼女が次期国王、女王となる人物だ。
「シュヴァン。これからの予定は?」
ふと、彼女は隣にひっそりと佇む細身の紳士に訊ねた。
紳士の纏う黒い燕尾服は彼の痩躯を特徴的にしている。彼は白いグローブをはめた手を胸に当て、手帳を取出し読み上げた。
「これからの予定はありませんね。ごゆっくり、休暇をお楽しみください。ですが、わかっておられますように……」
「はぁ……外に出るのは禁止、ですわよね?」
「はい。その通りでございます」
ソフィアは退屈そうな顔を浮かべて、不服な視線を専属の執事に送る。
年齢不詳の彼は「シュヴァン=ロスト」。王女ソフィアの直属の執事にして、城内のメイドや料理人の取りまとめ役でもある勤続十年のベテランだ。
彼を雇ったのはソフィアだが、出会った当初は、彼がここまでの執事になるなんて誰も想像もしていなかった。
五歳の頃から一緒のシュヴァンには、当然のようにソフィアの考えも読まれてしまう。
実際に、このお茶の時間を提案してきたのも彼。……執事としては完璧だった。
「今日の予定はもうないですわよね? では、明日の予定は?」
「明日は、アスベリック家との会食があります。その翌日には、王国主催の舞踏会です。もちろん、姫様にもご参加していただきます」
「舞踏会は楽しみだけど、会食は面倒ですわね。ただ食事するだけならまだしも」
「そう仰らないでください。アスベリック家とクローゾフ家は代々、このバストゥーユ大陸の領土を統治しているんです。姫様が拒んでしまえば、両家の間に――」
「わかりましたわ! もういいです。参加します」
「さすがです。姫様」
チラとシュヴァンを窺うが、その変わりのない表情からは真意を読み取れない。
そして、彼の顔を見てふと思い出す。
「そうでした。舞踏会は二日後ですわよね?」
「ええ」
「舞踏会用のドレスを発注してあるので、取りに行ってもらえる?」
「お任せ下さい」
シュヴァンはそう言い、一つお辞儀をしてから下がっていった。
こういう時のシュヴァンは恐ろしく行動が速い。三十分と待たずに戻ってくることだろう。
ソフィアは海に顔を向け、紅茶を飲んだ。
二日後の舞踏会は、国民も商人も参加できる大イベントだ。
ソフィアは昔からそういった祭りが好きで、つい羽目を外しそうになることもある。
父である国王からは、厳重に注意を払うように言われているが、どうしてもテンションが上がってしまう。
誰でも参加できる。――ということは、誰が命を狙ってくるのかわからない。
そういうことなのだが、楽しいことを楽しむのがソフィアの信条だ。
「……二日後ですか」
二日後。そう口にしてまた嫌なことを思い出した。
明日行われるアスベリック家との会食は、不快で仕方がない。
実はあそこの一人息子とソフィアは将来を有望視されており、結婚相手に決められている。いわゆる許嫁というものだ。
ソフィアはそれが嫌だった。
結婚のことは書物で読んだことがあるし、恋愛感情も多少は理解している。
だからこそ、相手は自分で選びたい。生涯の伴侶となる人物は、自分で選定したいのだが、そんな願いを父や母は聞こうともしてくれない。
「あ~あ」
王女らしくない言葉を口にして、水平線の彼方を遠く見つめた。
「姫様、どうなされたのですか?」
ふと、後ろから声をかけられる。振り返ると、城に勤務しているメイドがいた。
「私、変でした?」
「なにか、お悩み事があるように思えて……」
「そんなことありませんわよ。ただ――」
「ただ?」
もう一度、海を見た。
「私はこんなにも、世界を知らないままでいいのかと思いましたの」
そう呟いたソフィアの顔は、少しだけ寂しそうだった。




