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神様はきまぐれ

 厄日とは、今日のような日のことを言うのだろう。


 朝起きたらひどい寝癖だわ、急いでドライヤーかけたらいきなり壊れるわ、うっかり電子レンジも一緒に使っちゃっててブレーカー落ちるわ、ブレーカー戻してもレンジは息を吹き返さずそのままご臨終だわ、やむを得ずひさびさに使ったヘアアイロンは女子力の低下からかうまく使いこなせないし、蛍光灯はなんだかチラチラしてるし、冷蔵庫からもあんまり調子よくなさそうな嫌な音してるけど、給料日が2週間先でさすがにまだ買えない。


 壊れる時って、なんでこう、一気に壊れるんだ。というか、嫌なことってなんで重なるんだろう。そんな風に思いながらドアを開けたところで、なんの前触れもなくパンプスのヒールが折れた。イマイチ安定悪いなとは思ってたけど、まだ2、3回しか履いてないのに。妥協して安いの買ったせいで、とんだ銭失いだ。当然のようにストッキングも破れてる。勘弁。


 幸い今はさほど忙しくない。そして今日は金曜。仕事終わったら憂さ晴らしがてらDVDレンタルして、牛丼アタマの大盛り持ち帰って、自堕落に過ごしてやるんだ!そして、気を取り直して明日いろいろ買いに行くんだ!そう決めていたのに。


「なんでそんな、ささやかな願いも、叶わないんだよう……」

 不本意な残業中、現実逃避したくなって、思わずつぶやく。




 もちろん残業なんかするつもりはなかった。


「きゃあーーーーー!!」

 終業間際、新人の杉山さんの声がフロアに響き渡る。新人といっても、もう半年近く経っているけど。うるさいな、もう少し静かに仕事できないの?と思いながら、一応そちらを見た。

「どうかした?」

「あと少しってところで、ファイルが、急に、強制終了しちゃって、全部消えちゃったんですう」

 彼女は泣きながら言う。とりあえず仕事中に泣くな。君、午後いっぱいその作業やってたろ。なんで、途中で上書き保存しないんだ。意味がわからん。


「あせって元のフォーマットが入ったファイル開いたら、そっちもうっかり消してしまって……」

 データなんてそんなうっかり消すもんじゃないだろう。しかも、こっちのファイルはなぜかご丁寧に上書き保存した上で閉じてる。コントか。

「バックアップは?」

「ば……っくあっぷ?」

 あかん、この子、危機管理意識ゼロだ。


 ファイル名を見てみると、同期の営業、佐藤が使うデータだ。佐藤は今日……とホワイトボードを見る。出先から直帰の予定になってる。月曜に使うはずだから、今日仕上げとかないとまずい。


「課長」

 一応状況を報告しておかなければならないだろう。聞こえてただろうけど。

「杉山さんが月曜に必要なデータを飛ばしてしまったのですが、どうすればいいでしょうか」

 どうもこうも、入力するしかない訳だけど。

「残業許可するから、悪いけど誰か今日引き続き入力してくれないかな」

 ですよねー。


 月曜にこのデータが必要なんだけど、元データも死んだからそっちも復旧しなきゃダメで、普通の状態で午後いっぱいかかってたこの子が錯乱した状態で終わる訳ない。

 となると、同じシマの私か同期の戸田ちゃんかのどちらかがやらねばなるまい。課長もそう思ったから「杉山さん」じゃなくて「誰か」って言ったんだろうし。同じことを考えたんだろう、眉根を寄せた戸田ちゃんと目が合った。


「あ……。じゃあ、私が……」

 そう戸田ちゃんが言いかけたので、あわててさえぎるように申し出る。

「課長!残業手当出るんですよね!」

「……まあ、仕方ないから」

「じゃ、私がやります!」

「悪いけど、よろしく頼むね」

 ちっとも悪く思ってなさそうな口調で課長が言った。


「その、よかったの……?」

 戸田ちゃんが小声で訊ねてくる。

「まあ、予定があった訳じゃ、ないし。戸田ちゃん、今日、デートでしょ?」

「え!」

 普段冷静な彼女がものすごくびっくりしてる。

「最近なんか幸せそうだし、今日、午後から、一つ仕事片づけるたびに、すごくそわそわしてた」

「……ばれてた?」

「ばれてた。今度洗いざらい聞かせてもらうから。今日は帰ってよし!」

「……ごめん、恩に着る」


 私が残業を引き受けたのは、別に後輩のためじゃない。データの不備で佐藤の営業が失敗したら会社の不利益だし、なによりおひとよしの戸田ちゃんが仕事をかぶってしまいそうになっていたからだ。

 戸田ちゃんはさっぱりした性格の美人さんだが、ガードが固いというか、同期の私にも一線を引いて接するところがあった。が、このところダダ漏れなんである。幸せオーラが。幸薄そうな雰囲気がろくでもない男を惹きつけているんだろうな、もったいない、と思っていたので、大変嬉しい限り。これを機に、私にもう少し心を開いてくれるといい。ついでにあやかりたい。


「広瀬先輩ー!ごめんなさああい」

「あー、うん。大丈夫、後はやっとくから」

「あ、あ、あたし、どうしたらいいですかああ」

「あー、うん。今日はもう帰っていいよ。ゆっくり休んで、週明けまた気を引き締めて仕事に取り組んでね」

「先輩……」

「ほんと、気ぃ遣わなくて、いいからね」

 むしろお前がここにいると気が散るから早く帰れ。邪魔だ。

「ありがとうございます!また、来週よろしくお願いします!」

 そう言うと彼女は晴れやかな笑顔で帰っていった。


 たぶん、杉山さんも、今日はデートだ。なぜなら、同期の最後の一人、営業の高田と付き合っているから。


『どんな時でも、にこにこ笑顔で対応してくれるところに、惹かれたんだ』


 そう、言ってたな。

 まあ、笑顔でいられるよね。面倒なことを全部他の人が引き受けてくれれば。

 つい、そんな風に辛辣に思ってしまうのは、完璧に私情が入っている。好きというほどではなかったけど、高田のことがちょっぴり気になっていたから。


 縁故入社で、仕事できなくても生活は保障されてて、いつもキラキラした笑顔の可愛い女の子で、入社早々将来有望な男子に惚れられ、結婚を前提にしたお付き合いをしていて、毎日とっても楽しそう。

 かたや。

 お祈りメールまみれでようやく雇ってもらえた会社に就職し、雑用を山ほど振られる割に特に仕事が認められるということもなく、笑顔が保てないと陰でこえーと言われ、将来を考えると下手にお金も使えないなと思った結果イマイチぱっとしない格好になり、何年も彼氏はいなくて、不運の見本市ドミノ倒しかという今日みたいな日はせめてジャンクなものを食べながら映画見てやる……!と思っていたのに、そんな小さな野望も叶わず。


「あかん。卑屈だ」

 女子力が高いとか、恋愛強者とか、そういうのだけが幸せじゃない。そして、自分は決して不幸な訳じゃなくて、もっと過酷な状況におかれている人はたくさんいるはずだ。むしろ、不自由なく生きていけることに感謝すべき。

 でもさあ。

「なんでそんな、ささやかな願いも、叶わないんだよう……。そんなに贅沢なこと、願ってるつもりじゃ、ないんだけどな……」

 思わず未入力データの紙の山を見つめる。

「神は死んだ……」




 くすくすと笑い声が聞こえてきたので、思わず振り向く。

「なんだかえらく物騒だね」

「うひゃあ!!」

 完璧に一人だと思っていたからこその独白だったのに!ちょ!やめて!

「うひゃあとか、ほんとに使う人、初めて見た」

「さ、さ、佐藤……!きょ、今日、直帰じゃなかったの……?」

「そうだったんだけど。帰りがけに忘れ物に気づいて、戻ってきたー」

 佐藤はにこにこ笑いながら言う。

「そ、そう。おつかれさま!」

 どこから、聞いてたの!とツッこむと、死ねそう。気まずいので、さっさとデータ入力を終わらせて帰ることにする。


「それ」

「え」

「俺のデータじゃん」

 紙の束を見て、佐藤が言う。

「うん。杉山さんがファイルクラッシュさせてさあ」

「ええ、ほんと?」

「月曜に使うでしょ、これ。でも、あの子じゃ絶対に終わらないから、私が代わりに」

「それは申し訳なかった」

 と、佐藤は全然申し訳なくなさそうに言う。

「でも、正直助かる」

「なんで?」

「彼女、入力ミス多くて。確認と修正に毎回めちゃくちゃ時間取られてたんだ」

 営業事務の意味、まるでないな。むしろ足引っ張ってるやないかい。


「……!毎回修正してるってことは、もしかして、この元データ、というか佐藤の修正版、今、手元にある?」

「んー?……ああ、あるよ、もちろん」

 私の入力画面を覗きこんで、佐藤がのんびりと答える。

「ちょうだい!それがあれば、今打ったデータをコピペすれば7割方終わるから、全然違う!」

「そりゃ、会社戻ってきてよかったなあ」

 そう言って笑顔でUSBメモリを貸してくれた。


 もらったデータは作業効率を考えて改変してあって、7割どころか9割方終ったと思う。

「やったあ!佐藤!あんた神!」

「どっちかっていうと、俺のいない間になんとかしてくれようとしてた、広瀬こそ女神だと思うけど」

「助かったああ」

 ほっとして、思わず息をつく。


「あ、ごめん。ためいきとかついて」

 不思議そうな顔で佐藤が私を見る。

「ためいきも自由につけないなんてひどい話だね。俺の前では全然かまわないよ」

「感じ、悪くない?」

「悪くない。音楽の授業で習ったんだけど」

「音楽?」

 急に話が飛ぶのでちょっと困惑する。


「歌うのって肺活量必要だから、素人は息吸う時に力込めようとするけど、うまく空気吸い込もうと思ったら、ちゃんと吐き出しておかないとだめなんだって。だから、ためいきは単に吸うだけの深呼吸より、むしろ効果的なんじゃない?」

「ふうん」

 明らかに息吸おうとしてる方ががんばってる感じするし、ためいきの方が感じ悪いのに。印象って当てにならないな。


「あとどれくらいで終わりそう?終わったらお礼になんでも奢るから、夕飯食べに行こう」

「えーっと……見直し込みで15分くらい?」

「わかった。待ってるー」

 そんな流れで、私は佐藤と夕飯を食べることになった。




「まさか牛丼屋とは」

「今日はさー、すっごいジャンクなもの、食べたかったんだよね。朝からろくなことなくって!」

「まあ、そういう日もあるよね」

「あ!見えないってよく言われるけど、いつもはそこそこ自炊してるんだよ!」

 思わず言い訳してしまう。

 本当に、普段私は真面目に自炊している。料理は好きだし、倹約したいからだ。栄養バランスもわりと考えて生活している方だと思う。週末は常備菜作りに充てているくらいだ。

 でも、たまに、そんなの全然考えずに食べたい時もある。今日みたいにやるせない日は特に。スナック菓子とかチョコレートとかファストフードとか、あんまり身体によくないって言われるやつ。たぶん、そういうのを小さい頃あまり食べさせてもらえずに育った反動なんだろう。


 佐藤が、不思議そうな顔をする。

「料理上手いなって、思ってたけど?」

「え?」

「弁当、見るたびに旨そうだったから」

「あー……」

「なんか、渋い顔」

「ちょっと値切られた思い出が、よぎった」

 家庭的だと判断されると、なぜか金掛けずに済んでラッキーという方向になって、たまに外食に行くことになってもいつも安いお店で割り勘ということになる。そうならない女の子なんて、山ほどいるのに。


「別にいつも高級店で奢れとか言いたいんじゃないんだ」

「安いとこでも、ちょっといいとこでも、どっちも楽しめたらいいよね」

「うん。どっちかっていうと、安いお店で楽しめるといいなあ」

 安いお店が嫌なんじゃなくて、こいつはこの程度でいいという扱いにスライドされるのが、すごく嫌。親しみやすいってよく言われるけど、それがいい方向に働いた試しが、ない気がする。


「私が求めてることって、ささやかだと思ってたんだけどなあ。なんで叶わないんだろ」

「ささやかでも叶わないことはあるよね。タイミングとか、相手の度量の広さとか、いろいろあるしね」

 佐藤は淡々と、でも理詰めで回答する。

 以前の私は「そうだね」とか「そんなことない、大丈夫だよ」とか、根拠なくただ肯定してもらうことを求めていた気がする。でも、それって、実は何も聞いてなくても言えることで。

 今、佐藤は私の話をちゃんと聞いて答えてくれているように思えた。そして、今朝からのダメな重なり具合が脳裏をかすめた。だから、つい、ぽろっと口から出てしまったんだろう。


「神様なんかいないのかな」


 ……しまった。

 政治と宗教と野球の話は!戦争になるからやめとけって!ばっちゃが言ってた!なんで私は!こんなことを!そんなにひどい目にあった訳でもないのに!


「んー?いると思うよ?」

 佐藤はさらっと答えてくれる。

「俺は、嫌なことがあった時ほど、そう思うねえ」

「嫌なことが?」

 意味がわからない。普通いいことがあった時に感謝するもんなんじゃないの?神様って。

「うん。神様は、人間の考える論理では動いてないんだなって、ある程度諦めがつくというか。まあ、俺にも感情はあるから、完全には割り切れないけど」

 その発想はなかった。


「佐藤、ちょっと考え方、不思議だよね」

「……まあ、高田みたいな、万人受けする、ザ・営業ってタイプではないよね」

「あ、いや!けなしてるんじゃなくて!佐藤、成績、すごいじゃん!新規開拓が上手いっていうか!」

 実際、高田と佐藤は営業のツートップで、大抵の場合どちらかがその月の売り上げ一位だ。しかも、体育会系で上の世代にウケがいい高田がどうしても取れなかった契約を、佐藤がサラリと取ってきたりすることもある。どんな手を使ってるんだろう?とちょっと興味があった。


「俺は高田みたいにパワー型じゃないから、流れとタイミングを見てるだけだよ。あと、担当の方なり社風なり、なるべく自分と相性よさそうなとこを選んでる。まあ、守備範囲が違うのは確かだよね」

 淡々と佐藤は答える。

「いろいろ考えてるんだね。その点、事務は誰がやっても同じだし」

 そう言った私の顔を佐藤があんまりじっと見るので、思わずたじろいでしまう。

「その……自分の仕事を、卑下してる訳じゃなくてね……」

 取り繕うように言うと、佐藤はぼそりと言った。


「誰がやっても同じ、じゃないよ」

「そう?」

「広瀬の作るファイルは、ほんとわかりやすいし使いやすいよ。一人よがりじゃない。一度代打で作ってもらった時に感心して、それから俺も工夫するようになった。ファイルだけじゃなくて、作業全般にそう思う」

「……そう?」

 そっけなく返したつもりだけど、ちょっと、泣きそうだった。

 自分のやってることが、無駄じゃなかった気がして。


 そんなことを話している内に牛丼が運ばれてきた。湯気がふんわりたちのぼり、タレの香りが食欲をそそる。アタマの大盛りにしたから、つやっとしたごはんに牛肉と玉ねぎがたっぷり乗せられている。紅生姜が少し足りない気がしたので追加した。思わずごくりと唾を飲む。

「いただきます」

 具を落とさないようにゆっくりと箸で取り、少し息を吹きかけてから口に運ぶ。牛肉の脂身と肉汁が玉ねぎと絡んでたまらない。少し濃い目の甘辛い具を、ごはんがいい塩梅に引き立てていて、口の中でとろける気がした。


「広瀬、ほんと旨そうに食べるねえ!」

「うん!今日、絶対食べたかったし、できたておいしいよ!」

 家で食べるより、むしろよかったかもしれない。持ち帰る間にどうしてもごはんが汁を吸うし、電子レンジもダメになってたんだった。それに、夕飯、ひさしぶりに誰かと一緒に食べてる気がする。

「よかった」

 そう言って、佐藤はやんわりと微笑む。


 あれ?

 好みじゃないから、今まであんまりまじまじと見たことなかったけど、佐藤、結構顔整ってる?

 思わずいつもよりも勢いよくがつがつ食べてしまって、むせて、佐藤に大笑いされたけど。


「広瀬」

 店を出るなり佐藤から呼びかけられた。

「なに?」

「明日、車あるの?」

「ううん。バスで行って配送頼もうかと」

「俺が車出すから。設置も手伝う」

「え?あ、うん。助かる……」

「明日、何時頃出発したい?」

「昼前に出発しようかと」

「わかった。じゃ、広瀬拾って、お昼食べて、電気屋行こう」

「あ、うん」

「決まり。連絡先、変わってないよね?」

「え……っと、いつから?」

「新人研修から」

「さすがに変わった」

 その直後に当時の彼氏と別れたので、とはなんだか言いにくくて口ごもっていると、佐藤が続ける。

「今の連絡先、教えて」

「うん」

「じゃ、また明日!」

 連絡先を交換すると、佐藤は笑顔で帰っていった。


 あれ???


「よくわかんないけど……これって、何か始まった?」

 思わず天を仰ぐ。今朝からの混乱が嘘のように、空は澄んでいて、星がきらめいている。


 とりあえず、私のこれからについては、今のところ、神のみぞ知る、のかな?

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