002.アサミとタクヤ(1)
「お前って変よなあ。ネコの鳴き声のマネをしただけで、ノラネコが寄って来るんだから」ある工場の敷地内の昼下がり、工員達が芝生に寝そべっていると一人がノラネコを膝の上に乗せてノミ取りしていた。そのノラネコは三毛で典型的な日本ネコみたいな可愛らしい雌猫だった。
「ようアサミ、お前って別嬪ネコだなあ。うちに来ないか? 一緒に生活しようぜ」そういって工員は物凄く可愛がっていた。
「おいタクヤ、うちの会社の寮ってネコ飼えないだろうが! まあ俺たちもこの会社で飼われているみたいなものだけどな、だいたい派遣社員だろお前も俺も。ネコなんか飼ったら契約更新をしてくれないだろうし、下手すれば契約打ち切りだろ」もう一人の工員は呆れたような顔をしていた。
「ところでタクヤ。そのアサミって名前なんなんだ? お前の彼女の名前かよ?」そういいながらタクヤがアサミと呼ぶメス猫を触ろうとしたが、ネコの方は嫌な顔をしていた。
「アサミっていうのは昔、教育実習で高校に行ったときに俺に言い寄ってきた女子生徒の名前よ。当時は年下なんて興味なかったけど、今にして思えば惜しいことをしたと後悔している。アイドルのように可愛かったから今頃は誰かと結婚しているだろうけど」そういうとタクヤはネコの喉を摩っていたが、なんだかうっとりとしたような顔をしていた。
タクヤの心には、もう遠くなった十数年前の出来事の光景が甦っていた。大学時代になんとなく履修した教員養成課程の一環で高校に教育実習に行ったときの事だ。そこは出身校ではなく大学の系列のひとつの私立高校だった。その学校は比較的裕福な家庭の子弟が通う学校だった。そうタクヤからすれば生活してきた社会とは程遠いものだった。みんな坊ちゃんやお嬢さんといった雰囲気が漂っていた。
もっともその分、ワガママな生徒も多く大学進学の邪魔になる下手な教育実習生の授業など受ける価値ないといった態度を取る生徒もいた。そんななか、いいよってきた女子生徒が永川亜佐美だった。
彼女はタクヤ好みの可憐な美少女で、他の生徒の中で抜きん出て目立っていた。しかも生徒の誰にでも好かれる人気者だった。しかし、なぜかタクヤの心は動かなかった。その後、年賀状のやり取りを数回しただけで音信不通になってしまった。
「なあ、アサミ。あの亜佐美って生徒いまごろ何をしているのだろうかな? あんなに可愛い子だから今頃幸せになっているだろうな? きっと神様に幸福を約束されたような子だからきっと、幸せになっているだろうな。俺と違って」そんな事を言っていたが、ネコのアサミは顎が外れそうなぐらいに口を開け大きなあくびをしていた。
この時、派遣会社から派遣されてきた契約社員タクヤとネコのアサミの幸せな時間は昼、毎日のように訪れていたが、その時間が終わりを告げようとしていた。