第五話〜魔女な彼女〜
「あ、ナナちゃん」
「君ね、年上のしかも男に向けてちゃんづけって言うのは嫌がらせ以外の何物でもないと思うよ。っていうか完全に喧嘩売ってるね?」
習慣というものは恐ろしいもので、彼女に名前を知られたという事柄があったというのに、僕は屋上へとやってきてしまっていた。
早くも、後悔し始めつつある。
「いいじゃん、ナナちゃんなんて可愛い名前で」
「男に対して可愛いなんてのは褒め言葉にならないって知ってるかい? そりゃ君はミソギなんていう、最後の文字が濁っている名前で可愛さの欠片も無いから僕の名に嫉妬するのは大いに結構。だが僕は自分の名を心底嫌っていてね、その名で呼ばれる事は恥辱を与えられるのと同義なんだよ。だから……」
「あー、気持ち良く講釈を並べてるところを悪いんだけどさ、私ミナギ」
「…………」
もちろん噛んだだけだ。
ホントだよ?
「……えーと、その。うん。とにかくその名前で呼ばないで今まで通り、あんたとかお前とかご主人様とかお兄ちゃんとか呼んで欲しいなぁと」
「わかった。ナナちゃん」
僕の発言をスルーの上に名前で呼びやがる彼女。
どうやら僕の呼称はめでたくナナちゃんで決定しそうである。全然めでたくないが。
「それにしてもナナちゃんにも友達いたのね。予想外だったわ」
「いきなりなんで僕が孤独であるという設定のもとで語り始めたと思ったら、失礼極まりない感じで君はそんな事を言うのかな」
「だって、いつも屋上に一人でいるし、その喋りさ……ウザイじゃん」
それは僕も自覚しているし、理解もしている。だからといってそうそう獲得した個性を手放すわけにもいかず、手放そうとも思わない。しかしながら、面と向かってそうはっきりウザイと言われれば、さすがの僕でも軽くヘコんでしまう。
「君はあれか、僕のメンタルを崩壊させるためにやって来たヒットマンなのか? ええい、僕は負けないぞ。そんなスピリチュアルアタックに屈する程、僕はヤワじゃない。実の姉達から受けた精神攻撃をくぐり抜けてきた実績があるんだ、その程度の事で……」
「あと、その芝居がかったセリフも、結構イタイし」
「……ぐぅぅっ?!」
彼女はどうやら精神攻撃のプロらしい。僕のハートは崩壊寸前。
「……ふふ、ふふふ。君はあれか。毒を武器に人の心を傷つけては、打ちひしがれた姿を眺めてはほくそ笑むという、伝説の魔女か」
「そんな伝説聞いたことないわ」
呆れたように、彼女は実に冷めた目で僕を見る。
言葉だけではなく、視線ですら凶器になりえるというのか……!
僕は戦慄した。
だが、切り札はある。 僕はついに、決して使いたくなかった切り札を切ることにした。
「……そんなんだからフられたんじゃないの?」
ボソリと、聞こえるか聞こえないかの声量で、しかし発音は聞かせる事を前提にはっきりと、僕はそう呟いた。
僕の言葉は音となり彼女の鼓膜を震わせ、そしてその意味を脳内で理解した頃には彼女は何らかのダメージを……。
「ん? ああ、そういえばそんな事もあったね」
「ノーダメージですか。ああそうですか。確かに男は失恋を引きずるというが女は割とさっぱりしているという話を僕だって聞いたことぐらいはあるけど、それにしたってさっぱりすぎやしませんか? 自宅までつけたり同じ部活に入ったりストーカーっぽい事してたくせに」
「私は過去より未来を見据えて歩いているのよ」
なんかカッコいい事を言い出した。っていうか彼女も十分芝居がかった喋りのように思えるけど。
「まあそんな事より」
そして彼女は自分の過去をそんな事で片付けた。なんてドライな娘さんだ。
「あの人、友達でしょ? ほら、さらさらの髪の毛に優しそうな顔した」
「……もしかして君、ナユタに惚れたとか言わないよね? だとしたら止めておいた方が懸命だよ?」
「まさか、私はそんなに惚れっぽくないよ。理想も高いし。でも、なんで止めておいた方が良いわけ? 彼女でもいるの?」
「あいつゲイ」
「……うそつけ」
さて、僕は今まで彼女に何回うそつき呼ばわりされたのだろうか。そんなにも僕の言葉に信憑性が皆無なのだろうか。
まあ、確かに今のは嘘だが。
「本当のところ、ナユタは彼女が五人いるから」
「うっそ、五股?」
「うん、嘘」
「………………」
殺意を隠そうともしない目で見られた。きっとこのまま睨まれたら僕は穴が開くかも知れない。胃とかに。
というか、ゲイは信じず五股は信じるっていう基準がわからない。
「とりあえず今日は、あんた……ナナちゃんの言葉は話半分に聞けっていう事を学んだわ」
「思い出したようにナナちゃん言われても。というか今までの邂逅でそれを学んでいなかったというのが僕にしては意外というか、予想外というか。なんというか君はつまり、馬鹿なんだね?」
「……っ! あんたにだけは言われたくないっ!」
そんなこんなで今日の放課後も、平穏に過ぎていくのだった。