第二十五話〜雷電な告白〜
放課後に近づくにつれ、雨足は次第に強くなっていった。ついでに雷光が曇天に迸り、一拍置いて轟音が耳をつんざく。
そんな天候だからこそ、僕は雨合羽を着込み、更に傘まで差すという重装備で、屋上へとやって来た。
当然のようにそこには誰も居らず、辞書を投げつけてくる彼女も、一人泣いている少女も、無垢で純真な後輩も、幼馴染であるナユタも、そこにはいなかった。
久しぶりの一人の時間。
雨音だけが、鼓膜に届く。
「うん、異常なし」
一人そう呟いて、もしかしたら異常なのは僕なのかもしれないと思いながらも、屋上の淵から下を覗いて見る。
そこには傘を差して、足早へと家に向かう帰宅生徒達の群れがあった。
赤や青や黄色や黒、中にはチェック模様や安っぽいビニール傘などもあり、ちょっとした傘の展覧会のようである。
いやしかし、僕は果たして何をしているのだろう。
或いは、何もしていないのかも知れない。
まあ、どちらにせよ。
今日は一人である。
「……うーん、これはつまり、新たな人物の登場フラグかな?」
などと呟きながら、いつもの定位置へと足を運ぶ。
さて。
ここで説明しておくと、この屋上は手入れという手入れはなされておらず、そこら中荒れ放題だ。
床が一部が剥がれていたり、床の隙間から、名も無き雑草が顔を出していたり。
とにかく最悪な外観をしている事は間違いなく、だから屋上は人気が無いわけなんだが、それゆえに雨に対する加工及び防衛がなされておらず、端的に言うとつまり。
実にすべる。
そりゃもうつるつるだ。
そして例に漏れず僕も足を取られ、僕にある程度の運動神経が備わっていれば、転倒を回避できたのかも知れないが、ご存知のように僕は壊滅的な運動音痴である。
「うあっ!」
どげしっ、と聞くからにコミカルな音を立てて、仰向けに転倒してしまった。
腰が痛い。
顔に雨が当たる。
あまり痛みに耐性の無い僕には、しばらくそのままで身体に走る痛みに耐えていた。
雷光が空に轟く。
「……何してんの、ナナちゃん」
まるで雷の如く唐突に現れた彼女は、実に訝しげな目で僕を見ていた。
遅れて、轟音が鳴り響く。
「やあ、雨の日に屋上に来て、一体なんの用だい? そもそも君は以前雨に当たって風邪を引いた挙句、僕とナユタに盛大な迷惑をかけたんだから、少しは自重するべきだと思うんだ」
「だから今日は傘持参よ。ってか、何してんの? 寝っ転がって」
「何してるのかなんて、見ればわかるじゃないか。それとも君の顔についているその二つの目は、物事を見るために使われておらず、他人を睨み殺すためにあるものなのかい?」
「……床に足を取られて見事に転倒したの?」
「エスパーか、君は!?」
僕は起き上がり、転倒の際に吹っ飛んだ傘を回収する。
「それで、君こそどうしたのさ。雨の日に屋上なんて、物好きにも程があると思うけど」
「ナナちゃんにだけは言われたく無いわね」
「実は僕、この人柄を見初められてね、つい先日から屋上の管理を任される事になったんだよ。ほら、これが屋上の鍵」
そう言って、彼女に鍵を見せてやる。
あまり可愛げのあるとは思えない、異形の熊のストラップがついた鍵だ。
「いや、自転車の鍵を見せられても」
「見抜かれたっ!?」
「……えーっと、何がしたいわけ?」
「いやほら、こないだは真面目な話だったから、今回は思いっきりおちゃらけてやろうかと」
「無理はしなくていいわよ?」
「それは無理だ」
「なぜ」
ああ、やっぱり彼女との会話はこんな感じが一番楽だ。
「ところでナナちゃん。ハルナ見なかった?」
「ハルナちゃん? 見ての通り屋上にはいないけど? っていうかいるわけ無いじゃないか、雨の降ってる日に屋上にいるなんて僕ぐらいなもんだよ」
「僕をバカで代用しても通用しそうなセリフね」
「失敬なっ! この僕を捕まえてバカだと!? 言っておくけどね、この間の中間試験では学年トップという物凄い快挙を成し遂げた男だぞ、僕は!」
「勉強できるのと、頭が良いっていうのは、別物だと思うのよね、私」
「いかにも勉強の出来なさそうな子が吐きそうなセリフだよね、それって」
「っていうか、ナナちゃん。勉強出来たのね。ごめん、侮ってた」
「正直は美徳かも知れないけど、その正直さは少し直す余地があると僕は思うんだ。……まあそれは良いとして、ハルナちゃんがどうかしたの? 始めの話から随分と逸れた感じがするけど」
無理矢理話を元に戻さないと収拾がつかなくなりそうな気がした僕は、そう彼女に尋ねた。
「一緒に帰ろうと思ってたのに、どこにもいないのよ。今日は掃除当番とかじゃないはずだし」
「ハルナちゃんだって一人になりたい時ぐらいあるだろうさ」
「ま、ここに居ないんなら良いや。それじゃね、ナナちゃん。バカ話はまた今度」
そう言って、彼女は屋上から去っていった。
また、一人になる僕。
「ナナ先輩」
と思っていたら、入れ違いにやって来た人物が居た。
「……やあなっちゃん。雨の日に屋上に来て、一体なんの用だい?」
「えと、その」
「というか、傘も持たずに外に出るなんて、君は風邪でも引きたいのかい? ほら、雨に濡れた制服は良い感じで透けるから、僕としては望むところなんだけど」
そう言って、傘を差し出す紳士な僕。
まあ正直、かなり動揺してる僕が居たりするんだけど。
なんせ、目の前の後輩は僕の事を好きかも知れないのだ。
好かれるのは大いに結構だが、どうやって対応して良いのかが分からない。
今まで散々嫌われて来たのだから、当然といえば当然なのかも知れないが。
「ああ、そうそう。やっぱり陸上部は雨の日は休みになるのかな?」
「え、あ、はい。そうです」
「そうだろうね。雨の日にまで練習させるような熱血講師はドラマの中だけで十分だよね。だけど僕は、一度あの夕日に向かってダッシュっていう事をやってみたいね。実にバカっぽくて憧れるよ」
「あ、そ、その」
「とは言ってもさ、あの夕日ダッシュの元ネタがいまいちよくわからないんだよね。なんでも姉さんが言うには、昔のドラマでそんなのがあったらしいんだけど、なっちゃんは知ってる?」
「え? い、いえ」
「そっか、いや今度さビデオでも借りて見てみようかなと思ってるんだよね。だけどドラマのタイトルが分からないと、探しようが無いからさ。もし知ってたらタイトルだけでも教えてもらおうかと思ってたんだ」
「は、はぁ。それで、あの、先輩」
「ドラマといえばさ、僕は今のよりも昔のドラマの方が好きなんだよね。特にさ刑事物は昔の方が良いよ。日本という舞台設定の概念を無視した、あの銃の撃ち合いだとかさ、始末書大変だろうなぁとか、なかなかつっこみどころ満載だしね。特にニックネームのセンスには脱帽するしかないよ」
「あ、あのっ! ナナ先輩っ!」
不意になっちゃんが出した大声で、僕はバカみたいに回る舌を止めた。
止める他、無かった。
「あの、ナナ先輩っ!」
「……えっと、なに?」
「好きですっ!」
ってなわけで、やっぱりなっちゃんは僕に友情以上の好意を持っていたようで、僕の生まれて初めての告白は、なっちゃんから受ける事になってしまった。
嬉しいのか、困っているのか、僕には自分の感情がいまいち良く分からず、呆然とする他無かった。
なっちゃんは僕に言うだけ言って、恥ずかしくなったのか。
「し、失礼しますっ!」
屋上から逃げるように去っていった。
さすが陸上部。足が速い。
はてさて。
僕はどうするべきなのか。
雨音だけが、やけにうるさく聞こえていた。