第二十四話〜雨中な僕等〜
「……なあ、ナナ。さすがに中に入らないか?」
「何を言うんだ君は。こんな雨如きで屋上で昼食を摂るという信念を曲げろとでも? バカを言っちゃいけないよ。日本男児ならば心に一本の槍を持つべきなんだ。それが例え下らない事でも、真っ直ぐな意思を持つべきなんだよ。全く、そんな事もわかって無いなんて。最近の若い者はこれだから」
「最近は柔軟な考え方の方が重宝されるんだよ。っつーかお前、いつの時代の人間だよ」
昼休み。
僕らはやっぱり、当然のように、屋上にいた。
いつもと違うのは、豪雨と呼んでも差し支えない程の大雨が降り注いでいるぐらいである。
「そんなに嫌なら、別に一人で行っても構わないよ。……ああ、ナユタは雨如きで挫折してしまうほどの、軟弱の精神の持ち主だとは思わなかったよ」
「至極真っ当な事を言ってるのに、なんでそこまで言われるかがわからない」
「どちらにしても、僕はここを動くつもりは無いよ。そのために完全防備までして来たんだからね。多分、この雨で姉さんも来ないだろうし、久しぶりにまったり出来るだろうしね」
「ある意味凄いよな。お前って。無駄に」
ちなみに僕は、雨合羽を着用している。更に傘を二つばかり用意し、一つは僕の雨よけ、もう一つは弁当の雨よけに使用しており、水害に対する備えはばっちりである。
一方のナユタは、一つの傘で弁当と相合傘をしているので、割と必死だ。
「なあナナ。今更かもしれねぇけど。なんでそこまで屋上にこだわるんだ?」
「ん? 本当に今更だね。むしろ三年生になるまでその疑問を問われなかった事を不思議に思うよ。きっとナユタは、あまり僕に興味が無いんだろうね。そんな事だから、高校卒業すると同時に高校の友人達と連絡を一切取らず、同窓会の時も呼ばれ無いんだ。そして偶然会った僕から同窓会の話を聞いて参加を決意するけど、いざ会場に行ってみたら、え? 誰? とか言われる事請け合いだね」
「それはむしろ、お前の方だと思うぞ? 純粋に友達いねぇんだから」
思わぬカウンターパンチは、僕の意識を刈り取る寸前まで追い詰めた。
「……ふふん、言うようになったじゃないか。確かに僕は友達が少ないさ、ああ少ないとも! でもそれが何だって言うんだ! 人は一人では生きていけないのは、昭和の時代で終わったのさ。これからは一人でも生きていく強さが必要なんだよ」
「ああ、うん。まあどうでも良いな」
あっさりと流された。
雨のせいか、ナユタのテンションが異常に低い。
「それで、何で屋上にこだわるんだ? なんか思い出でもあるのか?」
そして、話を戻してくるナユタ。
僕が屋上にこだわる理由。
「実のところを言えば、別にこだわってるつもりは無いよ? ただ、人が少なくて居心地がいいのはここぐらいだからね。ちなみに第二候補として、三階の空き教室もあるけど、最近誰か使用してる形跡があるから、あまり訪れて無いね」
「うそつけ」
幼馴染という相手は、バレたくない嘘ほど見抜いて来るから厄介だ。
「あながち嘘じゃないよ? 居心地がいいのは本当だし。まあ最近はやたらと凶暴な後輩と、やたらと純粋な後輩のおかげで静けさは無くなったけどね」
「……まあ、お前がそう言うんならそうなんだろうよ」
理解はしたが、納得はしていないといった様子で、ナユタはそう言う。
僕が屋上にこだわる理由。
それは決してナユタには言えない。言う事は出来ない。
要するに僕は、危惧しているのだ。
かつて僕が止めた、自殺を試みた女の子の二人目が現れる事を。
まあそれ以前も、屋上は愛用していたが、その事件があって以来、僕は屋上に足を運ぶようにしている。
それだけの事。
「あ、そうだナナ。お前にもう一つ聞きたい事があったんだ」
「ん? 何かな? 朝ごはんの好みは、パンよりご飯派だよ。ちなみに肉より魚派だね」
「昨日の後輩……えーっと、ナツキっつったか。あいつとどうなったんだ?」
なっちゃんね。
今の僕の頭の大半を占める存在であり、僕の事を好きかも知れない女の子。
まさか僕が、そんな青春っぽい状況に追い込まれるとは思っても見なかった。
「別に何も無いよ。どうするつもりも無いし。そもそも僕にはなっちゃんの本心は知らないし。姉さんは、バカみたいに囃し立ててたけど、もしかしたら違うかも知れないしね。それで、僕が本気にしたらきっと、うなぎのようにするりと手の中から逃げ出してしまうんじゃないかな」
「嫌いなのか? あいつの事」
「別に嫌いじゃないさ。嫌いじゃないけどさ。だからこそ困ってるというか、なんというか」
「ナナでも悩む事あるんだな」
「君は一体、今まで僕の事をどう見てたんだい?」
「いや、だってよ。お前が悩むなんて、あまり見た事ないぞ? パニくる光景は何度か見てきたが、うんうん唸って悩んでるお前は初めて見た気がする」
そんな事は無い、と思う。
僕だって人間だから、悩んだり苦しんだりしてきた。
例えば、姉の横暴さをいかにして更生させるかとか。結局、無理だと諦めたけど。
或いは、サナエが死んだ時に落ち込んだナユタを励ます時とか。結局、無理矢理で無茶苦茶だったけど。
「ああ、うん。違ぇな。そうやって悩みを他人に打ち明けるのが、初めてなのか」
「……ああ、言われてみればそうかも知れないね」
「お前はいつも一人で抱え込もうとする癖があるからな。癖っつーかもう、生き方そのものって感じだけど」
「他人に頼るのは弱い人間のすることじゃないか。僕は確かに肉体面では弱いかも知れないが、総合的なスペックで見たなら、ある程度は有能だからね。それなりの事は一人で解決出来る自信はあるよ」
「よくそこまで言い切れるな」
「頭の良さならそれなりに自信があるからね。だけどまあ、頭が良くてもどうしようも無い事もあるからさ。今回は他人に意見を聞くことにしてるんだよ」
「それがまず、違ぇんだよな」
ナユタは、僕の目を真っ直ぐに見て、そう言った。
「昔のナナなら、それでも一人で抱え込んでたと思うぞ?」
「…………」
「なんつーかな。お前って、他人を一切信用してねぇとこあるだろ。俺にしても、お前の姉さん方にしても」
「……そんな事は無いよ。ある程度は――少なくとも赤の他人よりは信用してるつもりだけど」
「ま、確かに、あんな事があったからそれはしょうがねぇかも知れないけど」
「その話は止めてくれないかな。思い出したくも無い」
自分でも驚くほど、冷たい声が出た。
忌々しい過去が、脳裏を過ぎる。
どうして人間の記憶は曖昧なくせに、忘れたい記憶ほど覚えているのか。
「悪ぃ。まあとにかくよ、愚痴でも相談でも、俺はいつでも受け付けてるから」
「でもなぁ、実際のところ君が振った女の子の事で悩んでるわけだから、相談しにくいのも事実だったりするんだよね。そもそも君がなっちゃんを振らなければ、こんな展開にもならなかった訳だし、そう考えると全ての原因はナユタにあるんだと思うんだ」
「……いやまあ、そうかもしれねぇが」
「だから責任とって僕の所にナユタが嫁いでくれば万事解決だと思うんだ」
「それは冗談だよな?」
「もちろんそうに決まってるじゃないか。っていうかいい加減慣れてよこの方面のネタ。見慣れてるとはいえ、ナユタの睨みはカタギじゃ無い人にも有効そうなんだから。一般人である僕に使うには、いささか威力が高すぎると思うんだ」
「だったら、そのネタを使うな」
ごもっとも。
その日は結局、久しぶりに二人のランチタイムとなった。
きっとカナデは一人寂しく家で昼飯を食べている事だろう。
昼休みが終わる頃、雨は更に激しさを増していた。