第二十二話〜恋慕な後輩〜
人間というものは思いの他頑丈に出来ているもので、世の中には雷に三度打たれて生存した人も居るらしい。現に僕も彼女の辞書を一度身に受けながらも、後遺症の一つも無く、壮健な日々を過ごしている。
要するに人間という生き物は打たれ強いんだろう。
「……えーと」
「どうかしましたか?」
「……いや、うん。なんていうかな。特に何も無いといえば嘘になるけど、別段強く言うつもりも無いけどさ、えーっとつまりね。なっちゃんって凄いね」
「はぁ、ありがとうございます」
時刻は昼休み。
ご存知の通り、その時間は屋上にて、僕とナユタがランチタイムを楽しむ時間である。
そこになぜか、なっちゃんがいる。
並大抵の神経が無ければ、僕という部外者がいるとはいえ、振られた男と共に昼食を摂ろうなどという行動は起こせないだろう。
「っていうか君、ナユタに振られたんでしょ? もしかしてまだ諦め切れてないのかな? 確かに君は諦めの悪そうな雰囲気はあるけど、それにしたってこの状況はどうかと思うんだ。なんというか、非常に居心地が悪い」
ナユタはといえばさっきから無言で弁当を食べているし、なっちゃんはといえば笑顔で僕に話しかけてくる。
彼女の意図がさっぱり掴めない。
「ナユタ先輩の事は綺麗さっぱり諦めました」
「……それじゃあ、なんで君がここにいるのか、説明してくれるとありがたい」
「恋人は無理でも、友達にならなれますよね!」
ぐっと握りこぶしを作り、僕とナユタにそう言った。
実に逞しい。
ナユタはその言葉に驚いたような表情を作り、すぐに訝しげに顔をしかめる。
「友達は別に良いんだけどよ、あんだけ言ってやったのに良く俺に近づこうとするな」
「過去の事は気にしない性質なんです」
いやホント、ナユタの攻撃改め口撃から復帰しただけじゃなく、昨日の今日でナユタに関わろうとする強者は、なっちゃんが初めてだ。
「それに、本当はナユタ先輩が優しいって知ってます」
「なっちゃん。それは違う。むしろその優しさこそが奴のカモフラージュで、冷酷冷徹なナユタこそが真の姿なんだよ。どちらかといえば、蜘蛛の糸を垂らして希望を持たせた挙句、最終的には糸を切って絶望を与える人間なんだ」
「それはカンダタが悪いと思うんですけど……」
まあ確かに彼は群がってきた亡者達に向かって、現代風の言葉で言うなら「降りろボケ! 糸切れたらどうすんだコラ!」的な事を言って、お釈迦様の反感を買ったのかも知れないが、釈迦ならそれぐらい許容してあげても良いと思う。
実際、神様って狭量なのかもしれない。
会った事無いからわからないし、どうでもいいが。
ちなみに、芥川先生の『蜘蛛の糸』の話である。
どうでもいいが、てっきり頭の可哀想な子だと思っていたなっちゃんが知っていた事に、驚きを隠せない。
「っていうかそれだとナユタ先輩がお釈迦様になっちゃうんですけど」
「まあ、良いんじゃない? 根っからの悪人って訳じゃないし。それにほら、見た目だけなら善人顔じゃん。性格もそれ相応に聖人君子だったら良かったんだけどね。こんな顔して地元の不良達に恐れられていたりするんだ。だから多分、お釈迦様も実際はこんな奴だったんじゃないかな」
「それは俺だけじゃなく、仏教徒も敵に回したぞ?」
「だけどまあ、ナユタとお釈迦様を比べるなんて馬鹿らしいよね。うん。本当、お釈迦様に申し訳ないことをした。ごめんなさい」
僕は打算的なのだ。
敵は少ないに限る。
「うぉらぁー!」
唐突に、そんな叫び声と共に屋上の扉が開く。
仏教徒が僕に説教をしに来たのかと思ってしまった。
しかしそれは杞憂ではなく、登場してたのは更に性質の悪いカナデだった。
「……はぁ、はぁ、ナナっ!」
奴は肩で息をしながら、僕を指差す。
どうやら走って来たようである。
「なんで起こしてくんないかなぁ!? 気づいたらお昼過ぎで焦ったじゃないの!」
「いや、っていうか昨日、友達と久しぶりに飲んで帰ってきたの朝方じゃなかったっけ。そんな姉さんを起こしたら僕の身に危険が及ぶじゃないか」
「だからって、電話でもなんでもしてくれりゃあ良い事だと思うわけよ。危うくお昼を一人寂しく食べるとこだったわ」
「多分、姉さんは根本から間違ってると思うんだ。何もかも」
一人で食べるのが嫌だからって、わざわざ学校まで来て食べることは無いと思う。
むしろ、来ないで頂きたい。
「おや?」
不意に、カナデの視線はなっちゃんに向けられた。
そして浮かぶ、口元の笑み。
「おんやおやおやおや?」
「なっちゃん逃げろ! ここは僕らがなんとかするからっ! ええい姉さん、彼女に何か危害加えてみろ、僕が許さないぞ!」
「おやおやぁ? ナナってば、そんな張り切っちゃって。可愛い子の前だからって無理する事は無いんじゃないの?」
「それもそうだね」
僕はあっさりと三文芝居を止め、なっちゃんをカナデに紹介する。
ついでになっちゃんにもカナデを紹介する。
「へー、この子がこないだ言ってた、ナナの可愛がってる後輩?」
そういやナユタがそんな情報をチクッた事もあったな。
それを否定するのも面倒なので、僕は適当に言葉を返す。
「まあ可愛がっていることには可愛がっているけど、可愛がるベクトルが違うというか。ぶっちゃけていえばからかうと面白いんだよね、この子」
「そんな認識だったんですか!?」
「え、違うの?」
「不思議そうな顔をされても!」
「とまあ、こんな感じで」
キーキーとなっちゃんがなにやら言っていたが無視。
「あー、ナナにいじめられてるわけか。そりゃ難儀だわ」
「いじめているわけじゃないよ。愛情の裏返しと言ってもらいたいね。第一、僕が本気でいじめる気になったら、登校拒否どころか精神に異常をきたすぐらい本格的にやるよ?」
「自分の弟ながら、性格歪んでるなー」
あっはっはと笑いあう僕ら。
「あ、あの、ナユタ先輩、あの人達ちょっと怖いです」
「……滅多な事言うな、殺されるぞ」
「こ、殺されますか」
「ああ、奴らはやる時はやる人間だ」
褒め言葉に使われるはず言葉が、実に不穏な響きをもたらしてくれる。
失敬な。
「ああ、そうだナユタ。私さ飲み物買い忘れて来ちゃったんだよねー。それと走って来たから喉も渇いてるわけ」
「……えっと、買ってきます」
「え? ああ、ごめんなー。なんか催促したみたいで」
いや、完全に催促してただろ。
「何が良いですか?」
「んー、コーラ」
ご飯にコーラはどうかと思いながらも、僕は口に出したりはしない。
誰だって自分は可愛いものである。
「さて」
ナユタが屋上から去って行ったのを見届けた後。
カナデはゆらりと僕らに向き直る。
「二人はどういう関係なわけ?」
「は?」
その質問に、僕となっちゃんはきょとんとするしかない。
「だってぇ、先輩と後輩が一緒にご飯食べるなんて、なんか普通じゃ無いじゃん。付き合ってんの?」
どうやらこいつは盛大な勘違いをしているようであった。
「姉さん、ここははっきりと言っておくけど、僕らは別に付き合うとか付き合わないとか、そういう関係じゃ無いんだよ。そもそも、そこまで親しいって訳でも無いしね。第一、なっちゃんは僕じゃなくてナユタ派なんだよ。まあこないだ告白して振られたみたいだけど」
「うんうん。それで振られたこの子を慰めてく内に、若い情熱が暴走したと」
「……えっと、その、本当に違うんです」
なっちゃんも後押ししてくれる。
そりゃそうだろう。僕と恋人だなんていう勘違い、是が非でも解き放ちたいはずだ。
「確かに、ナナ先輩は振られた私を慰めてくれましたけど、いつもと違って優しい姿にちょっとトキメキましたけど、顔もその、別に嫌いじゃないですけど……」
なんか雲行きが怪しい。
カナデがニヤニヤと下卑た笑みを浮かべているのが、何よりの証拠である。
「でもその、まだ、胸を張って友達って言える関係でも無いですし、その、あの」
「なっちゃん、待った。ストップ。それ以上は、姉さんを喜ばせるだけだと思うし、多分墓穴掘ってるだけだと思う」
個人的な意見としては、ちょっと聞いてみたい気もするが。
「なーんで止めるのよぉ。女の子の赤裸々な告白シーンが拝めたのかも知れないのに」
「え、告白って、え? あれ?」
なっちゃんは自分の言った事を思い出して、顔を茹蛸のように真っ赤にさせていく。
そして僕の顔を見て、困ったように目尻を下げると。
「ご、ごめんなさいっ!」
脱兎の如く逃げ出した。
残された僕らは唖然となっちゃんの背中を黙って見送り、なっちゃんと入れ替わるような形で、ナユタがコーラを持って帰って来た。
「……えーっと、一体何が」
状況がまるで掴めないナユタは、ニタニタと笑うカナデと茫然自失の僕を交互に見ながら、困惑していた。
今のなっちゃんの様子を見るからに、想像できるのはつまり。
「もしかしてあの子、ナナに惚れちゃったのかなぁ?」
と、いう事である。
いや、まさかねぇ?
この間も、面と向かって嫌いと宣言されたぐらいだし。
さてさて、どういう事だろう。
僕はそれ以上考える事を止め、昼食に集中する事にした。
いつもはおいしいお弁当が、実に味気なく感じられた。