第十九話〜自由な長女〜
さも当然かのように、屋上でランチタイムを楽しむ僕とナユタではあるが、今日ばかりはいつもとちょっとばかり変わっていた。
それは望ましい変化とは程遠く、どちらかといえば決して訪れて欲しくは無かった変化であった。
「いやー、なんかこう、学校で飯食うなんて、なんか若返った気分だね。気分が良いし、天気もいいし、こうなりゃ機嫌もよくなるってもんよ」
なぜか、僕とナユタの間に入るようにして、七瀬家長女、カナデがそこにいた。
持参してきたコンビニのおにぎりを頬張りながら、満面の笑みでそう言ってくれる。
「姉さんの機嫌が良いのはわかったけどさ、どうしてわざわざ学校に来てるんだよ。っていうか、なんで部外者なのに堂々と校内に侵入できるのさ。不穏な事件が相次ぐ昨今、もう少しセキュリティ的なものが厳しいはずなんだけど」
「だってほら、私ゃこの学校の卒業生だし。誰にも見つからずに校内に侵入するルートなんか、把握しつくしてるからね。いやぁ、学生の頃は昼休みにこっそり抜け出したりしたもんよ」
「姉さんの学生時代がハチャメチャなのは良くわかったよ。当時の教師達の不甲斐なさは、結果として今現在の僕らの平穏を脅かしている事は間違いないね。それで姉さん。結局何をしに来たのさ」
僕はため息をつきながら、カナデに尋ねる。
出来ることならば速攻で消え去って欲しい。
今のところ大丈夫なようだが、いつお得意の我侭が発症するかわからない。そうなれば甚大な被害を被る事になるであろう僕らは、気が気ではない。
「だってさぁ、家に居ても誰もいないんだもん。平日のテレビ見てもニュースばっかだし。あまりにも退屈だったから、ナナに会いに来たんじゃん。それなのに、ナナってば冷たくて冷たくて」
「……別に冷たくしているつもりは無い事も無いけど、やっぱり部外者が我が物顔のように校内に侵入するのはどうかと思うんだ」
「あれあれぇ? ナナってばそんなに真面目さんだっけか? 私が知ってるナナは、ある程度不真面目に、そこそこ真面目に、普段は適当にっていうポリシーだったはずだけど」
「それって中学の頃の話じゃないか。っていうか良く覚えてるね。確かにそんな事を言ったかもしれないけど、時間っていうのは刻一刻と流れていて、時間の経過と共に人の考えなんていうものは移り変わっていくものなんだよ。だから順風満帆な夫婦でも離婚するし、良い奴だと思ってた人が犯罪を犯したりするんだ」
「じゃあナナもいつか可愛い弟になってくれるのか」
「今も十分可愛いじゃないか。ここまで姉を想う弟はなかなか存在しないよ? 姉さんはこの境遇に感謝すべきだと思うけど。ついでに形で示してくれればなお良いね」
「そういえばナナって彼女居ないの?」
話が盛大にぶっ跳んだ。
あまりにも唐突な話題転換に、僕の脳がついていけない。
「彼女かどうかは知らないけど、仲良い後輩は居ますよ」
だからなのか、それともここで会話に参加しないと出番が無いと悟ったのか、ナユタが口を挟んだ。
「ほーほー、ナナもやるじゃん。後輩かぁ。センパーイとか可愛い声で呼ばれたりしてんの?」
「言っておくけど、彼女とはそういう間柄で無い事は確かだね。ナユタには言ったかも知れないけど、僕らは純然たるライバルで、お互いにお互いを警戒し合ってるんだ。その間にはギスギスした感情しか存在せず、深く干渉する事も無い。手の内は隠しておくのが定石だからね」
「ツンデレのナナの言葉を訳すなら、結構仲良くやっているよ。っていう事でいいね」
「全然良くない! っつーかなんだ僕がツンデレって! 確かにツンツンしているかもしれないけど、僕がデレた事なんて一度も無いぞ!? 恐らくこれから先もデレ期に入ることは無い!」
「ふぅん。まあいいや。どうでも」
実の姉にどうでも良いと言われてしまった。
なら聞くな。
「ナユっちは?」
明らかについでとわかるような尋ね方だった。聞き方に真摯さがまるで無い。確かに普段から真面目とはかけ離れている人間だから、いつも通りといえばいつも通りだけど。
「……居ませんよ」
「ふぅん。もしかしてもしかすっとさ、まぁだサナエの事引きずってるわけ?」
図星。
あまりにも鋭利すぎる進入角度だった。
「そりゃ。まだ二年しか経ってないっスから」
「あんたも男なら過去の事はとっとと忘れっちまいなさいよ。まあ、難しいことはわかっけどもさ。いくら想ってようが、いくら覚えてようが、死んだ人間は還って来ないんだから」
「……言われなくても、わかってますよ」
「いんや、わかって無いね。まるでわかってない。全然わかっちゃいないね」
別に三回言う事は無いと思う。
「過去を引きずるなんてのは美徳でも何でも無いぞ? ましてや死んだ相手を今も想い続けてるーなんてのはもはや滑稽でしかないね」
「姉さん。もうそれぐらいにしなよ」
「大体、人ってのはいつか死ぬんだよ。それが他人だろうが家族だろうが恋人だろうが平等で、それが早いか遅いかの違いなんだ。サナエはたまたま早く死んで、たまたまあんたの恋人だったってだけの話で、それなのにいつまでもずるずるずるずると引きずってんじゃねぇよ。いつか磨り減って原型もなくなっちまうぞ」
「姉さん!」
それ以上は、ナユタの心を削るだけだ。
姉さんと言えども、それ以上は僕が許さない。
「ん、説教終わり。嫌だねぇ年取ると。どうも説教好きになっちゃって。昔のバカやってた頃に戻りたいわ」
「……姉さん。マジで何しに来てくれたのさ。僕らは僕らでそれなりに平穏な日々を過ごしてるんだから、むやみやたらに掻き回すのは止めてくれないかな。ただでさえ存在そのものが暴風雨みたいなんだから」
「そりゃ現状はそう見えるかも知れないけど、傍から見てたら痛々しいにも程があるっつーかさ。見てらんないわけよ。まあ、年上の忠告として受け取っておきなさいな」
からからと笑いながら、カナデはそう言う。
「んー、飯も食い終わったし食後の運動をしよう!」
そして唐突に、高らかに、そう言い放った。
「……運動? 姉さん、それは僕が運動音痴である事を前提にした、新たな手口のいじめかい?」
「ああ、別に運動って言っても身体を動かす訳じゃなくて、頭の運動」
そう言って、持参してきたカバンの中から、長方形の板を取り出す。その板には九×九の升目があり、更にカナデはその上に歪な形のした五角形の駒をぶちまける。
その駒には歩兵だとか、香車だとか、桂馬だとかが名づけられている。
「……なんで将棋?」
僕としては割とタイムリーなものではあるけど。
「んー、家の中を探し回って見つけた娯楽がこれしかなかった。麻雀牌もあったんだけどさ、マットも無いし面子足りないし。だからこっち」
「もしかしなくてもわざわざ将棋をやるために学校に来たとか言わないよね?」
「おぃおいナナ。将棋があっても一人じゃ詰め将棋ぐらいしか出来ないじゃん。やっぱこういうゲームは二人でやるから楽しいんだよ」
「……ああ、そう。もう別に良いや。どうでも」
「じゃあやろう。三人いるから回り将棋でいいね」
「そして回り将棋かい」
回り将棋。
知っている人ならば知っているだろうが、知らない人ならば知らないであろう、将棋で遊ぶ一つの遊びかた。
金将四枚をサイコロ代わりに、出た形によって進む目が決まる、いわばスゴロクのようなものである。
例えば金将が表が出たら+一。全部裏ならば+二十。立ったら+十。横に立ったら+五。逆さまに立てば+百という、なんともアンバランスなゲームだ。
家によっては、逆さまに立てば+二百だったり、呼び名が違ったりと、ルールに多少の差異はあるだろうが、どちらにしても真っ当な将棋の遊び方をしている人ならば、興味の欠片も無いゲームである。
「負けたら罰ゲームね」
「いきなりハードルが高くなったね。そもそもまだやると決まったわけじゃあないし」
「何言ってんの。ここにいる時点で参加決定に決まってるじゃん」
カナデの独裁政治によって、僕とナユタは強制的に参加させられることになった。
「ちなみに罰ゲームは?」
「んー、銀行に行って現金を強奪してくる」
「犯罪じゃないか!」
「じゃあコンビニ」
「場所が変わっただけで大差ない!」
「しゃあないなぁ。じゃあ可愛い店員のいる本屋でエロ本を購入すること」
急激にグレードが下がったような気はするが、確かに罰らしい罰ゲームでもある
「もちろん制服でね」
「止められる! 止められるから! ナユタはどうか知らないけど、僕の場合確実に年齢聞かれちゃうから!」
「ちなみに本はキワモノね」
「どうしてどんどんとハードルを上げて行くんだ、姉さんは!?」
結局。
ゲームは中盤に差し掛かったところで昼休み終了の合図が鳴り、劣勢だった僕とナユタは勝負を無効にして、悪魔の巣から逃げるように教室へと向かったのだった。