第十八話〜知的な彼女〜
「あれ? どうしたの。元気無いけど」
放課後の屋上。
どうやら僕は彼女に心配されてしまうほど、生気が抜けているらしい。
その原因はもちろん、カナデである。
「……ちょっとね。悪魔と出会ったせいで未来に不安しか抱かないんだ」
「ハルナの次はナナちゃんか。何があったか知らないけど、元気出しなって」
いつもは毒しか吐かない彼女が、今日ばかりは女神に見える。
というか、カナデを比較対象にしたらこの世の女は全て女神だ。
「ところで、ハルナちゃんの方はなんだったんだい? 昨日から気になって夜も眠れないんだ。そのせいで授業中に居眠りをしてしまう羽目になったよ」
「それが、大丈夫だからの一点張りでね。何にも教えてくれないのよ」
「多分、君に相談した途端にある事無い事吹聴されて、社会的立場を危うくなってしまう事を懸念したんじゃないかな。それとも、その心の傷をネタに強請ろうという君の邪心をハルナちゃんが見抜いたのかも知れないし」
「あんたとは少し話し合う必要があると思う」
話し合う気があるなら、どうして辞書を取り出すんだ。
「まあ冗談は置いておいて、僕としては心配だね。ハルナちゃんは君と違って気が弱そうだからね。ちょっとした事で折れてしまいそうに儚いし。君と違って。あと、どこか庇護欲をそそられる点も良いよね。君と違って」
「ハルナを褒めてんの? それとも私を貶してんの?」
「両方」
「そこに直れ」
どちらにしても、ハルナちゃんの涙の理由は謎のままである。
もしかしたら他人に話すのを躊躇ってしまうくらい、実に下らない事なのかも知れない。
「でもまあ、ハルナは確かにどこか放っておけないのよねぇ」
「確かに。なんというか守ってあげたくなるオーラが常時放出されているからね。というかハルナちゃん、モテそうなんだけど彼氏とかいないのかい?」
「居たら、あんたに恋の協力はしないわよ」
「……ああそうか。ハルナちゃんってナユタの事好きだったんだっけ。実らない恋よりも手軽でお得な僕あたりに進路変更した方が良いと思うけどね」
「まずそれは無いから安心して。っていうかそんな気も無いでしょ、あんた」
「何を言うかな。僕なんか来るもの拒まず精神でここまでやって来てるんだ。どんな女の子だろうと僕に好意を持っている子ならば、誰でもオーケーだね」
「うわ、最低ね」
一応自覚はしてるから大丈夫。
「そういう君は……ああそうか。女の子からしか告白を受けた事がないんだもんね。ごめん、悪いことを聞いた」
「告白された事の無いナナちゃんに言われても悔しくないわ」
「……この話題は止めよう。実に不毛な争いになりそうだ」
「……そうね」
非モテ二人の同盟が、今ここに結ばれた。
というかモテる奴の気が知れない。
特に新しい話題も浮かばず、なんとなく屋上から風景を眺めていたら、見知った顔を見つけた。
「んあ?」
「何よ。急に変な声出して」
「あれ、なっちゃんじゃない?」
僕が指差す場所はグラウンド。
なっちゃんは今、走っていた。綺麗なフォームで風のように走り抜けている。
「へぇ、ナツキちゃんって陸上部だったんだ」
「まあなんとなく体育会系だとは思ってたけど」
「なんで?」
「バカだから」
「もう少しあんたはオブラートに包む事を覚えた方が良いと思う」
「これでも十分に包んでいるつもりなんだけど。包んでなかったらそれはもう、思いつく限りの罵詈雑言が散りばめられ、精神の弱い子なんか一瞬で撃退する自信はあるね」
「そんな自信捨てちゃいなさい」
走り終えたなっちゃんは、他の部員からタオルを貰い、息を整えている。
遠くて表情はよくわからないが、きっと実に清々しい顔をしている事だろう。
「そういえば君って部活はやってないの?」
「ナナちゃんさ。結構記憶力悪い? 私、マネージャー止めたって前に言わなかったっけ?」
「ああ、そうか。振られたから顔を合わせづらくなって止めたんだっけ。全く、愚かな事をしたもんだね君も」
「そういうナナちゃんこそ。帰宅部でしょ?」
「……何を言うかな君は。僕が一体いつそんな事を言ったんだい? 大体君はどうして僕が屋上にこう足を運んでいると思っているんだ。そんな事も推測できないようじゃまだまだだね」
「いや、だから。帰宅部でしょ?」
「うん」
少しは戸惑ってくれることを期待したのだが、どうやら僕の弁舌は本当に彼女には効かないようで、少々つまらない。
「そういえばナユタ先輩は? 部活やってないの?」
「やってないけど、図書委員を真面目にやっているよ」
「図書委員!? うわ、似合わな」
「うん、それは僕も思うけど、ああ見えてナユタは読書家でね。近代文学から推理小説、果てはライトノベルまでをも読む濫読家でもあってね。最近は森鴎外に嵌っているとか言ってたね」
「……なんか、本当に謎の人物って感じね」
確かに。
怒れば不良も裸足で逃げ出す鬼と化し、普段はルックスで引き寄せては毒で殺す食虫花であったりするし。
ただ、読書はサナエの影響によるものだけど。
「じゃあさ、ナナちゃんの趣味は?」
「人間観察」
「…………」
捨てられた猫を見るような目で憐れられてしまった。
「そ、そういう君はどうなんだ。きっと君の事だ、さぞ高尚な趣味を持っているんだろうね」
「んー、将棋かな」
「…………」
僕の想像の遥か斜め上を行っていた。
「な、何よっ! いいでしょ!?」
「予想外すぎてリアクションが遅れたよ。っていうか将棋って。確かに将棋をバカにするつもりは無いけど、花も恥らう乙女がなんだってそんな爺くさいものが趣味なんだ」
「人間観察よりはマシじゃない!」
「バカな。人間観察は観察眼と洞察力を高めるためには有効なトレーニングだよ?」
「将棋だって先読みの訓練になるじゃない。あ、そうか。もしかしてナナちゃんって将棋できない人?」
「バカをいうな。運動が出来ない代わりに僕はテーブルゲームの鬼と呼ばれてきたんだ。将棋に限らず、チェスにオセロ、ドミノにバックギャモンだって出来るぞ」
「ふぅん。じゃあ勝負しようよ。将棋」
「良いだろう。その挑戦受けて立とうじゃないか」
僕はそこそこ将棋が強い方である。
だからこそ、この勝負にも自信があった。
「じゃあ私からで良い? 2−六歩」
「……えーっと、ちょっとすいません。将棋盤はどこでしょう?」
「あるわけ無いじゃない。将棋盤を常備するほどまで、好きってわけじゃないし」
自信は一瞬にして崩壊した。
「……参りました」
「はやっ!」
「大体、ちょっと遊び程度にしかかじっていない僕が目隠し将棋なんか出来るわけないじゃないか! 君はあれか? 初心者にも容赦なく全力で叩きのめすライオンみたいな奴なのか!? ふん、でも将棋盤があれば君なんてあっという間さ」
多分、あっという間に詰まれるだろう。
まだ合間見ていないのに、実力差がわかってしまうのは良い事なのか悪い事なのか。
「ふぅん、じゃあ今度将棋持ってくるから、その時に勝負しようじゃないの」
「受けて立とうじゃないか。……ああでも、僕はこう見えて忙しかったりするから相手してあげられないかもしれないけどね」
「別にいいわよ。十分もあれば」
自信満々な彼女の物言いに、僕は閉口してしまう。
きっと彼女にとっては、僕を打ち負かせる良い機会なのだろう。
結局僕は、のらりくらりと彼女の提案をかいくぐり、逃げるように屋上を後にした。
決して逃げたんじゃなくて、戦略的撤退をしたまでだと述べておく。