第十七話〜魔神な長女〜
昼休み。
僕とナユタは相変わらず、他で食べる事を知らないかのように、屋上へとやって来ていた。
「ねえナユタ。女の子が人気の無い場所で一人涙するっていうのは、どういう時だと思う?」
僕は昨日のハルナちゃんの様子を思い出し、そう尋ねてみた。
「……津波が来た時?」
「はい? ちょっとナユタ。ボケるにしては意味不明だし、真面目に答えたとしても突拍子が無さ過ぎてつっこめないんだけど」
「いやほら。涙。なみだ。波だっ! みたいな」
「わかりづらっ!」
ナユタのお茶目は置いておいて。
「まあ、単純に考えれば何か嫌な事でもあったんじゃねぇの?」
「一概に嫌な事、っていっても色々あるからね。やっぱりノーヒントじゃ絞りきるのは無理か。ナユタさ、昨日女の子振った覚えある?」
「昨日? いや無いな。っつーか、そんな頻繁に告白イベントなんざ起こらねぇよ」
一月に最低一回は告白されているナユタが言うと、実に腹立たしい。
どちらにせよ、ナユタのせいでは無い事は判明した。
「っつーかよ。何でそんな事聞くんだ?」
「そりゃまあ諸々の事情があるんだよ。具体的に言えば、昨日の放課後屋上で一人さめざめと泣く、儚い女生徒が居たんだ。その子がどうにも庇護欲をそそられる女の子でね、だからちょいと気になってナユタに尋ねた訳なんだけど、難解なボケをするわ、誰でも思いつくような事しか言わないわ、本当に使えないね。君は」
「答えたのに、そこまで言われる理由が見当たらない」
「まあ初めから期待はしてなかったから別に良いんだけどさ」
「言われ損だよな、俺」
ともあれ、ハルナちゃんの涙の理由はもう少し詳しい情報が必要そうだった。
「あ、そうだナナ。お前日曜暇?」
「多分暇だと思うよ。姉達が何か言い出さなければ」
「んじゃよ、ちょいと付き合ってくれねぇか?」
「なんだいナユタ。デートのお誘いならもう少しこう雰囲気というものを大事にして欲しいね。君が僕を好きなのはわかってるけどはいごめんなさい嘘です冗談ですだから本気で睨むのは止めて怖いから」
「謝るぐらいならそのネタは止めろ」
「……いやだって、ナユタってあまりうろたえないから、たまにそんな姿を見たくなるのさ、僕としては。いつもどっしり構えちゃって、君は風林火山の山担当か?」
こちらとしては、いい加減このネタにも慣れて欲しいものである。毎回あんな怒気のはらんだ視線で睨まれては、寿命がどんどんと縮まってしまう。
「それでナユタ。どこに行くのさ」
「ん、デパート」
普段、僕らが遊びに行くのはカラオケやらビリヤードやらダーツだったりするので、その場所は予想外だった。
「デパートに行って何するのさ。まさか女の子のように服を物色しようっていうわけじゃないだろうね。それともおばちゃんのようにセールス品を狙っているのかい?」
「違ぇよ。まあ行ってからのお楽しみだ」
ニヤリと笑うナユタの表情に、どことなく不安を覚える。
一体何があるというのか。
と、そこで僕の携帯が自己主張を始めた。
見てみると、一件の新着メールの表示。
「メールか?」
「うん……げっ」
送信者の名前を見て、僕は思わず声をあげてしまった。声をあげずにはいられなかった。
「なしたよ。……うわっ」
横から覗き込んだナユタも同じく、声をあげる。
送信者の欄には、七瀬カナデの文字。
まごうこと無く、僕の姉。七瀬家における長女の名だった。
「ナナ。悪いことは言わん。見ない方が良い。そんな気がする」
「僕もそう思うけど、後が怖い」
「……ん、それもそうか」
七瀬カナデ。
僕らがこの世でもっとも恐れている存在。
傍若無人、唯我独尊を地で行く人で、奴の犠牲の上には大概僕とナユタが居た。
小学四年の冬に、「寒中水泳大会を開催しよう」と唐突にのたまい、たまたま遊びに来てしまっていたナユタと共に、冬の海にまで拉致され海に放り投げ出された。
中学一年の夏に、「人間の限界ごっこをしよう」と唐突にのたまい、たまたま遊びに来てしまっていたナユタと共に、暖房を焚いた部屋で五時間あまり監禁された。
数え上げればキリの無い、奴の我侭と無理難題に強制的に連れまわされた記憶は、永遠に封印したいものばかりである。
しかし、僕らが中二に上がると同時に、地元から離れた場所に就職したために、僕らには平和が訪れた。
確かにちょくちょく家には帰ってきてたのだが、僕が顔を合わせたくなかったのでなんだかんだと逃げていた。
そして今日。
そんな魔神からのメールが届いてしまった。
『やほー、ナナ。元気でやってるかー? 愛しのカナ姉ですよー。そんなわけで今どこよ? クラスの子に聞いてもわからんって言われちゃうしさぁ。三分以内に返信求む。あ、時間越えたら罰ゲームね』
本文にはそう書かれていた。
「こ、これは一体どういうことだ? 僕は悪夢でも見てるのか? っていうか何、今あいつ学校にいるわけ? なんでだ!? 仕事はどうした!? ねえどうしようナユタ、僕はどうしたら良いと思う!?」
「じゃあなナナ。俺は逃げる」
恐ろしく素早い動きで弁当を片付け、ナユタは脱出を試みた。
そのあまりの早業に、僕は反応する事が出来ず、ただナユタの背中を見送るしか出来なかった。
「こ、この裏切り者ぉーーーっ!」
僕は人間の自己保身に醜さを覚えながらも、罰ゲームが恐ろしくて素直にメールを返信するしか無かった。
カナデのメールが単なる悪戯である事を祈りながら、昼休みの終了を今か今かと待ちわびる。
だが、神は僕を見放したらしかった。
「ちゃおーっ!」
屋上の扉が豪快に開かれ、もう二度と聞きたくは無かった魔神の声が聞こえてきた。
七瀬家長女。七瀬カナデの登場である。
「……よ、よう」
そして、そんな魔神に捕らえられている一人の生贄が。
裏切り者のナユタだった。
どうやら逃亡中に運悪く見つかったらしく、捕捉されてしまったようだ。
ざまぁみろ。
「や、やあ姉さん久しぶりだね。相変わらず元気そうで何よりだよ。それよりもちょっと痩せた? だめだよ姉さん、しっかり食べなきゃ。一人暮らしだからってコンビニ弁当ばかりじゃ体調壊すよ? っていうか突然どうしたのさ。いやそれよりも今日って平日だよね。仕事は? もしかして休み? だったら別に良いけど。まあとにかくお帰りなさいって行っておくよ。ああ、そうそう。姉さんが良く通ってた喫茶店、去年潰れちゃったんだ。おいしいコーヒーを出してくれてたのに残念だよね。あ、でもね新しくオープンしたレストランなんだけど、そこのカレーが実においしいんだ。今度食べに行ってみるといいよ」
「一応自炊もしてたよ? 仕事は辞めて来た。そんでただいま。あそこ潰れたんだ。んじゃそのレストラン、今度一緒に行くか。ナナのおごりね」
僕が放った話題全てに応えるカナデ。カナデはこう見えて頭の回転が速かったりする。
……っつーか待て。
今、聞き捨てならない言葉が。
「辞めてきたっ!? 何で!?」
「んー。上司にクソムカつくハゲが居てさ。そいつのお茶にゴキブリ入れまくってたらクビになった」
「露骨すぎるよっ! せめて雑巾絞りで茶を入れるとかしようよっ!」
「あー、やっぱいいねナナのつっこみは」
うんうんと頷くカナデ。
ええい、本当に何しに来やがった。
「……それで、カナデさん。何しに来たんスか?」
恐る恐る、といった感じでナユタがそう尋ねた。
きっと今のナユタは毒蛇の巣に手を突っ込んでいる心境だろう。
そんな経験したこと無いが。
「んー。ナナの顔見に。ついでにナユタも」
「あ、俺ついでなんスね」
「当たり前じゃん。実弟に対抗しようなんざ百年早いって」
「……対抗してるつもりはないんスけど」
「ああ、ウソウソ。ナユっちも私の大切な弟分だから。そんなに拗ねるなよー」
「弟分っスか……ははは」
ナユタの乾いた笑いが実に痛い。
なんか胸が痛い。
ホントごめん。こんな姉で。
「まあっつーわけでしばらくこっちに居るから」
カナデはそう僕らに死刑宣告を下し、屋上から去って行った。
かくして魔神は帰還した。
僕らの平穏がガラガラと音を立てて崩れ去ったのは、気のせいではないはずだ。