第十四話〜純真な後輩〜
突如屋上に登場した女の子は、最近良く顔を見るようになった一年生の女の子だった。
その表情には戸惑いと怒りが同居しており、こちらに指を差して大きく口を開けている。
「あーーーーーーーっ!!」
そして二回目の怒号。
先ほどのものが驚愕の叫びだったとして、今回は怒りに特化した叫びである。
どちらにしても、わざわざ二回叫ばなくても言いと思う。
「……誰?」
ついさっきまで僕に殺意を向けていた彼女は、その闖入者を指差しながら僕に尋ねる。
「なんだかナユタに好意を抱いてるっぽい女の子で、何度追い払ってもしつこくやって来る傍迷惑な子だけどそのしつこさには敵ながらあっぱれと言う外無く、どちらかといえばからかうと反応が面白いから新しいおもちゃみたいな子」
「うわぁ、あの子に心から同情するわ」
などと、彼女にその子の簡単というか一部偏見が混ざった紹介をしている隙に、一年生の女の子は物怖じすることなく、僕ら三人の前へと歩み寄り、見下ろすような形で直立した。
「ちょっとっ! あんた誰なんですか!?」
憤怒の表情を彼女に向けてそう言うその子。なんというか、明らかな勘違いをしているのは明白だった。
というよりか、その子の印象がどんどんと失墜しているような気がする。初めはおどおどしていて実に可愛らしい女の子だったというのに。女という生き物はきっと、いくつもの仮面を被っているに違いない。
だけど面白いから問題無い。
「誰って……二年の時計坂ミナギだけど。あなたは?」
「私は、一年の吉沢ナツキです……ってぇ、そうじゃなくて! あなた、一体ナユタ先輩のなんなんですか!?」
かくして、謎に満ちていた一年生の女の子の名前が明らかになった瞬間だった。
「へぇ、そんな名前だったんだ。それじゃあこれからなっちゃんという愛称で呼ぼうと思うんだけど、それで良いよね? ちなみに僕の事はお兄ちゃんとかご主人様とか呼んでくれていいから」
「勝手に横からしゃしゃり出てきてゾッとするような事言わないでください!」
凄い剣幕で怒鳴られた。
うん、やはりこういう反応は見ていて飽きない。
「それでっ、あなたとナユタ先輩は一体何なんですか!?」
その質問に、彼女は実に困ったようにナユタに話を振った。
「私達、ってどんな関係なんですかね?」
「どんなって……他人以上知り合い未満だろ?」
恐らく本心で言ったであろうナユタの言葉は、なっちゃんを安堵させただけではなく、彼女を若干落ち込ませるには十分な破壊力があった。
「……いやまあ、確かにそうかもしれないけど、それでももう少し言い方ってものがあると思うのよ、私は」
「君の望む返答がどんなものだったのかは知らないけど、あながち間違いでも無いんだからそこまで落ち込むのはどうかと思うよ? 確かに、一方的に可愛がっていた飼い犬に手を噛まれた心境なのはよくわかるけど、それでも喉に噛み付いてこないだけましだと思わなきゃ」
「あー、なんでこんなんなのにナユタ先輩ってモテるのか理解し難いわ」
どうやら彼女にも、ナユタの本性らしきものを理解してきたらしい。
「でも、じゃあ、なんでこんなものをナユタ先輩に!?」
僕らがのんきにナユタについての考察を繰り広げていると、未だ納得のいかない様子のなっちゃんがクッキーを指差しながら、そう問い詰めてきた。
その質問には僕が答える事にする。
「実は彼女、ナユタの命を狙ってクッキーに毒を盛ってきたんだけどね、直前でナユタが気づいたらしく吐き出したから最悪の事態は避けられたけど、こんな真似をしてくる理由というのが気になってね。だから今ちょうど尋問をしていたところなんだよ」
「……ほ、本当ですか! ナユタ先輩っ、だ、大丈夫なんですか!? もし致死性の毒だったら粘膜に付着しただけでも危険ですから、口をゆすいで来た方が……」
「うわ、信じた」
「ナナちゃん。改めて思うけど、あんたって最低ね。っつーか最悪だわ」
いや、今のはさすがに信じる方がどうかと思う。
というか毒事情に詳しそうななっちゃんの口ぶりにも驚きを隠せない。
「うそなんですかっ!?」
「嘘に決まってるじゃないか。でも勘違いしないで欲しいのは僕は君を騙すために言ったのではなく、可愛い子には意地悪したくなるという心境が僕の口を勝手に動かしたんだ。だから悪意は無くとも好意があるという事を理解してくれると嬉しいね。どちらにせよ、僕の言葉に翻弄されるのは君ぐらいで、なかなか面白い反応をしてくれるものだから、ここは感謝の一つも言っておくとするよ。ありがとう。そしてこれからもその純真な心を大事にするんだよ」
「は? あ、いえ。どういたしまして」
律儀にも返事してくれる彼女。
実に面白い。
「……えーっと、あなた今ナナちゃんに皮肉られたって事わかってる?」
「……は? え? なんの事ですか?」
なっちゃんは本当に気づいていないらしい。
ちなみに、僕は騙されてくれてありがとう。今後もバカみたいに騙されてください。と言っているわけで、普通の人ならば怒って当然なのだが。
「……うん、ナナちゃん。こりゃ確かに面白いわ」
「でしょ? ここまで弄び甲斐のある女の子なんて、なっちゃんくらいなもんだよ。これからも疑う心を育てる事無く、純粋な心のままでいて欲しいものだね」
「ナナは好意を持つ相手には、嫌がらせとしか思えない言葉を吐くからな」
今まで貝のように黙っていたナユタが突然放った言葉に、僕はそんな事は無いと口を開こうとした所で、なっちゃんに先を越された。
「そ、それじゃあ、あの、ナナ先輩は私の事が……?」
どこか顔を赤く染めて、僕の事を見るなっちゃん。
盛大な勘違いをしていることは間違いないだろう。
「……あれぇ? じゃあ私にも好意があるって事?」
彼女もニタニタと下卑た笑みを浮かべながら、僕ににじり寄る。
その光景を見て、爆弾を投下した張本人であるナユタは、無表情で空を眺めていた。
我関せず。
そんな言葉が適切としか思えないほどの、傍観っぷりだった。
ああ、なるほど。
僕はスケープゴートってわけ。
「君達ね。僕は純然たる悪意の元に言葉を紡いでいる可能性がある事を忘れてるんじゃないかな? そもそも、嫌がらせというものは悪意のある相手にしかしない事であって、わざわざ好意を持つ相手に嫌われるような事をするバカなんてのは、感情をあまり理解していない子供か、単なるバカぐらいしかいないだろう。そもそも、好意とか悪意とかそんな事を引き合いに出すまでも無く、僕は普段からこういう口調だし、第一君達に好意を抱くにはまだ邂逅してから日が浅いと思うんだ」
「それでもさ、ほら。一目惚れとかあるじゃん。なっちゃんって可愛い顔してるし」
「そ、そんな。ミナギ先輩だって綺麗じゃないですか」
……なにこの茶番。
救いを求めてナユタを見るが、奴は決して僕と目を合わそうとはせず、携帯をいじり始めていた。
というかなっちゃん。君は一体何しにこの場所へやって来たんだ。ナユタにアピールするために来たんじゃなかったのか? だとしたら僕はナユタじゃないぞ、本命はあっちだ。
「はっきりと言っておくけど、僕は君達にそりゃ若干の好意は抱いているけど、それでも赤の他人よりはという程度であって、決して好きな子に意地悪したくなるような心境とはまるで別物であることをここに宣言するよ」
「じゃあ、赤の他人じゃないとは思ってくれてるんだ」
「ぐっ」
なんか、今日の彼女はやけに突っかかってくるじゃないか。
今までの腹いせか? それとも僕に友情以上の好意を抱いているとでも?
……ああ、それは無いだろうな。
なんせ、彼女の顔にそりゃもう楽しいです、といった笑みを浮かべているのだから。
さて、なんと弁解しようかと考えを巡らせた所で、ナユタが立ち上がった。
「悪ぃ、用事出来た」
携帯を閉じながらナユタはそう言って、さっさと屋上から出て行った。
あまりにも唐突な出来事に、僕ら三人はきょとんとしながらナユタを見送り、そして顔を見合わせる。
「……用事って、なんなのかしら? ナナちゃん、心当たりある?」
「まあ、あるといえばあるけど、無いといえば無いね。どちらにしても詮索する必要なんか無いでしょ。ナユタにはナユタの事情があるんだから」
正直、僕にも心当たりは無かった。というか、多分ナユタの嘘だろう。
この場にいるのが嫌になったか、あるいは僕を窮地から救い出してくれたのかまではわからないが。
……というかナユタの場合、前者で間違いないとは思うけど。
「……はぁ、私結局なにしに来たんだろう」
ナユタという目的の人物がいなくなり、すっかり意気消沈してしまうなっちゃん。
「まあまあ、そんな落ち込まないで。そりゃ話に見事なまでに流されるなっちゃんの可愛らしさが原因だとは思うけど、僕としてはそんな君の姿を見られて正直楽しかったからね。それよりどうだい、一緒にクッキーでも」
ちなみに、可愛らしさ=頭の悪さ、という等式が成り立つ。
「ちょっと、なに勝手に人の作ってきたクッキー勧めてるのよ」
「君は落ち込んでいる人間に鞭打つような極悪な人間なのか? ああそうか、君はどちらかといえば化け物よりだもんね。その殺意を隠そうともしない瞳は、相手を凍りつかせるための魔眼なんだろう? もしかしたら怪光線も放てるのかい?」
「……さ、なっちゃん。こんなバカ放っておいて一緒にクッキー食べましょ」
そんなこんなで、ナユタが欠けたその後。
僕達三人はクッキーを頬張りながら、時間を過ごした。
……結局僕は、彼女の作っていたクッキーを食べることは出来なかったけど。