第十話〜謙虚な彼女〜
昼休みにナユタから言葉責めという苦しみを味わいつつも、僕は早退する事も無く放課後を迎えた。
外では天然のシャワーが降り注いでおり、陰鬱な気分を助長してくれる。
それでも僕は、用事の(ナユタのせいで魂が抜けたようになった僕を目ざとくも咎めた教師によって呼び出された)後、甲斐甲斐しくも屋上へと足を運んでいた。
扉を開けると当然のように雨が降っており、大地を叩く雨粒のリズムが耳に響く。
僕は折り畳み傘を広げ、屋上へと足を踏み入れる。
「……それで君は一体、雨が降っているというのに傘も差さずに屋上で何をしているのかな? そんなに濡れて制服が良い感じに透けているから眼福である事は間違いないから、問題ないけど」
「あんただって、屋上に来てるじゃない」
「僕はね、例え雨が降ろうが自身のサイクルを狂わせるような事はしない、いわば精密時計のような存在だからさ。それはそうと風邪引くよ? ああそうか。バカは風邪を引かないというしね」
「殺そうか?」
なぜかそこには傘も差さずに立っている彼女が居た。
透けた制服から覗く下着を隠すように自らを抱きながら、殺気の篭もった目で僕を睨みつけてくる。
うん。大丈夫そうだ。
「で、どうしたんだい? 先日の件ならお断りだよ。というか、もう二度と来ないと思っていたから僕は驚いているんだけど」
僕は彼女に近づいて、自分の傘の中に入れてあげる。
「……頼まれたのよ」
不服そうな表情で、彼女はそう言った。
まるで仕方なくここにいる、と言っているようである。
「頼まれた? 何? ハルナちゃんから僕をボコボコにして来い、とか言われたの? だとしたら止めておいた方が良いよ。僕は思いの他貧弱だからね。あっさりと死んじゃうよ」
「それは弱すぎでしょ」
「僕の弱さを舐めてもらっちゃ困るな。こう見えて僕は幼い頃猫に失神させられた過去を持つんだ」
ちなみに実話である。
「あんたの弱さはどうでも良いわよ」
「まさか、本気で殺す気だとでも言うのか!?」
「……あー、マジで殺したくなってきた」
イライラした口調で、そんな事を言われると萎縮するしかない。
何せ僕は弱いから。
「それで。頼まれたって誰に?」
「ナユタ先輩」
……ナユタが?
予想外の人物に、僕は眉間に皺を寄せる。
一体ナユタが何を彼女に頼んだというのか。
「ナユタ先輩が、あんたのこと許してやってくれってさ」
「ナユタが、そんな事を言ったの?」
「そうよっ! だからこうして来てみればあんたはなかなか来ないし、傘持ってないからびしょ濡れになるし、最悪よっ! ほんと、最低ねあんた」
とても許そうと思っている態度ではない。
というか。
「別に屋上で待って無くても、中で待ってれば良かったんじゃないの?」
「……あ」
まさか本当に気づいてなかったと訳が無いよな?
さすがにそれは頭を疑うぞ?
「まあ僕としては許してもらわなくても一向に構わないんだけど。というか面倒が一つ減って助かったとも思ってたんだけどね。ナユタってば余計な事をするのだけは天才的なんだから困っちゃうよ」
「…………」
そんな僕の言葉に、彼女は怒りの表情から、驚いた表情にシフトチェンジする。
「驚いた」
そして言葉でもそう言った。
「驚天動地ね」
実に大げさにそう言った。
「何? 僕、なんか変なこと言った?」
「いや、ナユタ先輩に言われたとおりだったから」
「は?」
「私がそう言ったらナナは『許してもらわなくても良い』って絶対に言うけど、それは単なる照れ隠しだから気にしないでって、ナユタ先輩が」
あいつめ。
いつの間に僕の言動をトレースできるようになったのだ。
さすがは幼馴染といったところか。
「本当に、あんた達って仲が良いのね」
「そんな事は無いさ。僕と奴はいわば敵同士なんだ。機会があればお互いに血みどろの戦いを繰り広げるだろうね。いわば今は情報収集の段階で、様子見ってところなんだよ。ほら、よく言うでしょ、敵を知り己を知れば百戦危うからずって」
「そのくせにナユタ先輩のために寄ってくる女の子を撃退してるようじゃない。ああ、女の子のためだっけ?」
……なぜ彼女がそんな事を知っている。
「……もしかして、ナユタが話した?」
「ええ。ナナちゃんがお節介な事をしてるってしっかりと聞かされたし、釘も刺された。俺に好意を寄せる子には悪いが、傷つける以外の事はできねぇから、諦めさせてやってくれ。とも言われた」
ナユタめ。
なんだってそんな事を彼女に言ったんだ。
それにしても、何気に彼女の声真似は似ていた。
意外な特技発見である。
「なんであんたがそんな無駄な真似してるわけ? そのせいで女の子に嫌われてるのに。とんだお人好しも良いとこね」
「なに。単なる偽善だよ」
「偽悪者の間違いでしょ?」
言い返せない。
確かに、僕を表すにもっとも適切な表現だ。
偽悪者。
良い響きじゃないか。
「だからあの時、あんなこと言ったのね」
「あの時?」
「ほら、傷ついてからフォローするのと、傷つく前に救い出すとかなんとか」
ああ。彼女が怒って屋上から去る時に言った言葉か。
しかしなぜ、僕は彼女にそんな事を言ってしまったのか。
過去の僕に尋ねてみたいが、残念ながら過去に遡る事は不可能なので、諦めるしかない。
「私はどっちも大差無いように思うけどね」
「それは違う」
そう。それは違う。
あの時、この場所で、自殺を試みたあの女の子を説得した僕が言うのだから、間違いない。
「全員が全員、君のように強ければ良いのかもしれないけどね。中には過去をいつまでも引きずる子もいるんだ。僕はその子を見てるし、説得したから知っている。傷ついた心を癒す術は多々とあるけど、心に受けた致命傷は完治が不可能なんだ。精神力が弱い子なら、壊れてしまってもおかしくないんだよ。僕はもう二度とそんな女の子を見たくないんだ。だから僕は、傍から見れば愚かにしか見えない行為をしてるんだよ」
「うそつけ」
……いや、そう言われるのは慣れたけどさ。
さすがにこの場面でその言葉はどうかと思う。というか、あんまりだ。
「君、人が折角シリアスに語ったっていうのに、それはあまりにもあんまりすぎないか?」
「冗談よ。いつものお返し」
「くぅっ! 今、今僕は心に致命傷を」
「つばでもつけときゃ治るんじゃない?」
本当に酷い言われようだ。
僕が一体何をしたというのだ。
……まあ、思い当たる節がありすぎるけど。
「ま。あんたが本当の理由を話してくれたし、今のですっきりしたから許してあげるわ」
「だから、何度も言っているように僕は許してもらわなくても構わないって言ってるじゃないか」
「あー、はいはい。そんなに照れなくても良いでちゅよー、ナナちゃん」
「……うわ、キモい」
「う、うるさいっ!」
「君ってもしかしてあれ。赤ちゃんとか動物とかに話しかける時って、赤ちゃん言葉になるタイプか。もしかして昔、ぬいぐるみとかにもそんな言葉で喋りかけたりしてなかった?」
「うるさいって言ってるでしょ!?」
攻守交替。
たっぷりと言葉で責めてあげる事にしよう。
僕はどうやっていたぶってやろうかと、脳内に言葉を思い描く。
降りしきる雨音が、心地よく耳に響いていた。
サブタイトルに限界を感じつつある今日この頃。