あの方
高木翔也、平凡な16歳。顔も、スタイルも、頭の良さも、友達も、何もかもが良からず、悪からずの平凡のただの高校生、のはずだった――
夏樹に連れられやってきたのは、おんぼろマンションだった。一体、こんなところに誰がいるというのか。俺には検討がつかなかった。
ゴクンッ。
夏樹の方から、とても緊張したように唾を飲み込む音がした。
「では、行くぞ」
「お、おう」
夏樹は、覚悟を決めたと言うように、かたい口調でそう言った。
そんなに緊張されると、こっちまで緊張してくるじゃないか。
そんなこんなで、扉を開けた。
すると、周りの空気は一変した。
目の前には、大きな玄関に長く連なる階段があった。
唾をのむ。
このマンションに足を踏み入れてはだめだと、俺の何かが言っている。
だが、そこに踏み込まないわけにはいかなかった。何故だろう。勝手に足が動いてしまった。
「ここにあの方は待っていらっしゃる。あの方の気に障らぬようにするんだぞ」
「・・・・・・」
ゴクンッ。
また、唾をのんだ。
何だかすごく怖い。この先には何が待っているのか。想像するだけでも、怖気付いてしまう。それほどの空気をかもし出している。
俺は深呼吸をし、扉を開けた。
ガタッ。ギギッ、ギギギギッ。
鈍い金属音が鳴り響いた。
俺は、前を見る。前だけを見る。そこに居たのは目を疑うような人物だった。
「ようやく来たか、翔也」
「・・・と・・・う・・・さん?」
何で?何でこんなところに父さんがいるんだよ。父さんは死んだはずじゃ・・・。
動揺を隠せないでいる俺を見て、あの方は言った。
「夏樹、翔也を連れてきてくれてありがとう。お前も入ってきなさい」
「はい」
そう夏樹は答えて、部屋の中に入ってきた。そして、俺の隣に並んだ。
「私には時間がない。手短に話そう」
高木忠政。それが父さんの名前だ。
父さんはある日突如、忽然と姿を消した。俺達家族は、数年経つ今でも父さんを探していた。でも、今朝警察から電話があった。父さんが、死体で見つかったと。それが最悪なニュース。それを忘れるために、俺は汗を流しながら、自転車で坂道を登っていたのだ。
それだと言うのに、なぜ父さんは生きている。嬉しさと戸惑いが混ざってどうしたらいいかわからない。時間がない?何を言っているんだ。父さんは、俺と一緒に家に帰るんだろう。皆、待っている。父さんが帰ってくるのを家族は待っているんだ。
「私は、お前に頼みたいことがある」
「・・・・・・」
「お願いだ。この世界を救ってくれ。あと5年でこの世界は終わる。そんなの嫌だろう?お前も」
「・・・家に帰ってくるならやってやる」
そう俺が言うと、父さんは困ったように微笑んだ。。
「ゼロからこの世界を創り直して欲しい。これは、お前にしか頼めないんだ」
「・・・嫌だ。帰ってくるならやってやる」
また、父さんは困った顔をした。それでも、話は続ける。
「やり方は、夏樹が知っている。夏樹、よろしく頼む」
「はい」
「・・・・・・何、逃げてんだよ」
父さんは微笑んだ。
そして、目を閉じた。
小さな寝息が聞こえてきた。
何で寝ちまうんだよ。起きろよ。帰って来いよ。
俺は怒りにまかせ、父さんの体を揺さぶった。
「寝てんじゃねぇよ。何で帰ってこないんだよ」
大声で感情をさらけ出した。
「今まで何してたんだよ。何が世界を救ってくれだよ。世界が滅ぼうと俺はどうだっていい。帰ってこいよ。お願いだよ」
「止めろ。忠政様に何をする」
「止めるな。父さんは連れて帰る」
「無理だ。忠政様は深い永遠の眠りにつかれたのだ。もう起きることはない」
何いってんだよ。何だ深い永遠の眠りって。神様か何かかよ。
「忠政様は力を使い果たしたんだ。この世界を守るために」
「そんなこと知るかよ。俺達家族を置いていなくなったんだぞ」
「仕方がない。君たちを守るためにやったんだ、忠政様は」
夏樹は泣きそうだった。
『仕方がない』と彼女は言った。
『お前しかいない』と父さんは言った。
俺だって、心の隅では分かっていたんだ。それでも、認めたくなかったんだ。でも、父さんの願いだ。だから、俺は認めるしか選択はなかったんだ。
「・・・・・・分かった。やってやろう。世界を救ってやろう」
すると、彼女は泣きそうだった顔を、満面の笑みに変え、力強く言った。
「もちろんだ」
俺は微笑んだ。
彼女も微笑んだ。
そして、俺らは足を踏み出した。
その日、高木忠政は世界から消えた。
神様は、力を使い果たすと、皆、深い深い眠りについていった。
だが、一人眠りにつかなかった神がいた。
伝説では、その神はいまだ生きているという。そして、この世界を見守り続けているという。
人々は、その神に頼りすぎてしまった。神は、人々の前から姿を消した。今、どこにいるのかは誰も知らない。人の中に紛れ込んでいるという。
神はどこにいるのか。人々は必死に探した。でも、それは誰もわかるはずがなかった。だって、神は自分が神だということを、記憶の端に封印したんだから――