悪役令嬢のお兄様
私のお兄様は凄い、何でもお見通しです。
困った時はお兄様の言う通りにすれば間違いなんてありません。
「アデリーデ、今日はこれを読んで頭に入れておきなさい」
「まあ、お兄様直筆の御本ですのね、早速お勉強しますわ」
お兄様のお書きになる御本は学校の教科書には載っていない、日常で困った時に助けになる事が沢山書かれているので何時も助かります。
「そうかい、なら僕は暫くここにいるから解らない事があったら何でも質問するといいよ」
聡明で優しいお兄様、何時も助けてくれるお兄様を私はとても尊敬しています。
「お兄様、この答えは本当にこれでいいのですか?」
「ああ、いいんだよ。相手にはちゃんと伝わるからね」
お兄様の御本には理解出来無い事が沢山書かれていますが間違っていた事が無いので私は教わった通りにしています。
「貴方の秘密を知っています!」
私の名前はミルコール・ノイマン。ノイマン伯爵家の四女です。祖父は引退前は宰相をしていて不正を働く貴族を例外無く罰してきました。
父上もまた其れに倣い、腐敗した貴族社会を改善するために日夜努力を続けています。
母上も代々王家を守護する騎士伯の生まれで、弱き民に心を砕く正しき人です。
私はそんな家族を尊敬し、見習いたいと【悪評高い令嬢】アデリーデ様を改心させるべく立ちはだかる決意をしました。
残念な事に【被害者】と思われる方々の証言を聞こうとしたのですが、皆が一様に怯え口を開いてくれません。
巧みな企てをするアデリーデ様は証拠を残す事はありませんが、この怯え様は黒としか言い様がありません。
ですから”カマ”を掛ける事にいたしました。
……え? ウソは良く無いって? 大事の前の小事です。嘘も方便です。悪を滅ぼす為なら私は敢えてその罪を被りましょう! それが私の決意です。
『貴方の秘密を知っています!』
困りましたわ、この人が何を言っているのか解りません。
天気がいいので屋上でお昼を食べていましたのに、いきなりそんな事を言われましても。
お行儀の悪い事としりつつも、お箸の先を咥えて残っているお弁当を見下ろします。
そうですわ! 確かお兄様の教科書に……
「はい、承りましたわ」
本当にそれだけでいいのか少しだけ不安ですが、尊敬するお兄様を信じます。
私はお食事の続きを始めますと
「何かいいなさいよ、秘密を知っていると言ってるのよ!」
秘密とは何の事でしょうか? 私には解りません。この方に聞いたら教えてくれるのでしょうか?
箸を止めてお弁当を見つめながら考えます。……ええと、
「でしたら後日、日を改めてお会いしましょう。その頃にお考えも改まっておりますとよいのですが」
考えと言うより”勘違い”なのではと思いましたがお兄様は『ここが重要』と線まで引かれて説明をされていたのでその通りにします。
――っ!
一瞬、怖い顔で睨まれましたが、あの方はお帰りになられました。やはりお兄様は凄いですわね。これでお昼の続きが食べられます。
「――と、言う事があったのですわ」
「そうかい、それならきっと暫くは何も無いと思うよ。きっと疲れた頃に話し掛けてくるから、そうしたら……」
私の話を聞いたお兄様がアドバイスをして下さいました。あの方の次の行動を予測出来るなんて流石です。私なんて混乱するばかりですのに……。
……あの時、私は怖くなって逃げ出してしまった。
怖くて授業にも集中できず、家に帰るなりベッドに潜り込んで震えた。
あれが、あれこそが悪の化身。それと対峙するというのはこれ程怖い物なのか。
口調こそ穏やかなままだったけど、『考え方を変えてやる』あれはそういう言い回しだ。
きっと他の被害者もそうして心を折られてきたのだろう。
私も……。いや、まだだ。私は皆の為にも折れてはいけない!
私は自分を奮い立たせるとベッドから降りる。
彼女が何をしてくるかは解らないけど暫くは身の回りを気にしながらすごそう。
それからの数日は人気の無い所には近付かない、行き帰りの道中は周囲に気をつける、明るいうちに帰宅する、風呂の時も部屋にいる時も油断はしない。
多少疲れたけど、私の頑張りもあって彼女は私に手が出せないでいる。
きっと今頃は焦っているに違いないわ。明日会いに行って更に焦らせる様な事を言えば、きっと尻尾を出す筈だわ。
「おかしいわね、私の考えは改まっていませんわよ」
あの方が来ました。お昼の、私の楽しい時間ですのに……
『おかしいわね、私の考えは改まっていませんわよ』
相変わらず自信満々に意味不明な言葉を私に投げ掛けます。
ええと、こちらはケース2でしたわね。多少は違いましたが概ねお兄様の予想と同じ言葉でした。
こちらの場合は……
「気付きませんでしたの? ではもう少し解り易く、身近な所にしますわ」
これでいいのでしょうか? 私は何もしておりませんが、お兄様は大丈夫だと自信たっぷりでしたので、お兄様を信じて教えられた通りに答えます。
「何をしたの!」
これは普通に答えて良いと言われていましたわね。自分で理解出来ていない会話は心苦しかったので、自分で受け答えられるのは安心できます。
「私は何もしていませんわ」
そしてまた、あの方は走り去って行きました。
何故走っていくのでしょう? 今日帰ったらお兄様に聞いてみましょう。
「それは、お昼を食べる前に話に来たから急いで食べに帰ったんじゃないかな」
クスクスと笑いながら答えるお兄様。
そうでしたの、その様な恥ずかしい事でしたらお兄様に聞くべきではありませんでした。あの方には悪い事をしてしまいましたわ。
「ああ、そうそう。2~3日したらまた来ると思うよ。予想される行動は3つ」
そしてお兄様のアドバイスが始まりました。
私は元気な姿で彼女の前に立ちます。何も出来なかった事に彼女は悔しがる。
そう思っていたのに、彼女は何事も無かったかの様にお弁当を食べていた。
「おかしいわね、私の考えは改まっていませんわよ」
きっと内心では焦っているはず。それを表に出そうとした私の言葉に彼女は
『気付きませんでしたの?――』
誤算だった、彼女の標的は私じゃなかったんだ!
私は無関係な人を巻き込んでしまった事に焦った。なんて事だ、正義とはこれ程酷い代償を伴うものだったなんて、私はなんて浅はかなんだ……。
『私は何もしていませんわ』私の問いに彼女は軽く答えた。
まただ、またなのか……。証拠も残さず、誰に、何をさせんだ!!
私は近い友人や知り合いが心配になって駆け出した。
結局、被害者を二日間探し回ったが見つからなかった。本当に何もしていなかったのだろうか?
そんな筈は無い。だってあの時……! そうだ、あの後なんて言った!
『――ではもう少し解り易く、身近な所にしますわ』
しまった! 被害者を探すよりも先に身近な人に注意を促すべきだった。
先ずは家族に警告するべきだろう。だけど、どう言えばいいのか……。悩みすぎて夕食を食べるのも覚束無いでいると、父上が恐ろしい事を口にした。
「昨日、叔父さんの家に強盗が入ったそうだ、この辺は治安が良いから大丈夫だと思うが用心はしておいた方がいいだろう」
私は耳を疑った! ……叔父さんが、何だって? まさか、そんな
「叔父さんは!?」
身を乗り出して聞き返す私に驚きながら『大丈夫だよ』と笑って答えた。
「たまたま二人で出掛けていて、留守の時に強盗に入られたそうだ。
残っていた衛兵二人と侍女が斬られて(軽傷)金品を奪われたそうだが被害としては大した額ではない。
ただ、”流れ者の急ぎ働き”らしく捕まえるのは無理だろう」
叔父が無事だったのはいいけど、人が斬られる(殺される)なんて……。まさか彼女が殺人までするとは思わなかった。
自分はなんて取り返しのつかない事を。これはたまたまなんかじゃない、警告するためにわざと叔父の留守を狙ったに違いない。
流れ者? 急ぎ働き? なんて巧妙な……、なんて卑劣な……
血の気が引くのを感じると共に意識が薄らいで行き、私はそのまま倒れた。
翌朝、学校に行こうとする私を母上が心配して付き添う。
「この先に貴方が小さい頃、お世話になった御爺さんがいたでしょ?」
確かに、遊びに行くといつもお菓子をくれる優しい御爺さんがいる。昔した冒険の話を物語の様に語るそんな御祖父さんが好きでよく行っていた。
「こないだ亡くなったそうよ、突然倒れたんですって。結構な御歳でしたからしかたの無い事でしょうけど、貴方もお世話になったのですから――」
違う、年だからとかじゃない。あの御爺さんが最初の警告だったんだ。
私は堰を切ったように涙が溢れ出してその場に崩れた。
なんて愚かな正義感だろう、彼女の悪事を暴く? そんな事、私には無理だ。
証拠を掴む前に全てを失ってしまう……
もう辞めよう、私の心は折れてしまった。今の私に正義を名乗る資格は無い。卑怯と罵られようと、愚か者と見下されようと、残った家族は、家族だけは失いたくない。
心配する母上を掴んで立ち上がる。『帰って休みましょう』そう心配する母上に無理を言って学校へ連れて行ってもらう。
これ以上彼女に時間を与えてしまえば私はまた何かを失ってしまう。
……それだけはもう嫌だ。
何故この方は私の食事の時間を邪魔するのでしょうか? もしそれが趣味なのなら止めて下さらないかしら?
ですが今日はお兄様に予想を立てて頂いていましたので、私はもうお弁当を食べ終えています。
備えあれば憂いなし、です。ですが……
そんな彼女は泣きながら土下座をしています。
驚きました、お兄様は”謝って来た場合”については教えてくれましたが、それが土下座とは思いませんでした。
食事を終えた私は、立ち上がってお兄様に教えられた言葉を口にします。
「こんにちは、今日はいい天気ですね。こんな日は何か起きそうな予感がします……それでは、さようなら」
「そ、それだけは……なんでもします、なんでもしますから、それだけは!」
”それだけ”とは、どれだけでしょうか? この方は私の足にしがみ付いて懇願し続けます。
お昼の邪魔をした事を謝っているのとは違いますよね? 帰ったらお兄様にお聞きしませんと。
そうそう、次はたしか……
「それでは”何もしないで”くださいね。では、ごきげんよう」
私は屋上から立ち去りますがあの方はお礼と謝罪を繰り返していました。
こう言っては申し訳無いのですが、少し怖いです。
「土下座か、それは見たかったですね」
腹を抱えてお兄様は笑っています。
「女生徒の土下座が見たいだなんて悪趣味でしてよ」
「ああ、そうだね。申し訳無い」
そうは言っていましても、まだ笑っています。
「でも、いいのですか? 曇っていましたのに”いい天気”だなんて……」
「あの時に言っただろ? それは関係ないって」
ええ……。あの時お兄様は言いました。
『もし元気が無かったり、謝ってきたら気晴らしに”いい天気ですね”と言ってあげるといいよ。それと、何かが起こるって』
『何か? ですか?』
『そう、きっといい事が起こるんじゃないかな~ってね。あ、でも”良い事”とは言ってはいけないよ。何も無かったら怒られちゃうからね』
『では無難に”起きそうな予感がします”ではどうでしょうか?』
『いいね、それと立ち去る際にはさようならを忘れない様にね』
『ごきげんようでは駄目なのですか?』
『それは後に取って置いた方がいいからね、きっと帰るのを止められるから、その時に何もしないでとお願いして、それからだね。”ごきげんよう”を二回同じ人に言うよりも”さようなら”と”ごきげんよう”を使い分けた方がスマートじゃないかと僕は思うんだ』
『ですけど、「何もしないで」とは何の事でしょうか?』
『ほら、お昼の邪魔をされているんだろ? このタイミングでお願いすれば今後彼女は食事の邪魔をしないと思うよ』
『では、あの方はもう食事の時には来ないのですね? あの方には申し訳無いのですけれど、何を言っているのか解らなくて怖かったので安心しました』
『ああ、大丈夫だよ。(あの手の輩は”思い当たるフシ”を見つけるのが得意だから、含みの有る言い回しをすれば勝手に自爆してくれるからね)』
「貴方の悪事は私がきっと暴いて見せます!」
――お兄様、新しい人がお昼の邪魔をしに来ました。