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ある小説家志望の十二カ月

ある小説家志望と歪んだ観測者

作者: コーチャー

 九月。言わずと知れた新学期である。


 織田作之助おだ・さくのすけは、秋に心と書いてうれいと読ませることをいみじくも考えた、と評したがまだ僕にはこれをいみじくも、と評すことはできない。なぜなら、夏休みを終えるにあたって僕には愁ることがないからである。高校生の頃は、夏休みの宿題や抜き打ちテストのことを考えると、気が重くなったものだった。だが、大学生になりそれらから解放されると、それらに向けていた時間をほかのことに使えるようになった。おかげで、僕は所属している文芸サークル『あすなろ』の季刊誌に載せるための短編を三本あげることができた。実に清々しい気分と言える。先輩達は、学生中に商業誌デビューを狙って投稿用の長編を書くと言っていたが、どのような結果になっているのか楽しみである。


「森久保、今日は学食を止めて北門横の『レヴィ』で優雅なランチと洒落こまないか?」


 一緒に学生課に後期の履修確定書を提出した阿部あべが珍しいことを言った。レヴィは喫茶店である。喫茶と言いながらもそのランチは無類むるいの美味さであり、


「コーヒーなどいらん。ランチを食べるのだ」

「ランチのおまけがコーヒーだ」

「不味いコーヒーに目をつむってうまいランチを食べる、これがつうだ」


 という熱心なファンもいるくらいである。


これに対してレヴィのマスターはどう思っているのか、その胸中は複雑なものだろう。しかし、学食よりもはるかに値の張るランチを学生の身で毎日食べることは難しい。おかげでランチタイムは教授陣御用達、と言っても過言ではない。


 先月の阿部は、僕と一緒に故郷である四乃山市に戻っていた。つまり、バイトはほとんどしていないのである。その阿部がレヴィに僕を誘うというのはどういうことか。金はあるのだろうか。


「阿部、飯代なら出さない。僕も今月はバイト代が入らず苦しいのだ」

「奢れなんて言っていない。お前の懐が寒いのは俺も知っている。そこでコレだ!」


 阿部は懐から薄くみすぼらしい二つ折の財布を取り出すと、中からクシャクシャに折りたたまれた紙を取り出した。そこには、

『期間限定! 喫茶レヴィランチ半額 九月十日~十五日(このクーポン一枚で二名まで)』

 と、朱色でデカデカと印刷されていた。


今日が九月十五日である。まさに今日がクーポンの最終日だった。九百円のランチが半額ということは四百五十円。まさに学食と同じ値段である。レヴィにこんなクーポンが存在するとは知らなかった。阿部はこんな夢のアイテムをいつ手に入れたのか。


「なんだ、コレは!? 阿部が持ってきたものの中でもっとも貴重な代物ではないか」

「森久保、控えろ! これがないとお前は九百円のお高いランチを食すことになるのだぞ!」


 阿部が印籠いんろうでもかざすようにチラシを前に押し出す。これにはさすがの僕も平伏しかねない。それほどにレヴィのランチは美味しいのである。それを学食と同じ値段で食べられるというのは夢でなければ、悪魔のささやきと言って良い。


「分かったか。森久保」


 自分のちからでもないくせに胸を張る阿部を眺めながら、僕はきっと助さんと格さんもこう言う顔をしているに違いないと確信した。


「分かった。分かった。阿部サマのおかげで美味しい昼飯を食べることができます。これでいいだろ」


 僕が出来るだけ平坦な声で言うと、阿部はニヤリと悪い顔で笑うと「良きにはからえ」と楽しげに言った。まったく子供なやつである。


「それにしても、そんなものどこで配っていたのだ?」 

「ああ、これか。下宿のポストに入っていた」


 ああ、そういえば何やら下宿のポストに入っていたような気がしないでもない。盆から実家に帰っていた僕が下宿に戻るとポストには不在中に入れられたと思われるチラシが外まで溢れていた。一人暮らしの身で特に手紙が来る予定があるわけでもない僕は、それらを一考もせずに、下宿に据え付けられているゴミ箱に捨てた。下宿に入れられるチラシの多くはロクでもないものが九十九パーセントである、と言っていい。学生には縁のない保険の勧誘、卑猥ひわいななサービスや名も聞いたことさえない新興宗教のリーフレットがそれにあたる。


「よく、仕分けたものだな」

「お前と違って俺は整理整頓するタイプなんだよ。そうするとこう言うお宝にめぐり合うこともあるというわけだ。お前も少しは部屋を片付けろ。もうすぐ書籍で床が抜けるんじゃないか」

「うるさい。あれはあれでどこに何があるか分かっているのだ。変に整理してみろ。どこに本があるかさえ分からなくなる」


 毎月のバイト代が小説に転化てんかする我が家は居住二年目にして居住スペースの多くを書籍に占領される危機に瀕している。しかし、無理にこれを押し返すと雪崩や崩落の危険が生じるのである。新たな災厄を招くくらいならば、居住性を犠牲にする、それが僕の答えである。


「今日も楽しそうですね。先輩方」


 振り返れば、後輩である藤阪ふじさかさんがいた。その顔は、まさに破顔一笑はがんいっしょうというような笑みがたたえられている。いつから、僕らの低俗な言い争いを聞いていたのか。まったく気配を感じなかった。


「藤阪さん、お久しぶりだね。元気だった?」

「ありがとうございます、森久保先輩。おかげさまで夏風邪をひくこともなく元気でした。実家住まいだからお盆もどこかに行くということもなく平穏な夏休みでした」


 嬉しそうに答える藤阪さんをみているとこちらまで嬉しくなる。阿部と話していてもこんな気持ちにはなれない。藤阪さんは僕の後輩であるが文芸サークルに所属しているわけでもなければ、学部が同じというわけでもない。彼女は占いサークル『千里眼』の一年生である。彼女の折畳み傘を泥棒から取り返したのが縁でなにかと接点ができている。


「お二人はいまからお昼ご飯ですか?」

「そうだよ。阿部とレヴィで豪華ランチを食べようと言っていたのだ。よかったら藤阪さんもどう?」


 僕がそう言うと阿部が慌てた顔で僕の袖を引いた。彼は無言で僕に先ほどのチラシを見せるとある一点を指差した。そこには『このクーポン一枚で二名まで』と、書かれていた。学食で妥協するか、という考えが脳裏をよぎるが、舌と腹は完全にレヴィのランチなのである。頭では理解できても体が理解してくれない。それは阿部も同じらしく、僕らが顔を見合わせて押し黙っていると藤阪さんは、濃紺のバックから僕らが持っているチラシと全く同じものを取り出した。


「それなら私も持っていますよ」


 なんと良くできた娘さんなのだろう。僕は藤阪さんを育てた親御さんの教育力に感謝した。


「よし、行こう」

「そうと決まれば、レヴィへ急ごう」


 頼りにならない男子の代表である僕たちは、少しの気まずさを胸にレヴィへ向かう。その道中、藤阪さんが、顔を曇らせながら後ろをチラチラと確認している。友達でも見つけたのかと思ったが、どうにもそういう表情ではない。むしろ、未知の敵と遭遇した、そんな感じなのである。


「藤坂さん? 何かあった?」

「先輩方……後ろの女性って知り合いですか? 先ほどの学生課の前からずっと先輩方を見つめている人がいるのですけど」

「女性の知り合い? 俺にはいても森久保にはいないな。いても藤坂さんか泉くらいのものだろう」


 間違ってはいない。だが、妙に刺のある言い方である。僕は阿部を睨みつけると、何気ない風を装って後ろを確認した。確かに僕らから少し離れたところを女性が歩いている。黒いブラウスに黒縁メガネ。前髪がメガネにかかっている。真っ黒な風貌なかに一点、紅色がある。唇である。薄ら笑みを浮かべる口元の紅だけが異彩を放っている。僕はこの真っ黒な女性に覚えがあった。


「俺の知り合いではないな」

「と、言うことは森久保先輩の?」

「彼女か?」


 阿部が恐ろしいことを言う。いくら僕の生活に女っ気がないにしても多少の選ぶ権利は与えられてもいいはずである。藤坂さんなど驚いて眼を見開いているではないか。阿部の冗談は笑えないだけなら許せるが、品が無いので始末に負えない。


「違う。あれは大蔵谷風子おおくらだに・ふうこ。通称フコ先輩だ」

「えらく変わった名前だな」

「部長に聞いた話だけど、フコ先輩のお父さんが相当な哲学かぶれで構造主義の大家であるミッシェル・フーコーにあやかって風子と言う名前にしたそうだ」


 フーコーは、ジェレミ・ベンサムが考案したパノプティコン――全展望監視ぜんてんぼうかんしシステムと呼ばれる円形刑務所を社会構造にも適応できるとした人物である。「監視されている」と人々に思わせることで、模範もはん的な行動を取るように矯正きょうせいさせるのである。


「で、そのフコ先輩がどうして俺らを見てるんだよ」

「分からん。僕とフコ先輩では書くジャンルが違いすぎて話をしたことも数度しかない。僕は純文学、ホラーといったものを好むけど、あの人はもう少しライトな小説――恋愛とかファンタジーとかを書いている」


 彼女の作品は何作か読んだことがあるが、思想を矯正されるような悪評をした覚えはない。むしろ、あまり読まないジャンルだけにこういう書き方があるのかと、感心したくらいだ。ならばなぜ、彼女は僕らを監視するのか?


「たまたま、行く方向が一緒というだけではないでしょうか?」


 藤坂さんが恐る恐るという感じで意見を述べる。確かにその可能性は十分ある。後期の履修確定書は今週中に学生課に出さなければならない。つまり、全校生徒が今週のうちに一回は学生課に顔を出すのである。また、レヴィのチラシは大学近辺の学生マンションに配布されていたようなのでフコ先輩が持っていて、レヴィでランチをしようとしていてもおかしくはない。


 きっとそうに違いない。たまたま行く先々で顔見知り程度の後輩がいるから訝しげに見ている。それが正解なのだ。僕はそう考えることで心の平穏を保つと、フコ先輩を視界に入れないように急ぎレヴィに向かった。


 レヴィは座席数二十席程の小さい喫茶店である。座席はカウンターしかなくL字になっている。僕たち三人は、Lの横棒部分に並んで着席する。僕たちに少し遅れて店に現れたフコ先輩は縦棒部分に着席した。ちなみに僕たちの隣の席は空いていた。もし、顔見知りに気づいて話しかける気があるならそこに座るに違いない。だが、彼女は座らなかった。


 だが、彼女の視線は僕らの座席に向けられている。


「ダメだ。あれは絶対こっちを見ているぞ。森久保、何したんだ?」

「いや、なにかした覚えはない。お前こそ、何かしたのではないか?」


 不本意ながら俺たちは、フコ先輩に監視されながらランチを食べている。いつもなら「美味い!」を連呼して食べるランチなのだが今日はいまいち味がよくわからない。それは阿部も同じらしく僕たちは気まずさを飲み込むようにレヴィ特製コロッケをほお張る。


「もしかして……」


 藤坂さんはなにか思いついたのか、先ほどのチラシの後ろに何かを書き込んだ。


『森久保先輩じゃなくって阿部先輩に気があるのではないじゃないでしょうか?』


 チラシには藤阪さんの整った文字でそう書かれていた。これを読んだ瞬間、阿部は激しくむせこんだ。あまりにも隣で苦しむものだから武士の情けで水とおしぼりを手渡す。阿部がむしりとるようにおしぼりをひったくると口元に当てる。そして、僕が背中をトントンと叩いてやると。幾分落ち着いたのか水を一気にあおった。


「俺を殺す気か?」

「苦情なら僕に言うのはお門違いだ。いまのひらめきは藤阪さんのものだ」

「ごめんなさい。私が変なことを思いついたばかりに……」


 申し訳なさそうに目を伏せる藤阪さんをなだめるように言った。


「藤阪さんが謝ることじゃない。むせたのは阿部個人の問題だ。それよりも問題は……」


 僕たちは何か悪いことでもしているかのようにフコ先輩のいる方に視線を向ける。彼女は一心不乱という風にメモ用紙かなにかに満面の笑みで筆を走らせている。何を書いているのかはわからないが正直、不気味である。


『なにを書いているんだ?』


 阿部がチラシにさらに言葉を書き込む。僕は首を左右に振ってわからないことを伝える。


『阿部先輩への愛の言葉かも……』


「ちょっと待て!」


 藤阪さんのダメ押しの書き込みに阿部が一瞬声を高める。ここまで狼狽する阿部は、泉さんに告白すると決めた前日以来だと言っていい。あのときも阿部は不安でオロオロ落ち着かない様子であったが、今回は前回と違って恐怖が前面に出ている。


「……もうだめだ。耐えられん。森久保、問いただそう」

「阿部。世の中には知らない方がいいこともあるのだ」

「いや、森久保。お前は恐れている。もしかしたらあれが好いているのは森久保、お前なのではないか、と。それを知るのが怖いのだろう」


 図星である。僕は怖いのである。藤阪さんは彼女が阿部を見つめていると言ってくれているが、チョイチョイ僕とも視線が合うのである。これでは僕と阿部のどちらが監視されているのか分からない。


「そうですね。こういうのは早いうちにはっきりさせたほうがいいと思います」


 ここで藤阪さんまで阿部に同意してしまった。多数決では僕が少数派。知らないで済むなら知らないで通したかった僕の淡い期待は、打ち砕かれた。


「では、行きましょうか?」


 藤阪さんが僕たち二人の顔を代わる代わる見つめると小さく頷いた。僕と阿部もそれにあわせて頷く。僕らは席を立つとフコ先輩の座席にゆっくりと進んでいった。フコ先輩は、それに気づいて手元の紙を一つにまとめると僕らの到着にあわせて口を開いた。


「森久保クンどうしたのさ? ボクになにかようかい?」

「いえ、先輩の方が僕たちに用があるのではないかと思いまして……ずっとこちらを見ておられたので」


 探るように僕が言うと、フコ先輩は、あはは、とわざとらしい笑い声をあげた。阿部は引きつった表情で彼女を見つめている。藤坂さんはといえば、何とも言えない無表情で成り行きを見守っている。


「あー、すまない。君を見つめていたのは季刊誌用に提出された短編を読んだからなのさ。部長から聞いてないかい? 今号はボクが編集なんだ。それで三作ある短編のうちどれを載せようか難儀していた。そこに君が現れたので君がどんな人物か分かれば決められるか、と愚考した次第なのさ。済まないな、気分を害したなら謝ろう」


 黒縁のメガネを中指で押し上げたフコ先輩は、僕らの考えが杞憂きゆうだと言った。


「では、何かを書いていたのは?」

「ああ、季刊誌のレイアウトで思いついたことをメモしていた」


 フコ先輩は手元にあったレヴィのチラシを振ってみせた。


「見せていただいても?」

「それは内緒だ。季刊誌がでるまでは、部員といえども教えられない。そもそも、今号はボクから部長に対する挑戦なのさ。部長は商業誌で賞を受賞することが最良だという。そして、作品の面白さに関してもどの賞の何次審査まで残ったかで判断する。だが、ボクはそれが嫌なのさ。賞に出せない短い作品や面白さばかりを追求した作品、マイナーなジャンル。それらに対して部長は敬意がない」


 フコ先輩は淡々と不満を述べた。確かに彼女が言うことには一理ある。部長はいささか権威主義的けんいしゅぎてきなところがある。それゆえに伝統のないジャンル、新たな手法、投稿基準に満たない作品を低く評価する。それが嫌だというのはわかる気がする。


「それは僕の作品もということですね」

「そうさ。君の作品は短編というのは長いし、中編と呼ぶには短い。また、部長が血眼になって書いているような長編は一切書いていない。それは、わざとなのか。それとも本当に書きたいものがあるのにそれに目を背けているのか?」


 この問に僕は何も答えなかった。


「まぁ、いいさ。森久保クンの考えに土足で踏み込もうという気はないさ。では、ボクに話をしよう。ボクの作品は部長が言う文学ではないらしい。漫画と小説の間の子。歪んだ観測で自己の欲求を満たす歪なクリーチャーというわけさ。ボクからすれば部長の観測自体が歪んでいる。それゆえに、今号はそう言う作品を全面に押し出してやろうと思っている」

「そういうことでしたら、納得しました」


 フコ先輩は気だるげに手を振ると「なら行ってくれ。気分を害させて悪かった」、と言った。いままであまり話したことはなかったが、こういう人だったのか、と改めて驚いた。


「良かったな。愛のこもった魔眼ではなかって」

「ああ、全くだ。だが、ああいう考えもあるのだな。藤坂さんも余計なことに巻き込んで悪かった」

「……あ、ええ、いえ。大丈夫です」


 藤坂さんは、少し惚けたような顔をしていた。もしかするとフコ先輩の話になにか思うところがあったのかもしれない。僕は九月末に出される季刊誌が楽しみになった。どんなものになるのだろうか。


「じゃー、大学に戻ろうか」





「えっと、フコ先輩でしたよね。先ほどの話で腑に落ちないことがあるので伺いに来ました」


 森久保先輩たちと一緒にレヴィを出たあと私は、どうしても納得ができず二人には「忘れ物をしました」、と言ってもどってきたのである。目の前には黒縁メガネの漆黒の女がいる。


「あなたは?」

「私は占いサークル『千里眼』の藤坂と言います」

「千里眼……。ああ、お隣さんだな。そのお隣さんがどんな質問があると?」


 紅色の唇がキッと釣り上がる。


「質問は三つです。まず、一つ目、あなたが見ていたのは森久保先輩だけではないのではないですか?」

「なぜ、そう思うのかな?」

「森久保先輩だけを見ていたというなら阿部先輩とも目線が合うというのは変です。あなたは二人を見ていた」

「君は阿部という森久保クンの友達が好きなんだね。だから、ボクが恋の鞘当をしたと疑っている?」


 余裕たっぷりというようにゆっくりとした口調でフコ先輩が私に微笑みかける。どこかねっとり、とした気持ち悪さのある笑顔である。


「いえ、阿部先輩には一ミクロンも興味はありません。私が好きなのは森久保先輩だけです」

「えらく率直な言い方をするだね。だが、安心して欲しいボクは森久保クンにもその友達にも恋心など抱いていない。これは天地神明に誓ってもいいさ」

「確かにあなたは、恋心は抱いていないのでしょう。ですが、それ以上に私の好きな人を冒涜しています」


 フコ先輩の表情から笑みが消える。


「理由は?」

「質問の二つ目、あなたのメモは本当に季刊誌のレイアウトを書いたものなのでしょうか?」

「随分と飛躍した質問だね。ボクが書いたものがレイアウトでなければなんだというのかな」


 奪ってやろうか、という気持ちがムクムクと心に湧いてくるがここは我慢しなければならない。ここでこの女を下しても意味はないのだ。もっと屈服してもらわなければならない。森久保先輩のためにも。それゆえにタイミングを図らなければいけない。


「その答えは、三つ目の質問がといてくれると思います。フコ先輩ってあだ名。誰がつけたのですか?」

「はっ? 君は何を言ってるのさ。質問の意図が分からない」

「答えてください。あだ名の由来は? もしかして最初にフコと呼び出したのはあなたの作品を歪んでいると評した部長さんなんじゃないですか?」


 黒縁メガネの奥の目が、私を睨みつける。どことなく魚類を思い浮かばせる目だ。感情がどこにあるのか掴みきれない。だけども怒りだけは感じる。そんな目なのである。


「そうだとしたら?」

「フコ。一見すると風子というフコ先輩の本名を短くしたモノのようです。ですが、これをこのように書けばどうでしょう」


 私はチラシの裏側に『腐子』、と書いた。フコ先輩の顔が一気に赤くなる。あたりなのだろう。


「腐子。そのままでは何かわかりませんね。では一文字足してみましょう」


 腐と子のあいだに『女』という文字を書き加える。『腐女子』という言葉が現れる。私も詳しいわけではないが、男同士の恋愛を想像して興奮を得る人々がいるというのは知っている。そして、その人々が腐女子、と呼ばれていることも。フコ先輩はそのたぐいの人なのだ。文芸部の部長はそれを知ったが故に「歪んだ観測で自己の欲求を満たす歪なクリーチャー」といったのだろう。


「……面白い推察だ。ボクが腐女子だとしても、それがどうしてメモの内容がレイアウトではない、に結びつくのかな?」


「結びつきます。あなたが熱心に何かを書き込んでいた少し前、森久保先輩はむせこんだ阿部先輩におしぼりを手渡し、背中を軽く叩いていました。あなたはそこに何か男子同士の恋愛要素を見出したのではありませんか?」

「君も文芸部に入ったほうがいい。その逞しい想像力ならいい線いくと思うよ。思い込みが激しいのは大変だと思うけどね」


 フコ先輩はそう言うと、席を立とうとした。私は彼女の手からチラシを奪い取るとひっくり返した。そこには『森久保ヘタレ攻め』という言葉とともに言葉にするのも嫌になる絵が添えられていた。彼女は私から奪い返そうと多少の抵抗をしたが、鳩尾を少し殴ったら小さな悲鳴をあげて黙った。


「これも私の想像の産物だと良かったのですけどね。フコ先輩の歪んだ性癖で私の好きな人を冒涜するのはやめてもらえますか?」


 私は出来るだけ綺麗な笑顔を作って彼女に言った。フコ先輩は紅色の唇を震わせながら首を小刻みに縦に振った。本当に嫌になる。もし、またこんなことをしたらどうしてやろうか……。


「マスター、お会計お願いします。フコ先輩の分、払っておきますね。だから、ちゃんとしてくださいね。そうじゃないと……わかりますよね」 

考えてみれば、ある小説家志望シリーズを書いたのは随分と久しぶりでした。そして、短くあっさりというのを考えていた割には長くなってしまった、と言うのが率直な感想ですが、楽しくかけました。

冒頭の織田作之助は『秋の暈』の冒頭になります。とても短い作品です。愁い、というものがあるとないでは同じ秋でも全く違う印象になるようです。それはこの物語に登場した人々にも言えることで、それぞれが独自の色眼鏡で何かを見ています。あなたはどんな色眼鏡をしてますか?

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― 新着の感想 ―
[良い点] 途中から嫌な予感してましたがやっぱりそっちかーいw そして藤阪さんつよい と言うかこわいw
[一言] ○女子。高校の頃、私は女というものはほぼ全員それに属すると考えていたのですが、意外と違うらしいですね。近くの本屋には全てBL棚がありましたので、それが嫌いな女子がいると聞いてとても驚いた記憶…
[一言] やっぱりこのシリーズが好きですw
2015/01/11 23:48 退会済み
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