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03. だってどうしようもなく、好きなんです

 私と夏樹の接点は、ただ家が近いこと。

たった、それだけだった。

親の庇護下にある私にとって、それは簡単に切れてしまうほど細い糸だったのだと、気がついてしまった。




「転勤?」


共働きで仕事が好きで、育児が嫌いなわけではないけれども外部に放り投げられればそれでいい、と思っている私の父親がそんなことを言い出した。

だからどうした、という心の声をしまって、とりあえず父の顔を見返す。

珍しく父と私、という二人きりの朝食は、無音で、息が詰まりそうになる。

だからといってこちらから話題をふってあげるほど大人ではない私は、唐突に投げられた父の言葉にうまく対応できないでいた。


「それで?」


辛うじて搾り出せた言葉は、そっけないもので、思春期特有の父親嫌いからくるものだろう、と思っている父も、やや寂しげな顔をしただけで次の言葉を発する。


「いやね、どちらかついてきてもらったら、って」

「それって」


私に決定、ではないかという言葉を飲み込む。

吐き出せば、それが現実になってしまいそうで。

兄が大人しく父についていく、とは思えない。

それは好きとか嫌いとかいった感情ではとうになく、どちらかといえば関心がない、といったところにまで達している。

その彼が、生活環境を変える覚悟をしてまで父についていくはずがない。

だからといって私も、父の事を好きだとか嫌いだとかそういった範疇にいれることができないでいる。


「私、家事できないけど」


共働きで、かぎっ子で、だからといって私が家事をできるようになる、とは限らない。

辛うじて自分のことは自分でやる、といった範囲内では生活を保ててはいるが、便利な世の中のせいにするわけではないが、それ以上のことを私はする気はない。

もちろん、誰かのために何かをやる、といったことを考えるまでもなく、私の中にそのような殊勝な気持ちがあるはずはない。

いや、それ以上に。

父は私の顔を見て、ため息をついた。


「そういう、わけではないんだが」


彼は、私に何を求めているのだろうか。

今更よその親子のような密な付き合いを求めているのだとしたら、タイミングが余りにも悪い。

私の、意識は、すでによその方へ流れているのだから。


「じゃあ何?」

「いや、父さん寂しいかな、と思って」


私は、その言葉を聞き、瞬間父を睨みつけた。

寂しい、という言葉を彼が今、口にした、という事実が私の中の何かをたきつける。

寂しい。

幾度となく思い吐き出した思いを、父はどういうつもりで今まで聞き流していたのか。


「今更?」


結局、私の言葉で、父はおどけた顔を引っ込め、食卓は再び静けさに支配された。




「どうしたの?」

「別に」


逃げ込むようにして夏樹の家へ行った私は、彼の部屋の匂いを感じ、段々気持ちが落ち着いていくことに驚いた。

ここは、私の逃げ場でもあるのだ。

夏樹のことが好きだ、という以上に私は彼のこの部屋に執着しているのかもしれない。

無造作に続きの本を取り出し、私は深く息を吐いて本をめくる。

そんな私に夏樹が珍しく声を掛けた。

小言以外の言葉を口にすることが嬉しくて、だけれども私は素っ気無く答える。

そんなことには全く動じない、とばかりに彼は私の顔を真剣に見つめる。


「私がこなくなったらさみしい?」


あまりに直接的な私の言葉に、彼は一瞬だけひるんで、それでもいつもの小言を言うような顔をして答える。


「うるさい子供がこなくなって静かになるのかもな」


だが、思った以上に余裕のない私は、夏樹のその言葉を冗談で返すこともできなかった。


「・・・・・・そっか」


いつもなら何倍にも言い返す私が大人しく引き下がったのを見て、彼が拍子抜けといった顔をする。


「夏樹は、好きな人とかいるの?」


よせばいいのに、そんなことまで口にして、私はさらに自分を追い込むようなまねをする。


「いる、のかもしれない」

「私の知ってる人?」

「・・・・・・いや」


ためらいがちに告白をした夏樹は、ずっと大人の顔をした。

私は子供で、だから私以外の誰かの意思で、簡単に私の行動は制限されてしまうというのに。


「そう。うまくいくといいね」


精一杯の言葉を、夏樹に返す。

本当は、そんなことはちっとも思っていない。

私は夏樹を好きで。

好きで好きで。

父親が、気まぐれに言い出した提案にも、こんなにも不安定になるほど、夏樹のことが好きだというのに。


「私」


こちらから視線をはずした夏樹に、話しかける。

ずっと見続けてきた横顔は、やっぱり私の好きな夏樹で、だけど、それは結局のところ彼はいつまでたっても私と同じ視点に立つことはないのだと、私に突きつけている。


「夏樹が好き」


本を閉じ、来たときと同じように夏樹の部屋を去る。

夏樹が好き。

胸が痛くて、痛くて。

私はいつのまにか伝っていた涙さえ、気がつかずに歩き続けていた。

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