突然の訪問者
お読みいただきありがとうございます。
「あ~、ようやく終わった~」
神無月黒は昼過ぎから書き続けて、ようやく完成させたゲームのシナリオの最後の見直しまで終え、椅子に座りっぱなしのせいで凝り固まった筋肉をほぐすために、背もたれに体を預けるようにして思いっきり背中を伸ばす。
その姿勢のままパソコンに表示されている時計に目を向けると、時刻はすでに新しい日付になってから2時間ほど経っていた。
かれこれ12時間以上、トイレに行く以外はずっと仕事していたことに気づいた瞬間、それまで沈黙していたお腹が不足したエネルギーを求めるように鳴きだす。
「コンビニに何か食べる物買いに行くかな」
空腹を手っ取り早く解消に何か食べる。
親元を離れ一人暮らしを始めてからすでに六年。冷蔵庫には安売りの時に買い込んだ肉や野菜などの食材が多数入っており、それを使いある程度の料理は作ることもできる、だが、仕事終わりさらには空腹状態の今はさすがに自分で料理を作って食べる気にはならない。
それに――、
「……甘いものが食べたい」
仕事中も合間合間に食べていたせいで甘味類も切れてしまい、すでに家には甘味のストックも無い。
疲れた頭を休ませ回復させるためにも甘いものも大量に買おうと決め、出かけようと椅子から立ち上がる。
すると突然、背後から声をかけられる。
「甘いものならここにありますよ」
一人暮らしで部屋には俺以外誰もいないはず、声をかけられあわてて背後を振り返ると、そこには左目に眼帯を付けた20代ぐらいのスーツ姿の人物がこちらに笑顔で袋に入ったシュークリームを差し出していた。
神無月黒、24歳、彼女なし、身長はそこまで高くないが日々の運動で引き締められた体をしており、顔もそこまで悪くは無い……はず、まぁ平均的な顔だ。
数少ない友人に印象を聞くと口が悪いとか、腹黒いなどと言ったことをよく言われる。
まぁそれを言った友人達は、困っている問題を解決したときの俺の行動を見ていたせいだと思う。俺は決して自分から悪い事はした事は無い、ただやられたからやり返してやっただけだ。詐欺の手口で金を盗ったのなら自身も盗られて仕方ないだろう。
現在やっている仕事は大学の時から趣味で小説を書いていたのを活かし、ネット上で行うTRPGのGMとなり、参加する多数のプレーヤーの意見をまとめ上手くゲームをまとめ参加者達に楽しんでゲームをしてもらえるようにしている。
TRPGは一回ゲームを始めると最低でも2時間ほどかかるため(最近ではそこまで時間がかからないものもあるが)、GMにはその間飽きさせないように、退屈させないようにそれなりの配慮とゲーム感覚が必要となる。
最初の頃は、参加者達の考えを汲み取ることが出来ず、飽きられて途中で全員ゲームからいなく無くなったこともあった。だが経験を重ねえいく事でだんだんと参加者の考えがわかるようになり、飽きることなく最後までゲームを楽しんでもらえるようになった。
おかげで仕事を始めて二年経った今、俺がGMとして主催するゲームのシナリオには多数の参加者が集まり、参加する人間を抽選で選ぶほどの人気GMになっていた。
今日も今度の連休を利用した大型企画として考えた、6時間ほどの時間で複数のグループが進めていく大型ゲームのシナリオを自宅で作り終えたばかりだ。
そんな仕事終わりに背後から知らない人物から声がかかる。
普通の人なら驚き、慌てふためいて何もできないだろうし、ましてや小隊のわからない人物から差し出された食べ物など受け取らないだろう。
だが、仕事終わりの甘いものが不足した今の俺は脳では思考能力が落ち、知らない人物が差し出してきたシュークリームを平然と受け取っていた。
…………思考能力の低下中途理由であり、決して甘いもの目がくらんだわけではない。
「ありがとう」
とにかく、どんなに思考能力が落ちていたとしても感謝の言葉を述べることは忘れず、御礼の言葉を述べたあと袋から取り出したシュークリームを一口齧る。
口いっぱいにクリームの甘さが広がり、疲れ切った脳に糖分がいきわたる。あぁ甘さで体の疲れが溶けていくようだ。
美味しく食べる黒とは反対に、シュークリームを渡してくれた人物は、平然と受け取り食べ始めた黒に驚きの表情を向けている。
「えっと…、知らない人間が勝手に家の中にいて驚かないのですか?」
「驚いているよ。でも今は糖分補給の方が大事だから」
最後の一口まで美味しく味わって食べ終える。
まだ少し甘いものを食べたいが、今は我慢しておこう。
手を合わせてち肉となった食べ物に感謝の気持ちを送った後、あらためて知らない男の顔を見る。
「さて――、」
あらためて顔を確認したが、彼の事はまったく記憶にない。
眼帯を付けた知り合いなんてコスプレ会場で知り合った数名の同士だけだが、こんな美系な同士などいなかったはずだ。
第一眼帯を付けているとは言え、ここまで美形な顔立ちの男なら絶対忘れることなど無いだろう。
疲れていた所に甘いものをくれた恩人であるが、記憶に覚えのない知らない人物ならやることは一つだけだ。
俺は躊躇いも無く拳を握ると、問答無用でその知らない男の顔面めがけて殴りかかる。
「ちょ、ちょっと待って下さい。
いきなり暴力ですか。私は別にあやしいものじゃないですよ!」
「あやしい人間はみんなあやしくないって言うらしいよ?」
顔を狙った拳はあわてて首を横に倒されたことで避けられてしまう。ならばと次は避けにくい的が大きな腹めがけて拳を放つ。
インドア系の仕事だが様々な知識が必要とされるため日々本や情報などに目にし、実際にそれが実現可能かどうか、挑戦したりすることもある。
たとえば山関係の本を読んだら、実際に山に登り山頂の空気の薄さを肌で感じ、海関係の情報を目にしたらボンベを担ぎ海に潜り、格闘関係の本を読んだら自身の体で試すために道場やジムに行き、その身で直接体感する。
さすがに戦場の空気が知りたいと思い、戦地に行こうとしたときは友人に止められたので、仕方なく自衛隊の体験訓練で我慢したこともあった。
そんな経験を積んでいるため、そこらの人間よりは少しだけだが荒事の対処について自信があった。
いい感じに踏み込み、渾身のボディーブローが決まろうとしたとき、
「いや、本当に待って下さい。
まだ甘いものなら沢山ありますから、ひとまず落ち着いて話し合いましょう」
そう言い何処から取り出したのか、両手にたくさんの甘味類を見せらる。
そしてその甘味類を見た瞬間、腹に決まろうとしていた拳は腹の数センチ手前で止まることになる。
甘いものは正義だ。
「そうだな、どんなあやしい奴でもまずは話し合いが大事だな。
よし、なら甘いものを食べながら話し合おうじゃないか」
拳を収め、俺は生き生きと甘いものに合うお茶を沸かしに行く。
さっきまでの行為が嘘のようなその姿に、何とか暴力を回避した人物はお茶を沸かすために背中を見せた俺の姿を見て、安堵と呆れの混ざったようなため息をこぼした。
「改めまして、私こういう者です」
場所を仕事部屋からリビングに移し、机越しに向かい合って座った席でスーツ姿の男は懐から一枚の名刺を取り出し俺に差しだす。
ちなみに机の上には男が持っていた甘味類が多数置かれており、今も俺はその中の一つである甘味を齧りながら差し出された名刺を受取る。
黒紙でできた名刺には、【アクノマ商会 代表 カーニバル・クラウン】と赤文字でそう書かれている。
はっきり言って、胡散くさいことこの上ない。
カーニバル・クラウンって、日本語に訳すと祭りの道化って意味か?
あきらかに黒髪に黒眼の日本人のような顔をしているのに外人の名前。
悪趣味とも思える黒色の名刺に赤文字で書かれた名前。
子供の頃、赤色で名前をかいたら不幸になるという都市伝説が流行ったせいで、どうも赤色で名前が書かれているのを見ると悪印象を覚えてしまう。
それでも一応俺も社会人。
名刺を受取ったからにはマナーとして返さないといけない。俺は財布に入れていた自分の名刺を取り出しとお返しのようにクラウンに差しだす。
「これはこれはご丁寧に」
ちなみに俺の名刺はいたって普通だ。名前とGMをしているTRPGのアドレスが書かれているだけだ。
両手で丁寧に名刺を受取ったクラウンは一度名刺を確認してから懐に納めると、改めて俺に話しを切りだす。
「今回私がこちらに参りましたのは、神無月様にどうしてもお願いしたい事があったが故なのです」
「不法侵入までしてのお願いごと?」
「えぇ、その通りです」
皮肉交じりに不法侵入した事について言ったのだが、クラウンは不法侵入したのがまるで正しいという笑顔で肯定したため、皮肉が通じなかった事で肩透かしを食らってしまう。
「現在私の商会では一つのプロジェクトが進行しておりましす。
そのプロジェクトにぜひとも神無月様に参加していただきたいと思いまして、本日伺わせていただきました」
「プロジェクト……ね。
俺は普通の物書きだよ。そんな俺をわざわざスカウトしに来たと?」
「その通りです。
神無月様は普通のとおっしゃいますが、私達の商会としてはむしろそんな普通の物書きである神無月様だからこそ目を付けスカウトしに来たのですよ」
俺はGMの仕事をしながら、他にも小説家を目指していろいろな作品を書いてはいる。まぁ今一つ自分の書いた作品に自信が持てず、欠点も多いため自覚しているため俺は職業を聞かれたとき小説家と名乗らず、物書きと名乗るようにしている。
今のクラウンの発言を聞くと、どうやら俺のことを少しは調べているようだ。
どの程度まで俺の事を調べているのかは分からない上に、こちらは向こうのことを何一つ知らない。
ここはまずクラウン達の情報を得るためにも、クラウンの言うプロジェクトとやらの説明を聞くことにする。
情報とはそれだけ価値があり重要なことなのだ。
「クラウンさん、参加する参加しないの前にまずそのプロジェクトとやらの内容を教えてくれないか。
じゃないと参加するもしないも判断がつかない」
「それもそうですね。それではまずはプロジェクトについて説明したいと思います。
ですが、その前に神無月様に質問が――、」
そこでクラウンは会ってから今までか、殴りかかったときでさえ変えなかった笑みを浮かべた表情を消し、眼帯をつけていない右目でまっすぐこちらを見つめる。
吸い込まれそうで、奥が見えないそんな深い黒の瞳が俺の動きを拘束する。
それまでのどこか希薄で頼りない雰囲気など微塵も無く、極寒の中に裸で放り出されたかのような寒気が全身を襲う。
「神無月様は、異世界の存在を信じられますか?」
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