Stage1:諸事情あって『加速』する
閉じた目に入る朝日が眩しい。窓を通して熱と光が部屋を満たす中で、身体は睡眠を求めているのに意識がはっきりしているという矛盾した感覚の中頭は勝手に働いていく。フレンチトーストの焼ける音や匂い、窓の外の鳥の鳴き声。それら全てが段々遠くなって―――。
「たーくんおきてーごはんだよー」
「うぁ………」
気が付いたら寝てた。テーブルには、ちょうど二人分くらいのフレンチトーストと牛乳が置いてある。
「たーくんはメープル派かな?チョコ派かな?」
「そのまんま派」
「うぇぬぅ……新派閥なんだよ……」
ソファーに仰向けで横になる俺の上にわざわざ乗っかって、幼く小さい愛らしい顔をフレンチトーストの味付けに悩ませる女の子。この、俺を『たーくん』なんて呼ぶ彼女こそ我が最愛の姉、『御来屋 まどか』に他ならない。
* * *
いつもの通学路を、二人並んで歩く。自分の胸のちょっと下くらいまでしかない身長のお姉ちゃんが俺の歩幅についてこようと一生懸命になる姿は、ちょっと歩く速度を上げただけでも小走りで追いかけてくるのを見るのなんて、とても和む。否、萌える。
そうして毎日の通学路を遊びながら登校する。そういえば、今日は風が強いな。
てくてくと歩いていくと、大きな交差点に着いた。ちらほらと俺達と同じ制服が見えるというのは、今がまだ遅刻確定の時間でないことの証拠でありとても安心する。
横断歩道で信号が変わるのを待っていると、隣にランドセルと黄色い帽子がみえた。小学生だろうか、赤いランドセルを背負ってるので女の子だろうと踏んでいたが、当たりだったようだ。六歳位だろう。こちらの視線に気づいたらしく、少女ははにかみながら小さく手を振ってきた。俺達も笑顔で振りかえす。ふむ。
「やっぱり小学生ってのはいいよなぁ……そう思わない?お姉ちゃん」
「うぇぬっ!?」
「…お姉ちゃん?」
「え、え、あの、その…えっと……あの…」
「…………?」
「ちょっとおねーちゃんはそういう趣味はわかんないんだけど」
「………はい?」
いきなり何を言い出すんだこの姉は。
「でもでも、たーくんがそういうのが好きだって言うのなら、おねーちゃんは精いっぱいたーくんを『めっ』ってしなきゃなんだよ!」
そう言って小さな手をグーにして一生懸命息を吐きかけるお姉ちゃん。そして俺は段々話の流れを読めるようになってきた。いやまぁ確かに誤解を招くような発言をしたのは俺だが、いくらなんでもお姉ちゃんがその見た目で言うか的な。
「お姉ちゃん?別に俺は“ロリ”を筆頭に“コン”で締めくくるような特異な性癖は持ち合わせていないんだけど」
「ほえ?でもさっき、『まったく……小学生は最高だぜ…』って言ってたふっ!」
ついうっかり親指をお姉ちゃんの眉間に突き刺してしまった。いやいや、俺は悪くない。いやマジで。
「いい?お姉ちゃん」
「うぅぅ……」
眉間を押さえて蹲るお姉ちゃんに向き直る。
「確かに小学生は最高だとは言って…ねぇわ。人の話はちゃんと聞いてくれお姉ちゃん。でもってさっきのは間違っても犯罪的な意図をもって言った訳ではないから」
「うぇぬ?」
「さっきの子を例に挙げよう」
そう言いながら先程のランドセルの子を見る。
「この子はさっき、年齢が十歳近く離れた俺達に笑顔で手を振ってきたな?」
「うん。可愛かったんだよ」
「ああ。なら聞くが、お姉ちゃんは見た目が十歳以上離れたオッサンに手ぇ振るか?」
「し、しないんだよ!」
「でしょ?人間ってのはね、お姉ちゃん。年齢に伴って性格が変わってしまうもんなの」
「うぇぬ………」
「中学生では反抗期になり親の言うことを聞かなくなるし」
「私は素直ないいこちゃんでした!」
頭をなでなでしておく。
「うぇぬぅ……」
とても気持ち良さそうだった。
「それに、だんだんと親がウザくなるし」
「おねーちゃんはパパもママも大事だもん」
なでなで。
「でも、小学生ってそういう事無いから純粋でしょ?だから小学生の頃は純粋だねって話」
「あ、そういうことなの」
「そ。じゃあ信号変わったし、行こっか」
タイミングよく信号が赤から緑へと変わった。ここの交差点にある横断歩道は、とにかく長い。しかもその長さと反比例するかのように青信号の点灯時間が短いという謎仕様な為、登校時などの混みやすい時間帯はタイムアウトになりやすいのだ。もちろんその場合は、車の方が待ってくれるのだが。
「せぇーふっ!」
そう言って駆け込むお姉ちゃん。そしてそれに続く俺。
「たーくんたーくん!今日は皆渡ったんだよ!」
「ハイハイ、ミルクティーね」
俺達姉弟は毎日賭けをしている。賭けといっても、この横断歩道の利用者が青信号の点灯時間内に全員渡りきればお姉ちゃんにジュース。一人でも取り残されればお姉ちゃんが俺にマッサージという可愛らしいものだ。どうやら今日は負けてしまったらしい。
「れっつごーなんだよたーくん!」
目を輝かせて俺の腕をひっぱるお姉ちゃん。うん、可愛い。
「………………あれ?」
しかし、俺はお姉ちゃんの体温と同時にある違和感を感じていた。それは普通の生活をしている者なら絶対に気付かない、また、例え気付いたとしても決して気にならないような情報。
「数が……合ってない?」
だが、俺の目はそれを確かに違和感として認識していた。
「うぇぬ?」
俺の異変を感じたのか、お姉ちゃんが下から覗き込むように俺を見ていた。そんなお姉ちゃんを愛でながら、俺は今得たばかりの情報を整理し始めた。
「お姉ちゃん、さっき信号待ちをしていたのは俺達を除いて36人。信号が変わって動き始めたのも同じ36人。だけど渡りきった後この場から動いたのが35人しかいない」
確かな情報だった。俺達は横断歩道を渡った後、一歩たりとも動いていない。しかも俺達は三六人のなかでも一番最後に到着している。俺の『見た』情報に間違いはなかった。
「と、なると―――見つけた」
言いつつ振り返る。横断歩道の三分の一の地点、黄色い帽子を被った先程の少女が、多くの車を待たせながらえっちらおっちら渡っていた。運転手の苦笑が見え、少し同情してしまう。
それでもクラクションを鳴らさないのは、流石大人といった所か。
「賭けは俺の勝ちだね、お姉ちゃん?」
「………む〜」
頬をぷくーっと膨らませるお姉ちゃん。うむ、やっぱり可愛い。しかし……危ないな、あの子。
少女はどうにか横断歩道を四分の三程まで渡り終えていた。もう少しで渡り終える――――筈だった。
「きゃっ!!」
突如吹いた強風。思わずスカートを押さえるお姉ちゃん。そしてその可愛い叫び声を合図に俺は一瞬だけ少女から目を離し、反射に従い目をお姉ちゃんの方へ向ける。チラリと見えたお姉ちゃんのパンツの柄を確認。
とても可愛いパンツである事を確認した後すぐに視点を戻し、視界の中から少女を探す。少女は変わりなく、立っていた場所で強風に耐えていた。だが何かが足りない。少女を構成する要素、少女の身分を表していた『色』。
「―――チッ」
俺はすぐにそれを『理解』した。
「た、たーくん!あの子、帽子が!!」
「分かってる!」
少女からは、『黄色』が失われていた。黄色、つまり帽子。
俺は少女の元へ駆け出した。少女を連れて最後まで渡らせる。帽子には、まだ気付いていないようだった。
「おにーちゃん、ありがとーございました!」
そう言いつつぺこりと頭を下げる少女。俺は両肩に手を乗せ、ゆっくりと話し始めた。
「あのね、さっき、強い風が吹いたよね?」
「うん…?」
「その時に、君の帽子が飛ばされちゃったんだ」
言いながら車道を指差す。帽子は少しばかり遠くに飛ばされていた。
「危ないから、お兄ちゃんがとってきてあげるから、お姉ちゃんといてくれる?」
「わかったです!ありがとーございます!」
「お姉ちゃん、お願いね?あと荷物よろしく」
ここから帽子まで約50メートル。すこし長いが、大丈夫だろう。車の間を縫うようにして行動する。
「もう少し………」
30メートル程まで進んだ。車の動きを確認しつつ、一気に距離を詰める。しかし、
「―――なっ!?」
またしても強い風が吹いた。その気流に流されるように帽子は高く舞い上がり、俺の進行方向とは反対の方向へと飛んでいってしまった。
ここからの距離はさっきよりも遠くなっているが、幸いにも帽子はお姉ちゃん達から比較的近い場所に飛ばされていた。俺はお姉ちゃんに頼もうと振り向き、
―――――最悪の状況を理解した。
「お姉ちゃん!その子を止めろ!!」
なんと、少女自ら車道へと帽子をとりに向かっていたのだ。お姉ちゃんの静止を聞かず一直線に走る少女。信号は緑から黄色へと変わっているため、車自体の通行量はやや少なくなっている。しかし本当の問題は、その黄色信号にあるのだ。
「ふっざけんなよおい!」
とにかく走り出す。黄色信号の場合、無理してでも走り抜けようとする車がよく見かけられる。
もし、少女のいる車道を走ってくるトラックがそれならば。制限速度を明らかにオーバーしているあのトラックに、止まる気が全く無かったら。そして、トラックから少女が見えていなかったなら。
―――あと25メートル。トラックは止まらない。
―――あと20メートル。少女は固まり、動けない。
この状況を見ている人間ならば、誰もが少女を諦めるような光景。俺は素早くポケットから、スマートフォン型の機器を取り出して操作した。そして、今の情報を整理する。
「トラックと俺までの直線距離、60メートル。トラック、時速50km。予想衝突時間、2秒弱―――いける!」
トラックと少女の距離、あと5メートル。しかし俺と少女までの距離は50メートル以上。絶望的だった。
なら、とるべき方法は一つ!
「―――『加速』ッ!!」
* * *
トラックは減速することなく走り抜けていった。『加速』を使った大雅の姿が見えなくなり、あまり想像したくない想像ばかり頭に浮かぶ。それを一つ一つ『大丈夫』の言葉で消していき、時計を見ながら戻らない二人を待つ。それは義姉として義弟を信じているというのもあるし、なによりあいつは、私の信頼を一度も裏切ったことがない。だから今回も大丈夫。必ず私の所に帰ってくる。
「………お姉ちゃん」
「あ、たーくん!……大丈夫?」
ほら帰ってきた。自慢げに女の子と帽子を見せる義弟は、ちょっとだけケガをしていた。
「ほらよ。帽子」
「おにーちゃん、ごめんなさいです……」
女の子が俯いてしまった。
「いーよ別に。ホラ、遅刻するぞ?早よ行け」
「……うん!ばいばーい!」
義弟の返事に、笑顔で手を振る女の子。大雅じゃないけど、確かに小学生というのは純粋かもしれない。
「今から歩いても15分前か……間に合うな」
「そうだね。………あ、たーくん!」
「ん?」
おいでおいでと呼んでみる。
「たーくん…じゃなくて、『御来屋 大雅』君!」
「む?」
「今日は朝からよく頑張りましたので、なでなでしてあげるんだよ!」
真っ直ぐ手を伸ばすけど、私の身長じゃ手は頭には届かない。何回かぴょんぴょん飛んでたら、大雅が屈んでくれた。
「なでなで〜」
頭をなでなでしてあげると、大雅は嬉しそうに目を細めた。
「改めて、れっつごーなんだよたーくん」
「ん……」
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