Stage0:主人公が名乗らない
嘗て連載していた作品の書き直しです。
投稿は遅いですが、よろしくお願いいたします。
《新西暦》
現代をそう呼称するようになったのは、割と最近のことで。
20XX年、4月某日。今日は風の強い日であった。高校の入学式を終え、大体一週間程経過した時期なのだが、4月にしてはあまり暖かくない気温にベッドから出るのを躊躇わざるをえない。早起きは三文の得とは言っても、今の寝ぼけた頭には三文を得ようという気が全く起こらないんだよな。三文って魅力ないし。という訳で布団の中でうだうだなう。
「……………ぅだぁ〜…」
うだうだ。
「ごろごろ〜」
ごろごろ。
「ね〜む〜…い〜……」
ねむねむ。
「うぇぬぅ…うぇぬぅ……」
うぇぬうぇぬ。
…………うぇぬ?
「……なんかいる」
なんかいた。具体的にいうと俺の腰に抱き付いて寝ている女の子。
小ささは小学校低学年をもう少し健やかにした程度で、明るい茶色の長い髪をもち、すべすべぷにぷにな紅葉のごとき手を腰に回して可愛くにぎにぎしている。
「よいしょ…っと……」
布団の中じゃ息苦しかろうとその幼女を頭の位置まで抱き上げてやり、寝顔を堪能する。ふと抑えきれなくなってぷにぷにほっぺをつんつんしたりもちもちしたりはむはむしたりして遊ぶ内に、段々と眠気がなくなり頭がスッキリしてきたのでとりあえず引き続きこの女の子をペロることにした。
時間帯としての平日朝6時は、一般的な学生が起床し朝食を食べながら眠い目をこすっている頃なのだろうか。ならば今こうして布団の中にいる俺がこの子をもぐもぐするのは別に何らおかしい事ではあるまい。すやすやと眠るこの子の身体は指でつつくだけで幸せな気分になれる素晴らしい素材でできていて、何か甘いいい匂いがする。ふにふにと摘んだり、軽く歯をたてて引っ張るとつきたての餅のように伸びる。超伸びる。めっちゃ伸びる。
「すやすや……」
もちー。
「ふにゃむ……」
もち〜。
「ぅぇぬぅ………」
もっちもっち。
「ぅぇ……うぇぬっ!」
「は、おふぃは」
あ、起きた。
目をぱちくりさせてこっちを見つめる女の子。しばらくの間じーっとこちらを見た後、
「おなかすいたの?」
心配してくれた。そういえばぺろぺろだけじゃ腹に溜まらないかも知れない。
「ふん。ほなはへっら」
「とりあえずくすぐったいからほっぺをもぐもぐしながらしゃべらないでほしいんだよ。せめてどっちかにしてほしいなっておねーちゃんは思うんだけどなー?」
もぐもぐ。
「うぇぬぅ…」
何か不満そうな表情をじっくりと眺めた後満足した。口を離して、彼女を抱きしめなでなでしながら頬擦りしたりして身体全体でその存在を堪能する。
「たーくん、後一時間くらいで学校だよ?」
「ぅん」
「朝ご飯は食べるのかな?」
「ん、」
「じゃあそろそろ準備しなきゃなんだけど」
「うん」
「おふとんから出ておねーちゃんをだっこしながら下に降りてくれるかな?」
「ん」
よっこいしょ。
抱きかかえ、階段を降りる。恐らくこの構図は甘えたがりの妹を甘やかす兄といった感じだろうか。ちょっとお兄ちゃん気分を味わう。
「おろして〜」
「はいはい」
「かたぐるましてー」
「はいはい」
「ついた!」
「はいはい」
「キッチンいってー」
「はいはい」
「下げてー」
「はいはい」
「はいはいっかいなんだよ!」
「 はい」
「冷蔵庫あけてー」
「自分で開けてー」
「あけたー」
「そうかー」
「うぇぬっ!」
「何そのボウル」
「ふれんちとーすと」
肩車から降りた彼女が冷蔵庫取り出したフレンチトーストの生地を焼く間、シャッターを開けたり新聞をとったりと色々やる。そして次第にいい匂いがしてくる中、ソファーに横になった俺はまだなんとなく眠気の抜けきらない目を閉じた。
* * *
小学生の頃、『人間の脳はコンピューター』なんてタイトルの作品が教科書に載っていたのを覚えている。
『人間の脳はコンピューター』
これは人間一度ならば聞いた事がある言葉だろう。まぁ実際はコンピューターなんかではなく、『人間の脳はコンピューターに匹敵するほどの計算、情報処理能力を持つ』って意味なのだろうが、どちらかというと人間の脳の方がコンピューターよか上なのではないかと思う。
大体、コンピューターを発明したのは人類であるし、いくらコンピューターが進化しようともそれを発案・開発する許可を出すのは最終的にはやはり人間。よくSF映画などでネタにされるコンピューターの反逆というのは、コンピューターが人間によって作られている間は不可能であると信じている。
新西暦20XX年。環境こそ西暦1990年代と何ら変わった所は無いが、嘗ての時代と決定的に違うものがやはり存在する。それは脳、つまり生物が持つ最高峰の情報処理器官である。
世の中には、他の人間と比べて圧倒的に突出した才能をもつ存在がいる。テストで常に一番だったり、本を読ませれば聞く者全てを魅了することができたりなど役立つ役立たないは別として、その分野において右に出る者はいないと言われる存在は、どこの世界どこの国においても存在するものなのだ。
例えば絶対音感を持つ人などは、全ての音の特徴を完璧に理解し、一度聞いた音ならばドからシの七音の強弱で表現できる。常人ならばまず不可能な事だが、絶対音感を持った人間はその不可能をまるで当たり前であるかのように可能にする。
他にもマジシャンなどの一度に多くの人間を相手にする仕事だって、様々なトリックを幾重にも張り巡らし、巧みな話術と思わせぶりな仕草で相手を錯覚させる。
一歩間違えれば詐欺にも近い行為だが、必ずといっても過言ではないほどに客はこういったパフォーマンスを喜ぶ。これも大衆の心理を利用し楽しませる、一種の才能であるといえるだろう。
平成12年、つまり西暦2000年。世界各国で、そういった超才能をもった人間の存在が世間に公表された。彼らは皆運動から勉強まで様々な物事に対して突出した能力を持ち、これまで世間で信じられてきた『常識』というものを悉く塗り替えてきた。
そしてさらに12年の時が過ぎ、平成24年。超才能を持つ者達は国際研究チームによって研究され、多くの事実が判明。世界に大きな衝撃を呼び起こした年代として、いつしか西暦2000年以降の年は《新西暦》と呼ばれるようになった。
誤字脱字、ご意見ご質問等、お待ちしております。