(1)値段の安いお茶なんか飲めない
サブタイトルは本文とあまり関係ないので、深く考えないでください。
村瀬探偵事務所に和泉温子という女性から依頼が入ったのは、五月の終わりごろのことだった。
久しぶりのクライエントだったので、所長の村瀬菜摘は、いつにもなく上機嫌になっていた。
アシスタントの谷口知頼に、いつもより高級なお茶を出すように促すと、菜摘は自分の携帯で誰かに電話を掛け始めた。
「もしもし、菜摘だけど、佳奈ちゃん、今どこ?」
『どこってバイト中。いちいち訊かなくても知ってるでしょ?』
電話の相手は、少々不機嫌そうに答えた。
「今さぁ、事務所にクライエントが来てるんだけど、バイト切り上げてこっちに来てくんないかなぁ?」
『何の依頼? 人探しか何か?』
「それは、佳奈子に直接会って、話したいって」
『そう。じゃあ、すぐそっちに行くから』
そう言うと相手はすぐに電話を切った。菜摘は特に、気にはしない。いつものことである。
電話をし終えると、菜摘はクライエントのほうに目を向ける。
和泉温子は出されたお茶を飲んでいた。いつもは安いお茶しか出さないが、今日はそんなことは言ってはいられない。約二ヶ月ぶりに依頼が舞い込んだのである。逃がすわけにはいかないのだ。
「そのお茶どうですか」
菜摘は温子の座っているソファーの向い側に腰掛けながら訊いた。
「はい。とってもおいしいです」
そう言って、彼女は湯飲みをテーブルに置いた。
「そうですか? よかったぁ〜。安物のお茶だったから、お口に合わないかもって、心配だったんですよ」
あえて安物のお茶だとアピール。
「そんなことないですよ。これ、○○グラム何千円ってする、けっこう高いお茶なんじゃないですか」
「わかります? 実はけっこう奮発したんですよねぇ。ははは。見栄張ちゃってすいません」
さすが旅館の仲居をしているだけあって、温子はお茶に詳しいのだろうと菜摘は思った。
「ところで、村瀬佳奈子さんと菜摘さんって、ご姉妹か何か?」
「あー、従姉妹なんです。従姉妹。父親同士が兄弟なんですけどね。この事務所も本当は私の父親のものなんですけど、私が無理言って譲り受けたんですよ」
「そうなんですか。……それにしても、佳奈子さん遅いですね」
温子は壁に掛けられている時計を見ながら言った。まだ、さっきの電話から五分程度しか経っていない。何かほかに用事でもあるのだろうか。いくら佳奈子のバイト先が近いからと言って、たったの五分でここに来れるはずはなかった。
「ああ、そうですねぇ。すぐ来るって言ってたんですけどね。……依頼、先に私がお伺いしましょうか?」
「いえ、佳奈子さんに聞いていただかないと意味がないですから」
なぜ彼女は、そんなに佳奈子にこだわるのだろうと疑問に思った。
「和泉さん。うちの事務所はお知り合いの方からのご紹介だと伺ったんですが、佳奈子のこと知ってるんですか?」
「佳奈子さんは、元刑事さんだったって聞きました」
「はぁ、まあ確かにそうですけど……」
たったそれだけの理由で?とは、さすがに訊くことはできなかった。佳奈子は確かに元刑事だ。だが、菜摘自身も刑事ではなかったが、元警察の人間である。
ちょうどそのとき、事務所のドアが開くと、一人の女性が中に入ってきた。
「あ、佳奈ちゃんおかえり」
「ただいま」
そう言うと彼女は、温子のほうに歩み寄り、自己紹介した。
「村瀬佳奈子です」