第5話:かつての仲間と、届かぬ背中
「金貨五十枚……。本当に、俺を指名で?」
王都ギルドの特別受付。
目の前に提示された依頼書を二度見して、俺は思わずバルドさんの顔を見た。
不精髭を揺らして、バルドさんはニヤリと笑う。
「ああ、そうだ。第六層で行方不明になりかけた調査チームの生き残りが、お前の噂を聞いてな。『あの音速の配達員なら、この絶望的な状況でも物資を届けてくれるはずだ』とよ」
金貨五十枚。
かつて俺が荷物持ちとして、必死に三年間働いても到底手が届かなかった額だ。
肩の上で、ピックが「キュイ!」と誇らしげに胸を張る。
「……受けます。いや、俺に行かせてください」
俺が依頼書にサインをしたその時、背後からひどく耳障りな、しかし聞き覚えのある声が響いた。
「おい、バルドの親父! なんで俺たちの依頼は却下なんだよ!」
振り返ると、そこにはボロボロになった装備を纏ったロイドとガルド、そして魔法使いの女の姿があった。
かつての輝きは微塵もない。鎧はあちこちが凹み、新調したはずの『高級収納袋』は無残に裂け、ガムテープのような補強材で無理やり繋ぎ合わされている。
「当たり前だ、ロイド。お前ら、前回の依頼で『荷物の半分を紛失した』だろうが。そんな無能に、これ以上冒険者の仕事を回せるかよ」
「それは……! カイトがいないから、荷物の管理が回らなかっただけで……!」
ロイドの視線が俺に突き刺さった。嫉妬と焦りが混じった、醜悪な目。
「カイト! お前、何金貨五十枚なんて依頼を受けてるんだ! そんなの、俺たちみたいな『本物の冒険者』が受けるべき仕事だ。……おい、お前、俺たちにその仕事を譲れ。三年間面倒を見てやった『恩』があるだろ?」
隣でガルドも同調する。
「そうだぜカイト。お前みたいな『魔道具以下』の荷物持ちには不相応だ。お前は後ろで指をくわえて見てりゃいいんだよ。あ、そのドラゴン、珍しいから置いていけ。高く売れそうだしな」
「……」
俺は、悲しいくらいに何も感じなかった。
かつての俺なら、彼らの怒鳴り声に萎縮していただろう。だが今の俺の隣には、信頼できるバルドさんや、切磋琢磨するゼノ、そして何よりピックがいる。
俺は彼らを無視し、バルドさんに告げた。
「行きます、バルドさん。……急ぎの客が待っていますから」
「おう、行ってこい。三流の遠吠えは気にするな」
「てめぇ……! 待て、カイト!!」
ロイドの怒声を背後に、俺は一気に加速した。
第一層から第五層まで、もはや地図など見なくても『最短ルート』が頭の中に黄金の線となって刻まれている。ピックの羽ばたきが追い風となり、俺の脚はかつてない軽やかさで迷宮を駆け抜けていった。
――そして。
物語の舞台は、第六層『嘆きの回廊』へと移る。
そこは、無数のトラップと、感知不可能なモンスターが徘徊する死の迷宮だ。
俺がスキル《最短ルート検索》を全開にして回廊を突っ切ろうとした時、前方から無様な悲鳴が聞こえてきた。
「あああああ! 足が、俺の足がぁぁ!」
トラップの矢に足を射抜かれたガルドが、地面を這いずり回っている。
その周囲を、強力な『ブラッド・ウルフ』の群れが囲んでいた。
「ロイド! 助けろよ! お前の《剛剣》でこいつらを追い払え!」
「うるせぇ! 俺だって魔法が尽きて、剣も折れかけてるんだ! ガルド、お前の収納袋からスペアを出せ!」
「袋が、袋が動かねえんだよ! 取り出しの魔力が足りねえ!」
高級収納袋。カイトを追い出す理由になったその魔道具は、極限状態ではただの『重石』に成り下がっていた。
魔法使いの女も、恐怖で腰を抜かし、ぶつぶつと意味不明な呪文を唱えているだけだ。
「もう終わりだ……。カイトがいれば、罠の場所も、最短の逃げ道もわかったのに……。あいつがいれば、荷物なんて気にせず戦えたのに……っ!」
ロイドが絶望に顔を歪めた、その瞬間。
キィィィィィィン!!
迷宮の静寂を切り裂くような、鋭い風の音が響いた。
黄金の光をまとい、超高速で接近する一筋の影。
「カ、カイト!? カイトなのか!?」
ロイドが必死に手を伸ばす。
俺は、彼らの数メートル横を、歩みを止めることなく通り抜けた。
「カイト! 助けてくれ! 頼む、金なら払う、いや、リーダーの座をやる! ここから連れ出してくれ!」
ロイドのなりふり構わぬ命乞い。
俺は、走る速度を落とさず、一瞬だけ彼を見やった。
「……悪いな。俺は今、『時給』で動いてるんだ。お前らみたいな、魔道具以下の三流に割く時間は一秒もないんだよ」
「なっ……!?」
「お前らが言ったんだろ? 俺は魔道具以下だって。……だったら、その立派な魔道具に助けてもらえばいいじゃないか」
俺の言葉と共に、肩の上のピックが大きく口を開けた。
「キュイィィィィ!!」
凄まじい熱量のブレスが放たれる。
それはロイドたちを助けるためではない。俺の進む最短ルートを塞いでいたブラッド・ウルフの群れを、一瞬で蒸発させるためだ。
ゴォォォォォッ!!
爆風に煽られ、ロイドたちは壁際まで吹き飛ばされる。
彼らが命をかけて戦っていたモンスターたちが、ピックの「ついで」のような一撃で全滅した。
その圧倒的な『格の差』を見せつけられ、ロイドたちは声も出せずに呆然としていた。
俺は一度も振り返ることなく、最短ルートの先へと消えた。
数分後。
俺は調査チームの元へ辿り着いた。
「お待たせしました。ギルド配送便です。……ご注文の結界石、確かにお届けしました」
死を覚悟していた調査員たちが、震える手で石を受け取る。
「信じられない……。あんな死地を、たった一人で……! 君は、救世主だ!」
その言葉だけで、十分だった。
――数時間後、王都ギルド。
俺が金貨五十枚という莫大な報酬をカウンターで受け取っていると、入り口の扉が力なく開いた。
這いつくばるようにして戻ってきたのは、ボロ布のような姿になった『銀狼の牙』の三人だった。
「バルドさん……助けてくれ……。俺たちの装備が、ライセンスが……」
ロイドが涙を流して縋り付くが、バルドさんは冷たく彼を突き放した。
「ああ、聞いたぞ。お前ら、第六層でカイトを見捨てて逃げようとした挙句、依頼品をすべて放棄したそうだな」
「それは……不可抗力で……!」
「黙れ。ギルドはすでにお前たちの冒険者ライセンスの剥奪を決定した。……それから、カイトに『魔道具以下』だと言った暴言についても、公式に謝罪してもらうぞ」
バルドさんの背後から、ゼノが歩み寄ってくる。
ゼノはカイトの肩を叩き、ロイドたちをゴミを見るような目で見下ろした。
「カイトの走りは、魔道具などで代用できるほど安くない。お前たちは、世界で最も価値のある『足』を自ら切り捨てたんだ。……せいぜい、一生後悔しながら地べたを這いずり回るんだな」
「あ、あああ……っ!」
ロイドたちはその場に泣き崩れた。
かつての仲間たちが失墜していく様子を、俺はただ静かに眺めていた。
怒りも、恨みもない。ただ、自分とは住む世界がもう違うのだという、確かな実感だけがあった。
「カイト、次の依頼が入ってるぞ。今度は第七層だ。……行けるか?」
バルドさんの言葉に、俺はピックと顔を見合わせて笑った。
「もちろんです。……俺の道は、止まりませんから」
俺は再び背負い袋を担ぎ、黄金の光の中へと駆け出した。
背後で絶望に叫ぶロイドたちの声は、もう、音速の風にかき消されて届かなかった。




