第2話:爆走!レベル1の最速配送
「……はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
肺が焼けるようだ。
王都ダンジョン第一層。湿った石畳の上を、俺はなりふり構わず駆け抜けていた。
冒険者時代、俺はこの場所を『慎重に』歩いていた。
盾を構え、周囲の気配を伺い、一歩一歩、石橋を叩くように進むのがセオリーだ。だが今の俺は、まるで何かに追われているかのような猛スピードで、迷宮の奥へと身体を投げ出している。
「曲がれ……右だ!」
脳内に直接、黄金の光がラインを引く。
スキル《最短ルート検索》
覚醒したその力は、俺の視界を塗り替えていた。
本来ならただの暗い通路でしかない場所に、目的地へと続く『光の糸』が鮮明に浮かび上がっている。それだけじゃない。角を曲がった先に潜むスライムの粘液。天井の隙間に張り付く吸血コウモリの拍動。
それらすべてが、赤い警告色となって俺の網膜をチカチカと刺していた。
「情報が……多すぎる……っ!」
頭が割れそうに痛い。
スキルは「ここを通れば最短だ」と叫んでいるが、俺の肉体はその情報量についていけていなかった。
一歩踏み出すたびに、視界がぐらりと揺れる。
バルドさんから借りた、使い古しの軽量背負い袋が背中で激しく踊る。
中に入っているのは、緊急配送用のポーション三本。
たったそれだけの重さが、今の俺には鉛のように重く感じられた。
(脚が重い……。もう、上がらねえ……!)
三年間、盾持ちとして鍛えてきたつもりだった。
だが、それは「耐えるための筋肉」であって、「駆け抜けるための脚力」ではなかったのだ。
レベル1。
冒険者ギルドで測定された、残酷なまでの低ステータスが俺の足を地面に縫い付けようとする。
「止まるな……。ここで止まったら、あのパーティの誰かが死ぬんだぞ……!」
今回の依頼主は、第二層で不意打ちを受け、毒に侵された魔術師を抱える新人パーティだ。
バルドさんは言った。「普通に行けば一時間はかかる。だが、毒が回るまではあと十五分だ。……行けるか?」と。
俺は「やります」と答えた。
無能だと捨てられた俺に、初めて向けられた「期待」だったから。
その時、前方の曲がり角から嫌な臭いが漂ってきた。
腐った肉の臭い。
『警告:前方15メートル、ゴブリン三体。交戦を回避する場合、右壁の突起を利用し——』
「回避だ、回避しろ……っ!」
スキルが示すルートは、常識外れだった。
普通なら、通路の真ん中で剣を構える。だが、光のラインは壁際の、わずか数センチの段差を駆けろと命じている。
俺は歯を食いしばり、壁に身体を預けるようにして跳んだ。
「ギャッ!?」
「ギギッ?」
暗闇の中でたむろしていたゴブリンたちが、驚愕に目を見開く。
彼らの頭上、手の届くような距離を、一塊の影が猛スピードで通り過ぎていく。
反撃する隙すら与えない。
俺は着地と同時に転がるようにして加速し、ゴブリンの叫び声を背後に置き去りにした。
(……行けた。今、俺は戦わずに抜けたのか!?)
胸の高鳴りが止まらない。
冒険者時代、一体倒すのにも死に物狂いだったゴブリンを、ただの「障害物」として処理できた。
恐怖で足がすくみそうになるのを、スキルの光が強引に前へと引っ張っていく。
だが、試練は続く。
第二層への階段を降りた直後、見覚えのある背中が視界に入った。
「くそっ、なんでこんなに数が多いんだよ!」
「ガルド、右を抑えろ! 魔法使いを前に出すな!」
聞き慣れた、忌々しい声。
ロイドとガルドだ。
彼ら『銀狼の牙』は、第二層の広間で十体近いゴブリンの群れに包囲されていた。
「はぁ、はぁ……っ」
俺は咄嗟に柱の陰に身を隠した。
彼らは必死だった。ロイドの剣がゴブリンの一体を叩き斬るが、すぐに別の個体が飛びかかってくる。
ガルドの槍も、乱戦の中では思うように振るえていない。
「収納袋からポーションを出せ! 早くしろ!」
「わかってるよ! でも、袋の底に沈んじまって……クソ、どれがポーションだ!?」
ガルドが焦りながら、新調したばかりの『高級収納袋』に手を突っ込んでいる。
魔道具は便利だが、中身を取り出すには精神を集中させなければならない。乱戦の真っ只中で、パニックに陥った彼らには、そのわずかな時間が捻り出せなかった。
(……皮肉だな。魔道具の方が確実だって、俺を追い出したのに)
一瞬、彼らを助けるべきかという思いがよぎった。
だが、俺にはそんな余裕はない。
スキルが、依頼主の元へ続く最短ルートをチカチカと点滅させて告げている。
『最短ルート:広間中央の乱戦地帯を直線で突破。所要時間、5秒』
「……正気かよ」
ロイドたちが死闘を繰り広げているその中心を突っ切れというのか。
だが、毒に侵された魔術師の命は、もう一刻の猶予もない。
俺は覚悟を決めた。
「うおおおおおおおっ!」
肺に残ったすべての空気を吐き出し、俺は柱の陰から飛び出した。
「なっ!? なんだあいつは!」
ガルドの驚愕の声が聞こえる。
乱戦の渦中、ゴブリンが振り下ろした棍棒が、俺の鼻先をかすめる。
ロイドが突き出した剣の軌道、そのわずか数センチ下を、俺は滑り込むようにして通り抜けた。
「悪いな、先に行かせてもらうぞ!」
顔を見せる余裕なんてない。
だが、一瞬だけ目が合ったロイドは、信じられないものを見たというような顔をしていた。
かつて「お荷物」と呼び、捨てた男の背中だとは、夢にも思っていないだろう。
俺は彼らの横を、まさに「弾丸」のように駆け抜けた。
そこから先の記憶は、曖昧だ。
ただひたすらに、黄金のラインを追いかけた。
足の指の皮が剥け、靴の中に血が滲んでいるのがわかった。
それでも、俺は止まらなかった。
そして。
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……! ぎ、ギルド配送便……ですっ!」
行き止まりの小部屋。
三人の冒険者が、傷ついた仲間を囲んで絶望に暮れていた。
その目の前に、俺は倒れ込むようにして現れた。
「……え? 配達員? マジかよ、こんな深くまで……!」
「早く……解毒ポーション、を……!」
震える手で、背負い袋から瓶を取り出し、リーダーらしき男に手渡す。
男は慌ててそれを仲間に飲ませた。
数秒後、青白かった魔術師の顔に赤みが差し、苦しげな呼吸が落ち着いていく。
「助かった……。本当に、助かったよ……!」
リーダーの男が、涙ぐみながら俺の手を握った。
その手の温もりが、冒険者時代には一度も味わったことのない達成感を、俺の胸に運んできた。
もらった報酬は、銅貨たったの三枚。
冒険者として魔石を売るより、ずっと少ない稼ぎだ。
でも、俺の心は、かつてないほど満たされていた。
「……ふぅ。帰るか」
足を引きずりながら、俺は帰路についた。
最短ルートを通れば、安全に帰れる。
そう思っていた俺の視界の隅で、ふいにスキルが『異常反応』を示した。
最短ルートから、わずか三メートルほど外れた、崩落した岩場の隙間。
そこから、見たこともないような不気味な『紫色の光』が漏れていた。
「……なんだ、これ。宝箱か?」
いや、違う。
近づいてみると、そこにあったのは、泥と埃にまみれた『黒い卵』だった。
大きさは人の頭ほど。表面には鱗のような模様があり、ドクン、ドクンと、微かな鼓動が伝わってくる。
「モンスターの卵……? いや、でも、こんな場所に……」
見捨てられたような、孤独な鼓動。
それは、つい数時間前まで、ギルドの片隅で膝を抱えていた俺自身のようにも見えた。
俺は吸い寄せられるように手を伸ばし、その卵をそっと抱き上げた。
その瞬間。
パリッ。
卵の表面に、細い、しかし確かな亀裂が入った。
「……え?」
中から漏れ出したのは、温かな光と、小さな、小さな鳴き声だった。
「キュイ……?」
それが、俺と『ピック』との、すべての始まりだった。




