始まり
あれから3ヶ月経った。ヨワキくんとミルルちゃんはあの日のあと、少し素っ気ない態度で接してきたりする。僕はそんな2人に早く謝りたいと思っているけれど、勇気が出ない。僕は何度も靴ひもを結び直した。ほどけてもいないのに、何度も何度も。
「ユキタくん、準備できた?」
ミルルちゃんが扉越しに声をあげる。
「まだ、もう少し」
今朝、お姉さんたちが今日は学校だって突然言ってきた。どうして事前に言ってくれなかったのかと聞くと「君は必要ないようだけどね」と、答えになってないものが返ってきた。子供にだってわかるんだよ。大人が何かを濁そうとしていることぐらい。
白い服の上に襟のついた黒い服。黒いズボンの下には少しサイズの大きいキノコの靴。襟元には赤いリボンが上品に付いている。
「できたよ」
ミルルちゃんの反応はものすごく速かった。扉から白い肌が覗くと、僕の体を真剣に見つめ、すぐに駆け寄ってきた。
「ユキタくん、その大きなカツラは被っていくの?」
「うん。お父さんと一緒にいたいから」
ミルルちゃんはふうんと言って目線を下に落とした。
「リボンがおかしいよ!」
そう言って僕のリボンを両手で握り、試行錯誤していた。オレンジの香りが漂う。僕の手に彼女の柔らかいスカートが触れて、それをめくってしまおうかと悩んだ。悩んでいる間に彼女は離れてしまった。
「よし、できた」
僕の襟元にあった歪んだリボンを見ると、すっかりお手本のようなリボンに変身していた。
「ミルルちゃん、器用だね」
「たくさん練習したからね!どうせユキタくんは上手に作れないだろうからさ」
「そんなことないよ!ちょっとだけ失敗したの」
彼女は難しい表情をして僕の顔を覗く。僕の心の奥底までバレてしまうのではないかと焦った。まさか、もう少し下手にリボンを作って、もっと長い時間そばにいてもらおうと思っていることなんて。まさか、まさかね。
部屋を出たあと、ヨワキくんと合流した。彼も僕と同じ格好をしていた。
「ユキタくん…かっこいいね…」
「ありがとう!ヨワキくんもだよ」
ヨワキくんは頬を赤らめて唇を噛んだ。でも、僕が彼に一歩近寄ると彼は一歩後ろへ下がる。
「早くして!もう時間がないよ」
お姉さんが向こうから叫ぶ。僕らは急いで蝋燭の火でほのかに照らされた廊下を駆けていった。お姉さんたちと合流するとすぐに車に乗せられた。僕とヨワキくんとミルルちゃん、その他にも何人かがアルミニウムの塊の中で揺られた。居眠りで船を漕ぐ子もいれば、饒舌にお姉さんに話しかけている子もいた。僕らは果てしなく続く道を走り続ける。
道の端にはサクラが空を覆うように大きく咲いていた。
「今日は4月。なんだかわかるよね」
お姉さんが落ち着いた声で僕に問う。僕はルームミラー越しに相槌を送った。
「君も、もう赤ちゃんじゃないんだね」
お姉さんは寂しそうにハンドルを握り直した。
「お姉さんたちには名前がない。でも君たちにはある。きっと君たちには大きな未来があるんだろうなあ」
彼女は唇をかみしめ、涙をこらえた。
「小学1年生ども!負けるなよ!」
お姉さんは車の外まで聞こえる声で僕たちに言った。その声はどこか淋しげだった。
学校につくとすぐに『教室』に入った。一人ひとりに席があって、僕は一番前の廊下側。隣に座ったミルルちゃんは教室を落ち着きなく見回していた。僕の後ろにはヨワキくんが俯いて座っていた。
「ヨワキくん、大丈夫?顔色悪いよ」
ミルルちゃんが彼の顔を覗き込む。
「うん…ちょっと…」
さらに彼はうなだれた。目を泳がせ、周りにいる子供をまるで捕食者のように見ていた。
パン!パン!
教室の中央前から何かが弾ける音がする。
「みなさん、はじめまして!今日から担任になるラライヤ・ルイロです。よろしくね」
まず目に入ったのは頭から垂れる黄緑のヘドロの塊だった。それは片栗粉に固められたかのように絶妙な硬さをして、彼女の動きに合わせて優しく揺れていた。少し視線を落とすと、胸にある特大サイズの夢で今にも服が引きちぎれそうになっていた。さらに下へ目を移す。濃いピンク色のワンピースは足をほとんど包んでいない。それをサポートするように網タイツが太ももに強く食い込んでいた。
ミルルちゃんはラライヤ先生に釘付けになっていた。その目には尊敬と羨望があった。
「ユキタくん、大丈夫?」
「だ、大丈夫ですラライヤ先生!!」
咄嗟に出た言葉はこれ以上話を続けにくくなる答えで悔しくなった。もっと、もっと仲良くなりたいのに…
「ルイロ先生でいいよ」
(よし…!)
隣から鬼のような熱気を感じる。同時にオレンジの香り。なぜか、僕は振り向く事ができなかった。
後ろからはくすぐったいくらい優しい笑い声がした。それは緑色。森の香り。弱くて、小さな声。僕たちは『学校』に毎日行くようになるらしい。




