21話 アルメリアの話
フレデリックはジェシカと逃亡すると決めた翌日、辻馬車の営業所に出向いた。バルケル伯爵家の馬車を使うことは避けたかったからである。
変装をして身分を偽り、所長に明日の日の出とともに出発するから準備をしておいて欲しいと伝えた。
当日、フレデリックは、まだ暗いうちに持てるだけの金銭と宝石をトランクに詰め、営業所まで歩いて行き、日の出とともにジェシカが待つモルフィー家へと出発した。
朝日が差し込み始めた通りに人はなく、誰にも見られずにジェシカを迎えることができるとほっとした矢先、馬車の御者がフレデリックに窓越しに話しかけてきた。
「お客さん、時計塔の前で、人が倒れてますぜ。ありゃ、若い娘だね。可哀そうに、身投げでもしたのかもしれませんぜ。」
その言葉を聞いた瞬間、フレデリックはゾワッと全身の血が凍り付いたような感覚に襲われた。
子どもの頃、ジェシカが時計塔の鍵を家から持ち出し、一緒に中に入ったことがある。長い螺旋階段を上まで登り、時計を設置している高い位置から町を眺めた・・・。
「と、止まってくれ。」
「お知り合いですか?」
御者は馬車を止めた。
フレデリックはガチャリとドアを開け、馬車から降りて前方の時計塔に、恐る恐る視線を移す。レンガが敷き詰められたその場所に、血に染まったレンガを覆うようにしてドレス姿の女性がうつ伏せで倒れているのが見えた。そのドレスには見覚えがある・・・。
「ま、まさか・・・誰か、ジェシーじゃないと言ってくれ!」
走って倒れている娘を抱き起こして顔を見れば、それはジェシカ本人であった。
「ジェシー、ジェシー、お願いだ、目を開けてくれ。どうしてこんなことに・・・、ジェシー、お願いだ、目を開けてくれ・・・」
ジェシカの身体を抱きしめて泣き叫ぶフレデリックの周りに、人が集まり始めた・・・。
話は現在に戻る。
「ジェシカ様のことを聞きたいのですね。」
アルメリアから話を持ち出してくれたので、リウはこくんと頷いたのだが、少しばかりの沈黙が続いた。
沈黙している間、アルメリアは、話すべきか悩んでいるようだった。
「とても辛い話を聞くことになりますが・・・、それでもよろしいですか?」
「あの・・・、それでも聞きたいです。お願いします。」
「そうですね。ジェシカ様のことは、当時、町の大きな噂になりましたから、私が話さなくてもきっと知ることになると思います。でしたら、私が知っていることをお話した方が正確だと思います。」
アルメリアは、自分が見聞きしたこと、フレデリックから直接聞いたことも含めて、リウに語った。
話がジェシカの死に至ったところで、リウは絶句した。
ひどい父親だと思っていたが、することがあまりにも酷すぎる。
フレデリックがどうして戻ってこなかったと、責めたくなる気持ちが痛いほどにわかった。
「ジェシカ様がお亡くなりになってから、フレデリック様は変わってしまわれました。生きるしかばね?とでもいいましょうか、フレデリック様は部屋に引きこもるようになり、誰とも会おうとはなさいませんでした。当然のように、それまでよく来ていた縁談も来なくなりました。」
「兄上は今でも?」
「いえ、ジェシカ様の一周忌を終えた頃から変化が見られ、事務仕事はなさっておいでです。ですが、結婚はする気はなかったようで、かたくなに縁談を避けていらっしゃいました。その状態が続くことを心配した伯爵様が、事情を知る私に嫁に来て欲しいと二年前に縁談を持ち掛けたのです。その時、私は十六歳でした。」
アルメリアは隣接するトレイソン伯爵領の令嬢である。バルケル伯爵領よりもさらに小さい領地ではあったが、貴族令嬢なのだから普通なら十六歳までに婚約者がいてもおかしくなかった。
だが、アルメリアが九歳の年にリウと婚約し、その二ケ月後にリウは魔物の呪いに掛かって死んでしまった。それまで元気に遊びまわっていた子どもが、婚約直後、あっけなく死んでしまったのである。
これは、迷信深いこの地域では致命的なことだった。アルメリアの両親は人の噂が完全に拭い去られるまで、アルメリアを表は出さず、トレイソン伯爵家から他家へ縁談を持ち掛けることもしなかった。それゆえ、十六歳になってもまだ婚約者がいなかったのである。
「もともと私はミハイル様と結婚する予定でしたから、バルケル伯爵家との政略結婚は私にとっても望んでいたことだったのです。私自身、フレデリック様が明るかった頃を知っていますし、パーティーで何度かお見かけしたこともあって、あの方がとても優しい人であることもわかっています。ですから、縁談の申し込みを受け、昨年、十七歳の年にフレデリック様と婚姻を結びました。」
アルメリアの長い話が終わった。
リウの目には涙があふれていた。
姉のように慕い大好きだったジェシカの死、そこまで追い詰めた父親に対する怒り、愛する人を救うことができなかった兄の無念、それらの思いが心の中でごちゃごちゃに混ざり合い、言葉にならない思いが涙をとめどなくあふれさせる。
「今、兄上はどうなのですか?」
「先ほども申し上げたように、領地の事務仕事などは問題なく処理しておられますが、社交界には、一切参加なさいません。心の中は、今もジェシカさんのことを思い、苦しんでおられます。ですが、私が寄り添うことで、少しでも気持ちが楽になればと思っているのですが・・・。」
その言葉を裏返せば、アルメリアの思いは伝わっていないと言うことなのだろう・・・。
「僕がこんなことを言っても良いのかわかりませんが・・・、どうか、兄上をよろしくお願いします。」
リウは、アルメリアに深く頭を下げて願うことしかできなかった。
アルメリアが部屋から出て行った後、リウは早くこの家を出たいと思い、客室の中を動き回って自分の荷物を探した。
ミウのために買った飲み薬が三本、カバンの中に入っているはずなのだが、そのカバンが見つからない。新しく買って帰ろうにも、カバンが見つからなければ、買う金もない。
困ったなと思っていたら、一番会いたくない人間が部屋に入ってきた。
リウの父親、バルケル伯爵である。




