19話 キャサリエンヌ
バルケル伯爵は己の理想とする縁談が持ち上がったことに興奮気味であったが、フレデリックはいたって冷静である。
「父上、よくお考えください。そのような由緒正しいご令嬢が、このような田舎の伯爵領に嫁ぐなんて考えられません。いくら政略結婚でも、そのご令嬢が気の毒です。」
「何を言う、ガルシア侯爵殿が乗り気なのだぞ。きっとお前の顔と知性が気に入ったのだ。」
親同士が決めた政略結婚ならば、きっとその令嬢も断ることができずに嫌々嫁がされることになるに違いない。はっきりと断った方がその令嬢のためになるのだろう・・・。
フレデリックはそう考えた。
縁談が持ち上がってすぐのこと、フレデリックはいつものようにカツラを被り、平民の服装に着替えて、こっそりとジェシカに会いに行った。
「ジェシー、まったく父上には本当に困るよ。相手が侯爵令嬢だと目の色が変わるのだから・・・。結局、断れなくて会うことになったけど、僕は結婚する気はないと、はっきり言おうと思うんだ。他に好きな女性がいるってね。その方が、彼女のためになるだろう。」
「ねえ、フレディー、もし、そのご令嬢が気に入ったのなら、私のことは忘れてもいいのよ。私なんかよりも、きっとそのご令嬢の方があなたにふさわしいもの・・・。」
「まったく、君までそういうことを言うのか? ダメダメ、絶対にダメだ。僕は、ジェシー、君しか考えられない。」
フレデリックはジェシカを強く抱きしめて唇を重ねる。ジェシカもその熱い思いを受け入れるのだった。
侯爵令嬢キャサリエンヌとの顔合わせは、王都にあるガルシア侯爵家の屋敷で行われることになった。
馬車で四日かけてフレデリックは侯爵邸に到着したのだが、門から見る侯爵邸に驚きを隠せないでいた。今まで地方の貴族のパーティーに何度も参加したことはあったが、これほど大きく荘厳で立派な建物を見たことがなかった。
バルケル伯爵がこの婚約に乗り気になったのも無理はないと思えた。
だが、だからこそ・・・と思う。
こんなに立派なお屋敷の令嬢が、田舎の小さな伯爵領に嫁ぐなんて考えられない。
ガルシア侯爵は、バルケル伯爵領とは比べものにならないほど、広大な領地を所有している。
次女にはその相続権はないと聞いているが、それにしても、格差がありすぎる。
やはり、これははっきりと断る方がお互いのためになるのだろう。
フレデリックは、侯爵家らしい品の良い執事に、顔合わせの場所に案内された。
手入れの行き届いた庭園の芝生の上に設置されたテーブル。ちょうど大きな木の陰になり、そよそよと吹く爽やかな風が気持ちが良く、甘い香りも漂ってくる。
椅子に座ると、眼前には庭師が丹精込めて育て上げた美しいバラの花が咲き誇っている。風に乗って漂っている甘い香りはこのバラの香りだったのかと、レデリックは改めて香りで肺を満たした。
そこに静々と現れたのは、艶のある長い黒髪をハーフアップにして、揺れる度に光をまとうピンク色の絹のドレスを着た令嬢キャサリエンヌである。髪飾りも胸に輝く宝石も彼女の品の良さを際立たせ、陶器のような滑らかな肌に黒い瞳が神秘的で、思わず見とれてしまうほど美しい。
フレデリックは立ち上がり、キャサリエンヌを迎える。
「初めまして、バルケル伯爵家の嫡男、フレデリック・バルケルです。今日はお招きいただきましてありがとうございます。」
「いえ、こちらこそ、遠方からお呼びだてして、申し訳ございませんでした。わたくしはガルシア侯爵家の次女、キャサリエンヌ・ガルシアでございます。どうぞ、キャシーとお呼びください。」
鈴の音のような美しい声が、彼女の口から発せられた。
椅子に座って向かい合うと、色白の肌がぽっとピンク色に染まり、愛らしさが倍増する。ここにいるのがフレデリックでなかったら、すぐに彼女の虜になっていただろう。
フレデリックは、ここで長々と世間話をするよりも、きちんと断りを入れてすぐに帰った方が良いと考えた。
「キャサリエンヌ嬢、この縁談は親同士が決めた政略結婚です。あなたのような高貴な女性が、無理に私に嫁ぐ必要はありません。実は、私には心に決めた女性がいるのです。ですから、この話はなかったことにしませんか? それがお互いのためになると思うのです。」
フレデリックの話を黙って聞いていたキャサリエンヌは、ワナワナと震えだし、話し終わる前に、黒い瞳からボロボロと涙が零れた。
「わ、わたくしは、ターナー伯爵家のパーティーであなたをお見掛けして以来、ずっと恋こがれておりました。あなたは覚えていらっしゃらないかもしれませんが、ほんの少しだけお話したこともございます。あなたが他の人とお話している姿を見て、素晴らしい知性と教養をお持ちなのだと、ますます惹かれてしまったのですわ。」
「あの、私たちがお会いしたのは、今日が初めてでは・・・、」
「少なくとも、わたくしにとっては、親が無理に決めた政略結婚ではございません。あなたに一目お会いしたくて、何度かパーティーに出席いたしましたが、あなたは、パートナーを一度もつれてきたことがございませんでした。ですから、ですから、わたくしがお父様にお願いしたのです。ですが、もし、あなたに心に決めた女性がいたと知っていたなら、お願いなどいたしませんでしたのに・・・ううっ・・・ううっ・・・」
最後はむせび泣き、言いたいことを言葉にすることもできなくなった。
「キャサリエンヌ嬢・・・」
フレデリックも思っていたのとは違う展開に困惑してしまい、何を言ってよいのかわからなくなる。
「ううっ・・・お見苦しいところをお見せして申し訳ございません。わたくし、これ以上この場にいることはできません。失礼いたしますわ・・・。」
キャサリエンヌは泣きながら席を立ち、侍女たちに支えられながら去っていった。
一人残されたフレデリックはしばらく呆然としていたが、自分がとんでもない悪手を打ってしまったのだと気付いた。
それと同時に、嫌な予感がゾワゾワと足元から襲ってきた・・・。




