第4章 糸の切れた凧(5)
――――あいつは……。
地味なスーツにネクタイの丸い体形。せわしなく首を動かしながら、こちらの様子を窺っている。
「いいよ。俺が話をしてくるから」
「大丈夫か? 航留」
怪訝な表情の越崎を無視し、航留はその客のところへ足を向けた。前回と同じ、今日も一人のようだ。
「いらっしゃいませ。うちの子がご迷惑をおかけしたでしょうか」
営業用スマイルを浮かべながら、下出に出る。お客様だし、そんな難癖をつけているわけでもない。
「あ、マスター。いや、そんなことは全く。それより、彼、辞めちゃったんだって?」
珈琲カップのなかは既に空だった。前回もそうだったが常に忙しない。
「はい。何か彼に。あの件はお断りしたはずですが」
男は芸能プロダクションの人間だった。名刺も受け取っている。確か戸ノ倉だったか。
「ああ、そうなんだけどね。ちょっと、ああいう感じの子を探してて。新しい職場知ってるでしょ? マスターなら」
知ってたらこんなに苦しまないわ。と心の中で精いっぱい毒づいてから、航留は応じた。
「それが……突然辞めてしまったので、聞く暇もなかったんですよ」
これは真実だ。
「え、突然、ですか」
「はあ。そうなんですよ。零は、何も言わずに」
「零? 零って彼の名前ですか?」
変なところで戸ノ倉が航留の言葉を遮った。航留はそこで盛大な違和感を覚える。
「はい。野波零が彼の名前です」
「あの、彼本人が……名乗ったのでしょうか」
航留はそれに答えず、カウンターにいる越崎に目で合図をした。気にしてこちらを見ていた真紀が越崎を促し、その合図を受け取る。
「お客様、彼のことで詳しくお話したいことがございますので、バックヤードに来ていただけませんか?」
「えっ。と、申しますと?」
「申し訳ございません。実は、彼の居場所知ってるんです。良いお話なら教えてやらないと、と思いまして」
嘘八百を並べたところに越崎が来た。
『こいつ、逃がすな。零の過去を知ってる。いや、それだけじゃないようだ』
耳元でささやくと、越崎はニコリとこれまた戸ノ倉に貼り付けた笑顔を見せ、
「休憩室に行きましょう。彼の今のこと、お話しますよ」
「はい。あ、それじゃあ」
長身の若い男二人に見下ろされ、必要以上に圧を感じたのか。戸ノ倉は椅子に置いた鞄を胸に抱き腰を浮かせた。
「ささ、どうぞ」
有無も言わさぬ体の二人に追い立てられるよう、戸ノ倉はバックヤードの休憩室へと連れていかれた。真紀は察して『時游館』の扉にクローズの札を取り付ける。店に残った常連達もそのうち帰るだろう。香苗や加納には、何があったか聞かれるかもしれないが、適当に誤魔化すつもりだ。
この日、店がモーニングのみの営業となったことは言うまでもない。




