第3章 帰還(8)
刑事は成行に会う前、彼を診察した病院に行ってきたと言った。個人情報に触れない程度のことを教えてもらったというが、どこまで本当なのか。とりあえず、記憶喪失の症状は嘘でないとは思っているようだ。
「そんなことがあれば、覚えていそうですよね……でも、すみません。全く覚えてないです。なんかありきたりの言い方ですが、文字通り、記憶にないです……」
国会の答弁みたいだと思いながら、これほどぴったりする表現はない。あいつらの方は本当のことを言ってるわけではないだろうけど。
「お医者さんが言うには、その、物理的なショックもありますが、精神的なショックで記憶を失うことも考えられると。だから、その残虐なシーンを目撃したこと、さらには犯人に殴られたとも考えられるのではないかと思っているんです」
逃げようとしたところ、後頭部を殴られたのではと刑事は言う。犯人は成行が死んだと思ったか、他の気配がして焦ったのか、とどめを刺さずに逃げたと考えているようだ。
――――殺されかけたってことか?
ううむ。と腕を組み、首をひねる。もしそうなら、不幸中の幸いということか。出来ればそんな恐怖や残虐シーンは忘れたままでいたい。ホラー映画など、全く観ないタイプだ。しかし、彼らのすがるような真剣なまなざしは、そうはさせじと訴えてくる。
「困ったな……本当に、わからなくて」
なんとかしてあげたい。努力はしてみるが、やはり思い出せるのは、ちょうどこのカメラの映像通り、遅れを取り戻そうと歩を進める自分の姿だけだ。
「事件はどこであったんですか?」
「あ、それは」
真壁巡査部長がタブレットをもう1度操作する。次は犯行現場周辺の写真だった。当然のことながら、遺体などの痕跡はない。
「ああ、そうか。急いでいたから近道をしたんだ」
それは薄暗いアンダーパスの舗道だった。成行の姿を捉えた道は、いつも通るバス通りではなく、鉄道のアンダーパスへと向かう裏通りのものだった。このアンダーパスは暗くてじめっとしてるので成行は好きでなく、普段は通らなかった。
――――あ……なんだ……?
目の前に、あの日のアンダーパスが過る。過った気がする。誰かいる。けれど、またそこで暗転した。
「なにか思い出しましたかっ!?」
成行の様子の変化に気付いたのか、鮫島が飛び出さんばかりに身を乗り出した。
「あ、いえ……すみません」
消えてしまったものを思い出すのは難しい。それにそれがあの日のことかどうかはわからないし、言葉に誘導されて映し出したものかもしれない。
「佐納さん、我々がまたここに来たのは、他でもない。1年ぶりに被害者が出たからなんです」
「え? それって……」
鮫島が簡単に状況を説明してくれた。連続殺人事件は、成行が失踪した日に起きた案件のあと、ぴたりと止まってしまった。前の二つは二ヶ月と開いていなかったのに。
しかしこの1年、犯人逮捕までは程遠く、日々がいたずらに過ぎるばかりだった。管内に新たな別の事件も起こり、捜査本部が縮小されつつあった。それが一昨日、1年ぶりに女子大生が殺された。ニュースにもなったようだが、豆に情報を仕入れる方でない成行は知らなかった。




