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第1章 カフェ時游館(1)


 どこからか聞きなれたメロディーが耳から脳に流れていく。それは毎朝奏でられる『目覚ましの音楽』だ。自分の好きな音楽を設定したのに、聞くたびにもやっとして嫌いになっていく。要するに、起きるのが嫌なのだ。


 ――――いっそのこと、無味乾燥な目覚まし音にするか。


 音を奏でているのはスマホだ。手を伸ばそうとしたとき、大きな手がその上を走った。


「自分で止めろよ。(れい)

「あーごめん。今止めようと思ったところだった」

「毎朝、同じこと言ってるな」


 ふっと鼻で笑う男。茶髪に染めたショートヘアの下で、ふんわりとした笑顔を見せる。逞しい裸体にすっきりとした面立ちは、一言で言うならイケメンだ。軽くパーマの入った前髪を右手で掻き揚げた。


「起きるよ。カフェ、開けないと」


 零と呼ばれた男は、声とともに体を起こし伸びをした。天パー気味の髪はメッシュを入れたオシャレな雰囲気。くりっとした二重の双眸にぷくんとした唇。誰からも『可愛い』と言われてしまうのを、本人はあまり面白くは思っていない。けれど……。


「可愛いなあ、いつも」

「あ、もう……航留(こうる)


 まだ布団の中にいる男の手が零の腕を掴んだ。それが決まり事のように、二人は軽くキスを交わす。


「じゃあ、後でね」


 はにかむような笑顔を残し、天然パーマの青年は部屋を出て行った。

 茶髪の男、(みね)航留はカフェの経営者兼バリスタ(マスターとも呼ばれる)。自宅の一階でカフェを営んでいる。零は約1年前からそこで住み込みのバイトとして働いていた。その時から始まった同居は、いつのまにか同棲になっていたが。




「航留、もうサラダできたよ」


 零が起きれないのも無理はない。毎朝目覚ましが鳴る時間、すなわち起床時間は5時だ。7時から始まるモーニングに間に合うように起きる必要がある。簡単な朝食を済ませ、5時半には店にいる。掃除や仕込みは昨夜のうちに終わっているので、朝イチはサラダを作ることから。それも今、終わった。


「うん、ありがと」


 マスターの航留は、6時半に店に下りてくる。白シャツに黒いズボン、それに店のロゴ『時游館』が入った黒色のエプロン姿だ。零も同様の恰好をしている。二人とも高身長なのもあって、まるで雑誌モデルかマヌカンのよう。航留はカウンターの中に入り、珈琲豆の補充を始めた。これも毎朝のルーティンだ。


 レンガの壁面とそれを伝うツタが特徴の『時游館』は住宅街の一画にあり、前面に六台分の駐車場がある。そこから小さな階段を上がって店に入る。店内は落ち着いたつくりで板張りの床に木製のテーブルと椅子、レトロな照明など趣味がいい家具が置かれていた。キャパはテーブル席が五つとカウンターが六席で、カウンターの奥には様々な趣のカップが100近く飾られている。

 基本はバリスタが選ぶが、客が選ぶことも可能だ。和洋取り揃えたカップに惹かれて訪れる客もいるが、やはり売りは美味しい珈琲。とはいえ、元々イケメンバリスタの航留目当ての客が多かったところにアイドル系の零が加わったことで、女性客の比率が高いのは周知の事実だった。


「さあ、店を開けよう。忙しくなるぞ」


 カフェ『時游館』はモーニングが最も忙しい。モーニングと言いながら、午前中いっぱいがその範囲だ。ランチメニューはないので、昼時は逆に空く。航留の手作りシフォンケーキが楽しめる14時から16時くらいまでが二度目の繁忙時間だが、朝の比ではなかった。閉店時間は18時と少し早いが、場所も住宅街なので需要が少ない。何よりも航留に労働意欲がなかった。


 航留の実家、峰家は何代も続く資産家でお金に困ることはない。この家も、祖父が残したものの一つだ。珈琲好きが高じてバリスタとして働いていた航留が相続したとき、1階部分をカフェに改装したのは必然だった。

 東京から電車を乗り継いで1時間ほどの郊外、ちょっと行けば自然の多い田舎だ。山肌を覆うような一帯を開発し造成された住宅地『緑ヶ丘』に、知る人ぞ知るカフェをオープンしてから3年が経っていた。


「おはようー」

「おはようございます」


 こんな場所だから、お客様のほとんどは近所の常連客となる。特にモーニングはその率が高い。今朝も開店と同時にカウンターに座る三人の客。ややふっくらとした女性客は一人暮らしの未亡人、香苗。黒々とした長い髪と若々しい服装で、実際年齢がわからないが、50代半ばかとは航留の見立てだ。


 彼女の隣が定位置の若い男性客、会社員の加納は毎朝出勤前にここでモーニングを済ませていく。住宅街のなかにある高層マンションに住む独身。口数の少ない大人しそうな男だが、細身で身なりも小綺麗にしていて好感が持てた。そういうところが、香苗も気に入っているのだろう。時に世話を焼く姿が見えた。





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