第3章 帰還(1)
その日、西園寺渉は、春休みを利用した旅行から戻り、久しぶりの家事に勤しんでいた。家事と言っても一人暮らしの学生、洗濯と掃除ぐらいだが。
大学生にしては洒落たマンション風アパートに住む彼は、とある企業の御曹司。長い脚に端正なマスクと容姿端麗。そのうえ金持ちという絵にかいたような超優良物件だった。
キャンパスでは女子学生の視線を浴びまくっていたが、決まった恋人はいない。親から遊びで付き合うならいいが、本気は身辺調査をしてから。なんて言われているのだとかなんとか……そんな噂も妙に信ぴょう性があった。
一通り家事を終え、シャワーを浴びる。ストレートの黒髪をごしごしとタオルで拭きとりながら鏡に目をやった。
――――ん。いい感じだ。
ジムには足しげく通っている。マッチョを目指しているわけではない。自分で惚れ惚れするようなしなやかな裸体が目標だ。いくらか自信過剰な面もあるが、現在は満点に近いと思っている。素肌に黒シャツを纏って一息ついた。冷蔵庫からコーラを取り出す。暇つぶし程度のバイトにも、まだ十分に時間はあった。
渉はリビングへと向かい、テレビのリモコンを手に取る。昨夜配信された海外サッカーの試合を観るつもりだ。欧州サッカー好きだが、ライブ放送は深夜。カードによってはリアルタイムで見ないこともある。ソファーにどっさりと座ったところでインターホンが鳴った。
「なんだよ。こんな朝から」
リモコンとペットボトルをテーブルに置き、モニターに向かう。だが、誰の姿も映っていなかった。渉のアパートは賃貸ではあるが、当然オートロックだ。エントランスにはカメラもついている。だが、一部屋ずつの玄関にはカメラはない。
「はい。どなた?」
オートロックと言えど、ちょうど人が入ったときなら同時にアパート内に入ることはできる。このアパートの住人であれば尚更だ。なにか駐車場でトラブルでもあったのかと、訝しげにモニターに向かって声をかけた。
「あの……成行だけど……渉……だよね?」
「え…………な、なにぃーっ!」
渉はスピーカーから聞こえる声に、一瞬固まってしまった。息を飲み、その場で絶叫した。そして足をもつれさせるように玄関へと向かい、のぞき穴から見ることもせずドアを乱暴に開けた。
「な、成行っ!」
そこには、白シャツにネイビーのブルゾン、黒いズボンを穿いた彼が知る人物、天然パーマの青年が立っていた。身なりはともかく、肌艶も良く健康そうだ。アイドル並みの可愛い顔も健在だった。
「ああ、渉。居てくれて良かった」
「お、お、おまえ何言ってんだ。いったいっ」
「もしよかったら、中に入れてくれるかな。あの……」
遠慮がちな申し出に、渉は再度ハッとした。
「あ、そうだな。もちろん、入れよ」
渉は成行を招き入れた。成行はほっと安堵した様子を見せ、勝手知ったる我が家のように靴を脱ぎ、そのままリビングへと入っていった。
「とにかく、どういうことなんだ。あ、いや、それよりもう実家には連絡したのか? 捜索願も出してたんだぞ」
滅多なことに動揺したりパニクったりしない渉が、あからさまにあわあわしていた。座るに座れず、成行の目の前で落ち着かない様子で体を揺らしている。
「あ、それが……まだ何も。実家も家電外しちゃったから、スマホの番号覚えてなくて……そうか、捜索願が……」
成行の実家は東海地方にある県の地方都市だが、家電で『オレオレ詐欺』に引っ掛かりそうになってから、スマホのみに切り替えた。スマホや携帯電話の番号はなかなか覚えられないのは言わずもがなだ。
「は? おまえスマホどうしたんたよ。まあいい、俺、電話したことあるから履歴に残ってるかも」
「あ、あの、渉。それ後でもいいから。あの……僕、混乱してて。何がどうなってるのかさっぱりわからないんだ」
「何言ってんだ。わかんないのはこっちだよ」
スマホの履歴を探ろうとする渉は腹立たしげに声を荒げる。
「1年間も連絡しないでどこほっつき歩いてたんだっ。俺たちは、おまえがもしかして、犯罪にでも巻き込まれたのかと。それともなにか? 記憶喪失にでもなってたとか言うんじゃんないだろうなっ!」
勢い余ってテーブルを拳で叩く。置いてあったペットボトルが反動で転がった。
「それが……その……どうやらそうみたいなんだ……」
「へっ?」
再び息を呑む渉。渉の圧に怯えて小さくなっていた成行は、上目遣いでそのくりっとした双眸を向けた。
「あの……それと、のどが渇いたから、なにか飲ませて」
申し訳なさそうに言うのだった。




