表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/61

第1章 カフェ時游館(9)


「記憶ってすぐに戻るんじゃないのか?」

「え? いや、まあそうだな。頭を打った時のことはともかく、過去のこと、つまりは自分が誰とかってことは思い出すはずだ」

「じゃあ、それまで俺のところで面倒見るよ。思い出せば、自分で帰れるだろうし」


 その言葉に、越崎はあからさまに怪訝な表情を見せた。


「なんでだよ。そんなこと、人見知りの激しいおまえらしくない」

「いいだろ……こっちも客商売してるから、今はそんな人見知りじゃない。なんだか気の毒なんだよ。ワケもわからないのに、警察なんかに連れられて」

「医師としてはちゃんとした病院での検査を希望するが」

「ここはちゃんとしてないのかよ」

「な……言っておくが、ああいう事件性が考えられる患者を診るような場所ではないよ」


 むっとして腕を組む。時間外に押しかけてきて、診てもらってるだけでもありがたいのに、あまり刺激をするのは良くない。航留は素直に詫びた。


「すまん。でも警察行ったら、はいさよなら、ってことになる。なんだか無慈悲で後味が悪い」

「捨て猫や捨て犬を保健所に連れていくわけじゃない」

「そうだが……」


 しばしの沈黙。越崎は大きなため息をついた。


「血液検査だけはしておくから。それと……1週間経っても記憶が戻らなかったら警察へ行け。いいな」


 最大の譲歩だった。航留はわかりやすく頬を緩ませ、礼の言葉を述べた。頭を下げる航留に越崎が続けた。


「それから、彼にはおまえがゲイだって言っておいたぞ」

「え? なんでだよ。おまえが言うことじゃないだろう」

「隠してたら、フェアじゃないだろ。あんな綺麗な顔した子だ。おまえの魂胆は見え見えなんだよ」

「それは違うっ!」


 かどうか、実はわからない。今は同情の気持ちも強いが、一目見て気になったのは言うまでもない。


「違わないだろ。だが、記憶喪失の子を、面倒見る代償として襲うほど落ちぶれていないとは信じてるがな」

「あ、当たり前だっ」


 怒りを露わに、と言うより、そんなポーズを意識して吐き捨てる。


「それで……彼、零は何て言った。俺がゲイだって聞いて」


 こほんと咳をしてから、航留は尋ねた。


「そうですか……てさ。心ここにあらずって感じかな。ゲイの意味はわかる? って聞いたら、『わかります』と言ってた」


 ――わかります。教えてくださってありがとうございます。


 野波零はそう答えていた。ぼんやりとした表情、やがて、くっきり二重の大きな瞳を何もない空間に向けた。

 どうするにしても本人の意思を聞かなければと、三人は再び診察室で膝を突き合わす。航留が記憶が戻るまで家にいてもいいと言うと、彼は考える様子もなく答えた。


「お願いします。そうしていただけるのなら。あの、よくわからないのですが、警察は、まだ行きたくなくて。なにか悪いことが起こるような気がするんです。決心がつくまででも構わないので」


 最後はまるで航留にすがるように訴えた。一瞬、記憶喪失は嘘っぱちで、逃亡者か何かなのかと疑惑が脳裏をよぎる。それでも航留は『まあいいか』と思ってしまった。


 ――――凶悪犯だとしても、命取られるだけだ。それ以上悪いことは起こらないだろう。


 大きな目標があるわけでもない。カフェが軌道に乗っていても、例えば二号店を開店しようとか、他のビジネスをやろうとかそんな野心もなかった。それよりも。 


 ――――なんだか楽しくなりそうな気がする。


 くるりと天然パーマの美青年。騙されるならそれもまた良し。


「じゃあ、まあそういうことにするか。私はあまり気が進まないが……。そうだ、野波君、このノートに今日からあったことや気の付いたこと、つまり日記みたいなの書いておくんだ。突然なにかを思い出したとか、そういうのも。何もなくても少しでもいいから書いておいて」


 越崎はB5版の何の変哲もないノートを零に手渡す。そのノートに視線を落とし、「わかりました」と頷く。指に力が入ったのか、ノートの両端に皺が出来た。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ