夜這い
馬鹿って言葉は色々と使えると思う。
たとえばロイズは体力馬鹿だし、馬鹿まじめだし?
うちの使い魔は……ああ、あれはただの馬鹿でいいか。
「で、あんたは研究馬鹿だわよね」
あたしは心底から呆れた。
エイルが研究の為に引っ越したのは、もう半年くらい前のことだ。
なんだかんだってあたしら魔女も人がいいもんだから、エイルの引越しとか手伝ってあげたりしてね。
うん、魔女狩り大陸なんて不名誉な名前のついてある場所も、なんとか四名の魔女を他の大陸から募って――もちろんそのうちの一人、アンニーナに関して言えばレイリッシュによる強制処置だった訳だけれど、それでもずいぶんとこの砂漠だらけの茶色い島も、なんだか少しだけ居心地がよくなってきてる。
相変わらずまだおかしなバランスの魔力だけどね。
で、それはいいんだけどさ。
あたしは寝椅子に寄りかかるようにして床に座ったまま眠こけているエイル・ベイザッハをしげしげと観察してしまった。
寝椅子に横たわるでなく、寝椅子の下で果てているという珍しい姿。
数日研究に没頭していたとかで、今朝やっと家人の説得にきちんとした食事と、そして風呂とを済ませた途端に寝たらしい。
それはそれはものの見事にカクンと。
人間て、満腹だったりお風呂に入った後とかの体温の急激の変化によってあっけなく睡魔に絡めとられてしまうもんなのよね。
それはつまり悪魔類鬼畜目も一緒らしい。
笑いを堪えるあたしの手首を、突然下からぐんっとつかまれて、あたしは思わずぷかぷかと浮かべていた体を寝椅子の上に落としてしまった。
「何をしている」
「何って、なーんにもしてないわよ? それより、ダーリンってば何日寝てなかったの? 目の下にクマ」
打ち付けたお尻に憤慨つつ、あたしは捕まれていないほうの手を自分の顔に持って行き、クマを示すために、ベッと目の下に押し当てた。
これで舌を出せば子供が馬鹿にしてとるポーズ――あっかんべー。
「……二日、いや三日か」
あたしの言葉に眉間にわずかに皺を寄せて考える風のエイル。
おそらく正確な情報など頭に入っていないのだろう。あたしは顔をしかめつつ、不用意に起こしてしまったことを詫びた。
「せっかく寝たところを起こして悪かったわよ」
どうぞまた寝て。
脳みそでろんでろんに溶けるくらい寝とけ。
「あ、でも寝室に移動したほうがいいわよ?」
更に親切心から言ってやると、エイルは眉間に皺を刻んだまま「転移の感覚が知りたい」と唐突に言い出した。
「はい?」
「寝室に運んでくれ」
「……」
この不精ものめ!
あたしはあきれ返ったものの、仕方ないと体内で魔力を練り上げた。
幸い、この大陸ってば未だに魔力値だけはべらぼうに高いものだから、時間など必要もなくエイルを転移させるくらいの魔力が練られる。
あたしが杖の代わりに軽く腕を跳ね上げると、場面はあっと言う間にエイルの――寝台の上。
あたしだって少しは魔女として進化しているのだ。
いつまでも猫耳猫尻尾だけが特徴の末っ子ではないのだよ。
レイリッシュが普段から杖を使わないで、大技の時だけ使うのがちょっとカッコイイとか思った訳じゃない。
絶対にそれは違う。
まぁ、正直に言えばちょっとだけ。
あたしはエイル共々エイルの寝室へと転移すると、悪魔類鬼畜目にしてエロ大魔王にとっつかまったりしないように、さっさとヤツの体を寝台の上に放り出し「さっさと寝なさい」とびしりと言葉をたたき付けた。
エイルときたら本当に疲れているのだろう、多少乱暴に扱われたことに顔をしかめていたが、すぐに寝台の上で目を閉ざしてしまった。
ってか、こうあっさりと寝られると寝られるで――なんというかつまらん。そもそも、とっつかまらないようにってわざわざ気を張ったあたしのこの感情をどうしてくれる。
ジイシキカジョウとか言う訳じゃないのよ。
エイルだから警戒するのは当然なの!
ま、これってつまりエイルってば本気で疲弊してるんだわ。
そうじゃなかったら絶対にこのエロ魔導師のコトだから、あたしを寝台に押し付けているに決まってるもの。
だから、自意識過剰とかじゃありませんたら。
ぷかぷかと寝台の上で胡坐をかくようにしてそれを眺めつつ、あたしはどんどんと眉間に皺を刻みこんだ。
エイルが疲れているのは、研究馬鹿だから。
うん、これは正解なんだけど、その研究の半分くらいは実はあたしの頼みでしてくれているのだ。
つまり、猫の分離。
今は体内の中でしっかりと猫の場所を確保して、シールドかけて完全に眠らせている状態だけど、自分の中に別の生き物がいるっていうのはなんかちょっとイヤなものなのよ。さすがにもう馴染みきってるけどね。
エイルはその研究の為に無茶をしてくれちゃったりしているもんだから、なんかコレって結局あたしのせいって気がする。
そもそもここに来たのだって、アンニーナが「あの馬鹿を少しは気遣え」と余計なお世話様全開で文句を言われたからだ。
――あたしはため息をひとつ落とし、つつつっと中空を移動して体内でゆっくりと練り上げた魔力を唇に寄せて、額に押し当てようか逡巡し、逡巡し……思い切ってエイルの唇に触れた。
こっちのほうが吸収とか、伝達がいいってだけ!
それだけだからね。
なんて、自分の中で言い訳して、ゆっくりと魔力を落とし込む。
ほら、魔女ってだからキス魔なのよ。
レイリッシュだってアンニーナだってそうでしょ?
だから、これは魔女として普通。エリィフィアがそんなことしているのは見たことが無いけど、魔女にとってコレって一般的なコ……
あたしが自分自身に言い聞かせて、自分を納得させようとしていたところで、ふっとそれまで触れるだけだった唇についばむような感触を覚え、喉の奥で小さくうめきつつ、つつつっと視線を上げた。
途端、ばっちりとかちあってしまう透明な黒灰の瞳に、つつつっと少しだけ離れてみようとすれば、腰の辺りにしっかりと神経質そうな指先。
「夜這いか?」
「……いやぁん、ダーリンってばそこは気づかないフリしとかなくちゃ」
「それは気づかなかった」
だらだらと汗が流れるこの現状、ただの親切心だったんだよ! と言うのは悪い魔女ブランマージュとしてはどうなんだ?
イメージが悪いだろ。あれ、いいのか?
んんん?
なんかややこしいぞ。
とにかく、親切心って、めちゃくちゃイイ魔女の台詞だよ。
悪い魔女、悪い魔女、悪い魔女ならこんな時は――
「寝てる間に襲っちゃおうと思ったのにぃ」
馬鹿ですかぁぁぁぁぁ。
ちょっ、悪い魔女って難しくないか、オイ。
このピンチをどうやれば脱出できるのか、誰か教えてくれ。
わ、悪い魔女はこういう時どうしたらいいのさっ。
――おまえの生気を奪ってやろうとおもったのさっ。とか、どう? あ、でも生気を奪うどころか、完全にあたしが魔力をヤツにあげてるしっ。
くぁぁぁぁ。せめて額にしとけよ、あたしもさぁっ。
合理性とか考えてんじゃないよ。
あたしの頭がうぎゃあっとなっているというのに、突然カチンという音が猫耳を反応させた。
左手首に真っ白い金属のようなものが嵌め込まれ、血の気が引くように体内に満ちている魔力がいきなり引き剥がされる。
あたしの瞳が大きく見開かれ、狼狽のままに喉の奥で音が漏れた。
「どうせおまえのは口先だけだ。
そんなことより、新しい封魔具の性能実験につきあってもらおうか。
ココで見つけた封魔石で作った試作品だが……」
こっちの動揺など先刻ご承知、エイルは実に底意地の悪い微笑を称え、あたしの手首につけた白い封魔具の輪郭をつっと指先でなぞりながら囁いた。
「研究に付き合う約束を違えたりはせぬよな?」
……した、したかなぁぁぁぁ。
あたし猫だからもう忘れたっ。
猫ってのはいちいち過去にはこだわったりしないんだって。