隊長と魔女
嵐の前の静けさ――とはよく言ったものだ。
ロイズ・ロックは警備隊隊舎、第二隊室の自分机に向かいながら、がりがりと乱暴にペンを走らせた。
――半年近くの間姿を消した魔女。
出てきた途端、彼の周りは騒がしさを増した。
「隊長!
リーバルテ一帯の獣柵が桃色です!」
「馬の模様が牛柄に!」
「子供達がいません!」
「ほっとけ、子供と魔女は結託している」
――くだらん、実にくだらん。
しかも理由を考えるまでもなく、あの魔女、ブランマージュの仕業であると知れる。
あれだけ静かであった町。魔女を案じていた人々も右往左往の大騒ぎだ。
がりがりと書類を書く。
もう幾つ下らない報告書を書かされているのか――あああ、家に帰って猫と一緒に日向でまどろみたい。
「たーいーちょー」
はらりと、自らの上から赤味の強い金髪が落ちた。
どくりと心臓が刎ねる。
ばきりと羽ペンが折れた。
「ブランマージュ!」
「本日もお勤めご苦労様ね、熊男」
ぷかりと浮かび、頭を下にしたような状態でブランマージュがひらひらと手を振る。
「おまえっ、何をしまくってるんだ!」
「だぁって、みんな寂しかったみたいだからあ。
ただいまーの意味を込めて色々してみました」
ふふんっと、魔女が笑う。
「とっとと色々なペイントを消して来いっ。
子供達はどうした!」
仕事中ということもあり、自然と口調が厳しくなってしまう。
「子供達はあたしの森で遊んでるわよ?
ちゃんと結界はってあるから、おかしなヤツとか入らないし、危険な生き物もいないから十分楽しめるはずよ」
悪い魔女を自認するくせして、どこか中途半端なブランマージュ。
ひくひくとこめかみが震えたが、ロイズはどっと肩から力を抜いた。
「ったく、この莫迦娘」
「ねぇ、ロイズ」
ブランマージュはふわりと体をめぐらせ、小首をかしげた。
「ねぇ、お願いがあるの」
大きな金の瞳がロイズの視線に絡まる。
なんだか苦いものを感じながら、ロイズは前髪をかきあげた。
「でも、ね?
こんなとこじゃ……外に、来てくれる?」
魔女は小首をかしげてロイズを誘い、部屋のテラスからそのままロイズを引き出す。
ついていく必要などないというのに、苦いものを噛むようにして足は外に向かう。
魔女は軽く体を浮かせたまま、すっと流れるように外庭へとおりるとまるで宙に椅子があるかのように足を組んで座る。
「ロイズ」
口元に笑みを刻み、名を、呼ばれる。
――ロイズはぎしりと奥歯をかみ締めた。
両手を差し出してくる魔女。
近づく必要などないと判っている。
その後どんなことがあるのかも、二度も三度も同じ手にかかずらっていられるものか!
それでも、ロイズはその誘惑に――抗えない。
くそっ!
呪わしい言葉を口腔で呟き、ロイズは一歩を踏み出した。
踏みしめた大地が途端に不確かなものに変わる。
緩い布地を踏む感触、それと同時にロイズは嬉しそうな魔女の腕を力任せに引っつかんだ。
「きゃぁっ」
魔女が悲鳴をあげる。
ロイズはそれを腕の中に抱き込み、素直に穴に落ちた。
大人が一人らくに収まるほどの巨大な――落とし穴。
鈍い痛みが背中に当たる。
腕の中に、硬直する魔女。
「もぉっ、この熊男!
一人で落ちなさいよっ」
せっかくロイズを落とし穴に落としてやろうと企んでいたというのに、まさか自分まで巻き込まれるとは思いもしなかった魔女が悪態をつく。
華奢な体を腕の中に抱きこんだまま、身じろぎ一つしない男に――魔女はやがてその勢いを失った。
「やだ、ねぇ? ロイズ?」
「……」
「打ち所が悪かった? 一応シールドは張ってあったはずなのよ?
ねぇっ、ロイズ? なんとかいいなさい、熊男!」
必死な声をあげ、ロイズの顔を覗き込んでくる魔女に、ロイズは――抗えない。
相手の骨すら折れるのではという力を込めて抱きしめ、その唇に唇で触れた。
職務中だとか、問題だとか、そんなことがちらりと過ぎる。
――甘い。
くそっ、くそっ、くそっ。
どうしてよりによってこのオンナなんだ!
悪態をつきながら、それでも判っている。
理屈も理由も必要がないことを。
もう、どうしようもない。
「ぶらーん」
「ぶじー?」
突然聞こえた子供達の声に、ロイズは慌てて魔女を離した。
ブランマージュは一瞬呆気にとられたように瞳を瞬いたが、唇を噛むようにしてロイズの肩を一回押し、その反動を利用して地面へと舞い戻る。
「おまえ達! 水をかけてやるがいいっ」
「そこまでするのー?」
「ちょっと酷くない?」
穴の中を子供達が覗き込む。
穴の壁に手を掛けて体勢を整えようとするロイズを見下ろし、ブランマージュは真っ赤な顔をして子供達に命じた。
「いいんです!」
――子供だ。
ロイズの喉の奥が「クッ」と音をさせた。
それに対してブランマージュは更に激怒したのか、本当にロイズの頭から水がかけられる。
バケツをひっくり返したようにばしゃりと激しくやられ、子供達がキャーと歓声をあげた。
穴の上から、一対の眼差しが強い光を放ってロイズを睨む。
――ロイズは肩を揺らして笑うのを堪えた。
あの眼差しに、囚われているのだから仕方ない。