落とし穴のその後に
新任の隊長殿が着任して四日目――
まぁ、そろそろだろうとは思っていた。
クエイドはずぶぬれで隊舎に戻ったロイズ・ロックにタオルと着替えとを差し出した。
「お疲れ様です」
「――随分と用意がいいな」
「いやぁ、落ちたんすよね?」
落とし穴に。
クエイドはおろか、部下達全員が薄ら笑いを浮かべてしまう。
「だいたい一度や二度はやられるんスよ。この中で落ちた経験が無いのは一人もいませんから安心して下さい」
それは安心するところだろうか。
ロイズは憮然としながらタオルを受け取り、副隊長を睨んだ。
「判っていたなら何故言わない」
「落ちておかないとあとでもっと酷い目にあいますよ?」
「……」
「あれはブランマージュといいまして、この町の外れにある森に住む魔女です。まあ、言わずともお判りとは思いますけどね?」
「……」
「それに、先に告げ口するとブランマージュは告げ口した人間を標的にしますから、なかなかねぇ?」
――すでに一度進言したことがあるクエイドは肩をすくめるしかない。
逆さ吊りに引き上げられ、トクトクと「つまんないじゃないさ」と愚痴を聞かされたのだ。たまったものでは無い。
「あんなものが野放しなのか!」
「そうおっしゃいましてもね、相手は魔女ですし」
「魔女だからって許されてたまるか」
いきなり憤りを撒き散らしながらくるりと踵を返す。その足が所長室へと向かうのを冷笑で見送り、もう届かない背に意味もなく声をかけた。
「うちの所長ブランマージュにことさら甘いっスよぉ」
そうではない。
この地域一帯の人間がブランマージュには甘い。文句をつけているのは警備隊の平隊員達ばかりだ。
実害を蒙っているのは彼等ばかりだから。
逆を言えば、それだけ恩恵があるということだ。
魔女がいる、という。
自然すらそれだけで温暖となる。大気は魔女を愛している。大地は魔女を支える。魔女がいるというだけで何かしらの恩恵が確かに与えられる。
他の大陸には血を好み民を虐げる魔女もいるという。それでも、恩恵の前にひれ伏す者が多くいる。自ら身を捧げる者達が。
「可愛いっちゃ可愛いけどねぇ」
よその魔女よりは。
「ブラン? どこに?」
廊下に上半身を乗り出して騒いだ為だろう、嬉々としてあらわれた第一隊の隊長ギャンツの姿にクエイドは、うっと呻いた。
「最近ちっとも見ないんだよ、どこにいた?」
「いや、どこかは」
「避けられてる気がする」
――避けられてますよ、いいですね?
第一隊をブランマージュが避けだしたのは数ヶ月前からだろう。
隊長のギャンツを苛め倒していたブランマージュに、突然「もっと」と言ったのを皮切りに立場が逆転したようだ。
ある意味スゴイ。
そういう作戦だろうという話もあるが。
――というかそういう作戦であると信じたいが、このギャンツの様子を見る限り果てしなくあやしい。
「見かけたら教えてくれ」
「はぁ」
爽やかなギャンツを見送り、その病にそっと涙する。
――いるんだよな、時々ああやって人生をあやまっちまうのが。
「行った?」
「行きましたよっ……て、何してんすか、魔女殿」
ふいにとんっと肩に重みを感じてびくりと身がすくむ。
「ここは警備隊の隊舎ですよ」
「だってさっき落とし穴に落としたからぁ。きっと身を震わせて怒ってると思ったのよ。そういうのって想像するのも楽しいけど、やっぱり見学するのが一番でしょ」
軽く肩に触れてぷかりと浮かんでいる魔女の姿にクエイドは脱力した。
「趣味わりぃ」
「いやんもっと褒めて」
決して褒めていない。
「あんまうちの隊長苛めないで下さいよ。やりすぎて第二のギャンツさんになったら困るのはあんたでしょう」
「うわー、イヤなこと言うわね。副隊長」
「まだ数日しか一緒にいませんが、真面目な人っぽいですからね。
そういうのは危ないですよ」
「そういうのをからかうのが楽しいのよ?」
ふふふっと笑う魔女に溜息しかでない。
その瞳がやけにきらきらと輝いているのは、新たな標的の出現に物凄く喜んでいるのだろう。
実に判りやすい。
「あんたさぁ」
「なによ」
「責任とってギャンツさん御婿に貰ってやってよ。どう考えても悪いのは魔女殿なんだから」
「……昔のギャンだったらいいけど、今のギャンは絶対にイヤ」
「うわっ、あんたスゲーヒデー」
呟いたところで、地底からの地響きかと思うような野太い声が割った。
「魔女! そこを動くなっ」
物凄い勢いで戻ってきたロイズの姿にブランマージュが嬉しそうに笑む。
あああ、真面目な人間程駄目な選択するんだよなぁ。
この魔女は放置するのが一番だというのに。構えば構うほどおもしろがるのだから。
――このときのクエイドの勘はある意味間違っていない。