ep9
春は春らしい陽気だったが5月下旬からは猛暑が牙を剝いた。
酷暑と呼ばれた7月、8月を乗り越えて9月も終わりになったが秋の気配はいまだに来なかった。
サッカー部は夏の大会を終えてしまい三年生は自動的に引退していた。
陸上部は秋季地方大会を二週間後に控えており三年生はそれをもって引退の予定だった。
大学受験に余裕のない者はそれを待たずに自主退部していた。
秋季地方大会で1位になれば県大会出場資格を得られる。
青田高校陸上部の短距離部門からは県大会連続出場が途切れることが予想された。
後輩たちは陽子の戦歴に怖気づきモチベーションが上がらず伸び悩んでいた。
体格、筋力的にも陽子と同等と思われた後輩は居たが陽子と同等かそれ以上のタイムを出せずにいた。
GWの記録会でも陽子のタイムは横ばい、自己記録には及ばなかった。
他校の二年生選手は伸び代が大きく現在の陽子のタイムを上回りだしていた。
ことから今期の地区大会では僅差か借敗が見えていた。
陽子が実力以上を発揮できれば県大会に出場できるが今大会では全力すらも出さないつもりでいた。
これ以上に受験勉強を遅らせるわけにはいかなかったからだ。
進路指導時にはスポーツ推薦を勧められた。
私立大からはスポーツ特待生の話もきていた。
陽子はどちらも選択することはなく一般受験で国立大を目指していた。
週末、市立図書館の学習室。
麻相と陽子は横並びになって教科書とノートを広げていた。
麻相が数学と格闘する日々は今も続き、陽子のサポートが必要だった。
今日はまだ麻相から呼ばれていない。
こんな日があるのもいいことだとほころんだ顔で問題集を解いていた。
その二人の背後でひそひそ声が聞こえてきた。
静かな図書館、学習室では話す内容がまともに聞こえた。
麻相は振り向こうとした。
陽子は小声で制止した。
後ろに居るのが誰なのか陽子には察しがついていた。
二人が図書館デートをしているとの噂話は陽子の耳にも入ってきていた。
麻相もうすうす勘付いている。
後ろ指刺される環境では麻相は集中できず、陽子も気が気でない。
別の場所に移動できないかと陽子は思案していた。
もうすぐ3時になる。
陽子は塾に行くための準備を始めた。
同じ塾に通う友人と申し合せをして一緒に帰る。
電車の時刻までは駅前のコンビニで一息つくのが陽子たちのルーティーンだった。
それぞれが好みの飲み物を買って飲む。
今日の講義に関する話か雑談になるかはその日の気分次第。
校内で出来ない話もそこでなら気兼ねすることなく出来た。
話題が無ければスマホをチェックする。
「あっ!カクさん、やっぱ破局だって。」
「マジっ?」
「ユーリとは絶対に無理だって。」
「カクさん、前カノと完全に切れてなくて、だって。」
「ああ~あり得るわ。」
友人の一人がスマホで芸能ニュースをチェックしていた。
男性ボーカルと美人女優の顛末の話題で皆が盛り上がった。
バラエティ番組で共演したのがきっかけで真剣交際に発展、結婚秒読みとまでいわれていた。
ただ、ここに大人の事情が入り込んだ。
女優は仕事内容、処遇、対外的対応で非力な所属プロダクションに不満があった。
結婚を契機に男性ボーカルの所属事務所への移籍を考えていた。
看板女優の稼ぎに依存していた所属プロダクションは男性ボーカルのスキャンダルをでっちあげた。
双方のマネジメント会社と男と女優の活動にダメージの少ない方法で二人の関係を壊しにかかった。
結果的にそれは成功した。
来年度の仕事が入れられなかった女優が先月あたりからオファーOKとなった。
仕事をオファーする側から内々に調査が入り、今後の仕事に支障が出ないと確認するに至った。
口外無用として陽子は一カ月前に父親から聞かされていた。
芸能界に入るとおちおち恋愛もしていられないとゴールイン未達の二人に父親は同情していた。
知っている情報を披露できない歯がゆさ、間違った情報が流布されることのもどかしさを押し殺し、
陽子は芸能人の動向には興味がない振りをしていた。
「カクさん、友達大事にするからなあ。」
「そうそう。元カノとも連絡とってそう。困ったことがあったら、って。」
男性ボーカルのキャラクターが罪を軽くしたようだった。
話題が途切れると道を挟んだ歩道を友人の一人が指さした。
「あの子・・・」
その声に反応して4人とも視線を向けた。
ファーストフード店の前に女子が一人、傍らに男子が一人。
女子は小首をかしげ上目遣いで男子に寄ったり離れたりを繰り返す。
両手を広げてハグをリクエストする素振りを見せていた。
男子は女子の髪を触ったり肩に置いた手を背中に回して引き寄せたりしていた。
「バスケ部の一年の子。」
見ていた友人の一人が付け足した。
「怪しいよねえ。」
様子を見ていたもう一人が呟いた。
二人はいきなり近づくとやにわにキスをした。
眺めていた4人は言葉を失った。
その後も二人は軽く短くキスを繰り返した。
二人だけの世界に浸りきり親密さが伝わってきた。
「あれは・・・・イッてるよね。」
「うん、イッてる。」
呆れ切った声が小さくでた。
二人だけの世界が終わったのか、こちらの視線に気が付いたのか。
二人は手をつなぎ駅とは反対方向へ歩いていった。
4人はそれを見送ると内輪での話に戻った。
「男はうちの学校じゃないよね。」
「うん、見ない顔。」
「ここかな?池口って顔してるし。」
「そうかも。」
友人たちは想像をふくらませ、思いつくままを口にした。
陽子はその会話に乗り切れずただ聞いているだけだった。
あの二人の親密さを眺めていた陽子は胸が締め付けられる思いがした。
「陽子お、陽子はどうなの?」
「どうって、何が?」
趣旨不明の問いかけに陽子は聞き返した。
「麻相とはどうなの?」
それを聞いて陽子は心臓が止まったかのような感覚になった。
「あ、そ、う、君?」
答えに窮した。
「とぼけてもダメ。みんな知ってるよ。」
「今日も図書館デートしてきたんでしょう?」
「明日のご予定は?」
ついに来たかと陽子は諦めにも似た心境になった。
あの二人が親密さを見せつけたおかげで麻相とのことが話題に上がった。
「麻相には数学を教えてるだけよ。」
皆の期待する答えではないことは予想できた。
仮にそうであっても正直に答えることはない。
そもそもそんなことはあり得ないと陽子は思った。
「あいつさ、教えてやんないと留年してたよ。」
皆に合わせてぞんざいな口調になった。
そう言わないと必要以上に怪しまれると思ったからだ。
「日曜日は合わないの?」
「土曜日の一時間だけって約束。
日曜日は私の時間、私は私の勉強をしてます。」
陽子は微笑みながらもはっきりと言い切った。
三人はそれぞれに頷いた。
「そうだよね。陽子と麻生は合わないよね。」
一人が結論めいたことを言うと皆が相槌を打ち、その話はそこまでとなった。
飲み干した容器をゴミ箱に捨てると4人は駅の改札へ向かった。
胸の奥が締め付けられる感覚があるなかを陽子は二人が消えた方向を振り返った。
~私たち、二年半も経ってるんだよね~
夕方7時になりようやく秋らしい風が吹く中、寂しさと虚無感を感じていた。