ep65
弁護士と別れてからそこそこ急いでペダルを漕いでいた。
隣の学区に入ったと意識した時だった。
ーー麻相君、速く来てーー
陽子の危急を知り麻相はピッチを上げた。
陽子にとんでもない異変があったことが伝わってきていた。
ありったけの力を込めてペダルを漕いでいた。
人、建物が瞬く間に過ぎ去り、バイク並のスピードが出ていた。
力を使い空を飛ぶことも出来た。
テレポートすることも出来る。
もっと早くそこへ行くことが出来るのだが冷静さを欠いていた。
気が急いていた。
陽子に一大事が起きている。
そこへ急ぐことだけで麻相の思考は支配されていた。
陽子の気を辿って住宅街のど真ん中を突っ切って暴走しまくった。
白鷺公園の門柱が見えてきた。
街路灯の下、門柱の前で誰かが倒れている。
それを目にした途端、鈍い金属音とともにチェーンが切れた。
踏み込んだ足がスカをくらった。
足が空回りしバランスを崩して転倒した。
道路上を滑走し自転車は用水路へ転げ落ち、麻相は畑の電気柵に引っかかって止まった。
右足を打ち付け電気ショックを受けるも素早く立ち上がり痛みを無視して走り出した。
横たわるモノが人、陽子だと分かると麻相の焦りは増した。
激痛というほどでもないが右足の痛みから動きが鈍く思うように走れない。
ー動けよっ!脚っ!!ー
自分の右足に怒りを込めて鼓舞した。
陽子の周りには赤い液体が漂っている。
陽子の腹部も赤くなっている。
「あ、あ、あああ~」
乱れた呼吸音を響かせて陽子の傍らで急停止した。
「ああああああああ~」
半開きの眼、生気の無くなった顔、ブラウスの腹部から下半身は血で染まっていた。
大きく息を吸い込み呼吸を整えると麻相は膝まずいた。
「どう、どうして、だれ、こんな、いったい、どうして・・・・」
あまりの姿に麻相は混乱して言葉が出なかった。
ーー間に合ったあ、よかったあーー
陽子はゆっくりと瞬きをすると麻相に視線をむけた。
陽子は腕はおろか首すらも動かすことが出来なくなっていた。
「あ、ああ、ど、うすればいい?ヒ、ヒーリング!ヒーリング、どうするんだ?」
力による治療しかないと麻相は考えた。
しかし自分にそんな力が備わっているとは思えず、試したこともなかった。
ーー無理よ。もうね。とにかく救急車を呼んでーー
陽子に促されて麻相はスマホを取り出した。
割れたディスプレイをタッチし119番に繋いだ。
「あ、ああ、あああ、怪我?怪我、怪我だ、血!血が、お腹から血が!たくさん!」
息も切れ切れに麻相は電話の向こうに怒鳴りつけた。
膝まづいた麻相の脚元も血の海になっていた。
デニムパンツの膝からも冷たい感触だけが伝わってきてた。
電話口の向こうでは冷静になるよう言ってきたが到底無理な話しだった。
「ば、場所?ここは?え、えっと、し、しろ、白鷺公園、み、な、み、南口だあ!!」
電話口の向こうの了解したとの返事を聞くと麻相はスマホを放り出した。
「森本さん、救急車呼んだよお!もう大丈夫だあ!!」
陽子の肩を掴んで揺すった。
反応も鈍く虚ろな眼で虚空を見上げていた。
「誰がこんなことを!!あいつか?学生会のあいつか?」
ーー麻相君、キスしてーー
いきなりのリクエストに麻相は混乱した。
陽子が何が言いたいのか理解できず麻相の頭は真っ白になっていた。
「今そんなことしてる場合じゃない!」
陽子の怪我の手当てが先だと麻相は陽子のみぞおちに手を当てた。
生暖かさと冷たさが同居する部位を押さえつけた。
ーーいいから、キスして。早くしてーー
麻相は躊躇することなく首を横に振った。
陽子の眼は次第にうつろになっていった。
ーーいいからあ、早くしろーー
命令口調だったが言葉尻に力が無かった。
陽子の懇願を聞き入れ、腰を下ろし陽子の頭を少しだけ持ち上げた。
血まみれの手で触るのは気が引けたが鬼気迫る陽子の要求に押されどうでもよくなっていた。
前のめりになって陽子の顔を真正面に見据えた。
半開きの陽子の唇に麻相は唇を重ねた。
唇を重ねた時間が長いのか短いのか分からない。
陽子の唇が麻相の下唇を挟みこんでいた。
その時間は異様に長く感じた。
いきなりだった。
陽子の唇から、首からも力が抜けていった。
驚いた麻相は顔を上げた。
「えっ?おいっ、森本さん!もりもとさん!!」
陽子の頭を揺すったが反応は無かった。
「えっ?えっ?ええ!!」
麻相は思わず奇声を上げた。
息は止まっていた。
「うそだっ!」
悲嘆の声を上げ絶句した。
ーー大丈夫。私はここに居ますーー
陽子の声が聞こえてきた。
しかし陽子の顔も目も口も動かなかった。
麻相は耳を疑った。
ーー今は麻相君の中に居るよーー
間違いなく陽子の声が聞こえて来ていた。
情況も事情も分からず麻相は陽子の顔を凝視し続けていた。
「どうなってるんだ?」
混乱した麻相の脳裏では何かが変わっていた。
まるで曇り空がいきなり快晴になったかのような感覚だった。
ーー説明ならあとでいくらでもしてあげる。今はやる事をやっちゃおうーー
陽子が駅前からここへ到着するまで、到着してからの出来事が麻相の脳裏にビジョンとして再現された。
木村とのやり取りから周囲の状況までもが麻相の脳裏に展開してきた。
ある一点から異様な気が出ている。
露骨な嫌気を感じ取っていた。
麻相は静かに陽子の頭をおろすと公園中央のオブジェを見据えた。
目測で200mあまり。
ーーあそこへーー
地面を一蹴りすると麻相の体は瞬時にオブジェの前へ達した。
瞬きする間もないほどだった。
異形の石板が林立するオブジェを前にして麻相は仁王立ちになった。
「出てこい。」
そこに居る誰かに命令した。
先ほどまで狼狽していた麻相とは違っていた。
異様なほど心が静まり落ち着き払った麻相がそこに居た。
何かを引きずる音がした。
汚れまくったグレーのツナギ、その右足が大腿部から下が無くなっていた。
右腕上腕から先もない。
顔と思しき部分はあるが耳、頭部が変形したかのように無くなっていた。
グレーのツナギに付着した黒い染みは血が乾ききり変色した痕だった。
その物体が顔を上げた。
「高崎、だな。」
残った顔の造形から高崎だと分かったがもはや人間ではなかった。
変色した目は麻相を見据えておらず口はだらしなく開いていた。
異臭を放つその物体はオブジェを支えに立ちあがった。
その容姿は異様さが際立っていた。
「ここで待ち構えていたのか。」
麻相は静かに言い放つと高崎の思念が飛び込んで来た。
ーー陽子を惨殺する。暴走した麻相は精神崩壊、植物人間になるーー
ーー麻相の体を潰す。復活させないように。完全に抹殺するーー
その物体は言葉を発しなかったが陽子の力で感受していた。
麻相は高崎を注視した。
人と思えば不快感を覚え、吐き気を催すような容姿だった。
リアルなゾンビだがゲームで見るものと大差ない。
擬人化すればどうってことはないと麻相は意識を切り替えた。
白根町四丁目で消滅したと思われた高崎がこの場に居る。
「俺んちからどうやってここに来たんだ?」
あの状況からでは逃げる手立てはないはずだった。
ーー破壊波から間一髪で逃れられた。体の一部が破壊波に触れて無くなったーー
ーー跳躍サイコキネシスで飛び上がったがコントロールしきれずここに飛ばされたーー
高崎の思念はことごとく伝わってきていた。
それは陽子の力を借りたからこそできる事だった。
むしろ陽子は感受した思念をそのまま麻相が受け取っていたといってもいい。
ーー私の力、麻相君と供用してるからーー
その力の同居に麻相自信が戸惑いはあったが今は眼の前の敵に注意を払っていた。
高崎は滅波を逃れたとはいえこの4カ月余りを生き続けている。
それは奇跡というべきか執念というべきか。
生き物というよりは【モノノケ】に成り果てたと考えることもできる。
異様過ぎる高崎の姿を麻相は憐れみすら感じていた。
高崎は身体を支えていた左手を放すと片足で直立した。
片足でバランスをとっているのではない。
力で宙に浮いていた。
変色した目で麻相を睨みつけてきた。
麻相の頭が異様に熱くなっていた。
ーー来るよーー
陽子が囁いた。
高崎は不意に左手を麻相に突き出した。
その指先からの光が放たれた
光がようにいびつな経路をたどり麻相めがけて飛んできた。
いきなりの閃光に麻相は顔を腕で覆った。
熱としびれを感じた程度で苦痛を感じることはない。
腕に遮られた閃光は四方に飛散して虚空へ消えていった。
次第に光が鈍くなると消耗しきったかのように高崎は腕を降ろした。
「電撃か。濁雷というやつか。」
修験者が体内で作り出した電気エネルギーを一点から放出する技と書かれていたことを思いだした。。
天からの雷は清とし、人が作り出す雷は悪意の代償。
厳に慎むべき荒業と古文書に書かれてあった。
濁雷の防御方法は書いてはいなかった。
それでもこうして防御できている。
ーー空中放電は約50万ボルト、迂闊に触れたら感電死するから注意してーー
空気は絶縁体ではあるが高電圧になれば空中を{飛来}する。
それでも空気を操れる能力があるならば空気を高密度にでさえすればいい。
空気バリアーさえ作れれば防ぐことはできると麻相は実感していた。
高崎は沈黙したままかすかに頭を動かした。
「ん?」
無防備な姿勢になったことに麻相は疑念を抱いた。
何か仕掛けてくると麻相は気を張り詰めた。
その直後に背後から超速で石が飛んできた。
拳大の石が後頭部を目がけて飛んできてが砕けて落ちていく。
両側面から、頭頂部からも石が飛び込んできた。
あらゆる方向から前触れもなく飛び込んできた。
顔面、頭部の直前数センチのところで何かに衝突して砕け落ちていく。
石が砕け散る音だけが周囲に拡散していった。
麻相は力により守られ飛来する物を寄せ付けなかった。
ーー濁雷に体力を使い過ぎたかなーー
石を飛ばす程度の能力しか残っていない。
力が備わって日が浅いのだろうと麻相は勘ぐった。
この調子では傍らにあるオブジェの石板すら持ち出しかねないと陽子は危惧した。
ーー早くやっちゃおうよーー
救急車のサイレンが遠くから聞えてきた。
「なりふり構っていられない、か。」
長々と相手にしていられる状況ではなくなりつつあった。
麻相は両掌を向かい合わせにした。
「侠封静波!」
呪文と共に両掌の中で赤い球体を作り出し高崎へ向けて突きだした。
赤い球体は膨らみつつ高崎を包み込んだ。
球形結界を作り出したあの時の感覚をこの場で再現した。
高崎は異変に気が付き回りを見回した。
結界で動きを封じこめることはできても力までは抑え込められない。
高崎が戸惑っている間に決着を付けなければならない。
高崎も力を使えるならば麻相の反撃をかわし逃げることもできる。
ここで決着をつけるには高崎の結界に封じ込めて動きを止めるしかないと麻相は考えた。
高崎は戸惑いながらもどこか余裕のある表情だった。
上空は星が見え始めており雨雲はどこにもない。
田端が使った【怒雷】はこの天気では使えないとタカをくくっているようでもあった。
あの技は修行ありきで今の麻相では使えない。
それでもと麻相はほくそ笑んだ。
「森本さん、空気を圧縮するとどうなる?」
ーーボイル・シャルルの法則、発熱するーー
その問いかけは技の答えになっていた。
麻相は両掌を胸の前で近づけていった。
それに連動するように高崎を取り巻く結界も収縮していった。
高崎は驚き、左手と左足で結界を押し返そうともがいた。
「さらに圧縮して体積を極限まで小さくする、その際に気体の冷却は行わないものとする。」
ーーさらに発熱して、原子核の電離、プラズマ化、できるの?ーー
「今は二人分の力だよ。できないわけがない。」
麻相はさらに両掌を使づけて隙間を狭くしていった。
「侠波!侠殺!」
結界は小さくなるにつれて内部が発光しはじめた。
その光は高崎の体を焼き始めていた。
麻相の両掌が隙間なく合わせられた。
結界はさらに小さくなりながら激しく発光した。
最後には一点となり閃光を放つと跡形もなく消えていった。
断末魔の叫びも無く高崎は閃光と共にかき消されたのだった。
異形の石板が建ち並ぶオブジェと麻相だけが街路灯に照らし出されていた。
救急車のサイレンが次第に近づいてきていた。
遠く住宅街の壁に赤の点滅がこちらに向かって移動してきていた。
麻相は振り返り横たわる陽子を視界に捉えた。
麻相の喉元に何かがこみあげてきた。
ーーあそこへーー
オブジェの前から瞬時に陽子の元へ戻ってきた麻相はその場に膝まづいた。
街路灯に照らし出された陽子の顔を凝視した。
その死顔は幸せそうに微笑んでいた。
「ごめん・・・・・・ごめん・・・・・。」
その死顔に麻相は語り掛けた。
ーー謝らないで。私は麻相君の中に居る。こうして生きているーー
麻相の中へ移り住んだ陽子が優しく語り掛けた。
瀕死の体から抜け出した陽子の精神体は麻相の中へ棲みついたのだった。
そのことは麻相も分かってはいた。
それでもと麻相は思った。
その目で見ていてくれた、その口から励ましの言葉を掛けてくれた。
いつも凛とした姿勢を崩さず麻相の憧れの的であり続けた。
それが叶わないとの思いが麻相の心を支配していた。
「ごめええ~~ん。」
嗚咽から鳴き声に変わっていた。
この待ち合せ場所に強く反対しなかった自分を悔やんでも悔やみきれなかった。
あの時、強く反対していればこんなことにならなかったと麻相は自身を責めていた。
血の浸み込んだ地面に両手をついて項垂れていた。
救急車のライトがこぼれ落ちる涙を照らしていた。
ーー泣かないでーー
陽子の慰めも今の麻相には届かなかった。
駆けつけた救急隊員が問いかけても麻相には聞こえていなかった。
あの時、麻相が言いかけた希望を陽子は思いだした。
ーーこれからは、ずっと一緒だよーー
嗚咽を繰り返しながらも麻相は小さく頷いた。
気になる男の子ではなくなった。
これからは離れられない男の子になってしまった。
それは心の奥底にあった自分自身の希望だったのかもしれないと陽子は思った。
幸福そうな顔、その自分の亡骸に向かって陽子はそっと呟いた。
ーさようなら、わたしのからだー
 




