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ep61

陽子を悲しませた。

いたたまれなくなっていた。

バイトで一杯一杯の状態、精神的にきつかった。

逃げだしたい気持ちも強かった。

あの時は心も体も疲れ果てて喋るのも億劫になっていた。

そんな状態で陽子の相手をしても嫌味しかいえない、きつい口調になるだけ。

陽子を不愉快にさせるのが嫌で無言でいた。

それが逆に良くなかった。

陽子が馬乗りになってきた時はパニックになった。

自分を抑え込むことしかできず陽子の顔を見る事すらできずにいた。

あの場合、どうすればよかったのか答えが出せずにいた。

身じろぎせず首から下を脱力して時が過ぎることを祈っていた。

そのまま陽子が立ち去ってくれるのを待っていた。

なぜ陽子があんなことをしてきたのか理解できなかった。

自棄を起こしたとしても陽子らしくない。

それもこれも含めて話を聞いてくれる相手が欲しかった。

陽子ではない別の誰かに話したい気持ちが強くなっていた。

バイトを休むことを伝えるとその日の夜に出発した。

部屋のドアには{三日ほど留守にします}とだけ貼り紙をした。

裏路地から闇夜に紛れて空へ舞い上がった。

田端の気を探った。

テレパシストでもない麻相が他人の気を感知することは簡単ではない。

しかし一時期とはいえ間近で感じ続けた気は忘れる事は出来なかった。

その気を辿れば田端の元へたどり着けると確信していた。

いくつの県境を跨いだのかわからないくらいの速さが出ていた。

眼下を通り過ぎる街の灯、次に来る漆黒の空間、再び街の灯が眼下に現れる。

光の塊が眼下をすぎていく。

爽快ではあったがスピードが高すぎることに恐怖を覚えた。

暗闇のためスピードを感じにくいがこれが昼間であればさらに速く感じるはずと思った。

空気バリア―を張っているとはいえその中では生身の麻相だ。

生身でこんな速度を出してよいのかと疑心暗鬼になっていた。

中学の頃に仲間とニケツでバイクに乗った時の感覚と似ている。

転倒して放り出されたらただでは済まないと感じつつも悪ふざけしていた。

今は他人の運転ではなく自分自身の能力で飛行している。

あの時とはまるで違う、すべては自己責任の中に居ると麻相は気を引き締めた。

眼下を通過する光の塊が次第に乏しくなっていった。

漆黒の空間の中にまばらな灯がある。

そこからさらに隔絶されたような闇の中心から懐かしい気を強く感じた。

そこをめがけて一直線に降下していった。

一つの灯が次第に大きくなり暗がりの中の古民家が目に移った。

庭先に降りるなり玄関が開いた。

懐かしい笑顔、田端が出迎えてくれた。

いつもなら既に寝ているはずが麻相の接近を感じ取り田端は起きていてくれたのだった。

それだけでも麻相にはありがたかった。

いきなりの訪問にも拘らず田端は歓迎してくれた。

麻相に多くを尋ねることも無く夕食と風呂の心配をしてくれた。

夕食は済ませてきたと伝えると風呂を勧められた。

釜に薪をくべて沸かす{ゴエモン風呂}を麻相は物珍しそうに観察しつつ入浴した。

麻相の右腕に残る銃創痕を田端は痛々しく眺めていた。

風呂の後は早々に就寝した。

山奥ではやる事もなく、暗くなったら寝るだけと田端の行動に倣うことにしたためだった。

「眠れたかな。」

翌朝、田端が声を掛けてきた。

朝一の仕事を終えた田端は麦わら帽子を脱いで上がり框で胡坐をかいた。

昔ながらの日本間8畳の座敷では麻相が布団を広げるには広すぎた。

都会の8畳間よりも広い作りだったせいもある。

かつては冠婚葬祭の場でもあり仏間と繋げて一族が揃うためのしつらえだった。

田端もそれに倣い座敷は来客に備えて何も置かないようにしているという。

急な来客は麻相で二人目だと田端は言った

田端の親と麓の農家が偶に尋ねてくるだけで人の往来はほぼないようだった。

掛け時計を眺めると8時を回っていた。

バイトを始めてからは毎朝5時半に目が覚めるのが習慣化していた。

この時間まで布団の中に居るのも久しぶりだと麻相は思い返した。

薄味な味噌汁、たくあん、野菜の煮つけ一品の質素な朝食だった。

朝食をとりつつ麻相はこれまでのことを田端に話した。

父母の死と事後処理については田端はことさら悲痛な表情で聞いてくれた。

その際に父親の会社の清算書の精査と照合が終わっていないと告げた。

数字と数字の比較照合になるので眩暈を覚えると愚痴をこぼした。

「親の後始末は子供の仕事だよ。これはいいつの時代でも変わらない。」

田端にはたしなめられた。

「俺なんて爺さんの遺産を引き継いでいる。農家だからね、今も大変だよ。」

それに比べればと田端は付け加えた。

朝食を終えると田端は再び畑仕事に出ていった。

暇があれば畑に出ていると言っていた。

余計な事を話す暇がなく手持ち無沙汰な麻相は仏間に置かれた大学ノートを読み込んだ。

田端の師匠である住職が書き残した大学ノートは十数冊にも及ぶ。

文字と図柄が併記され古来からの知見を今に伝えようとする努力が垣間見えた。

前時代的な文章が並ぶため読み辛さはあったが麻相は暇に任せて読み込んだ。

超能力の種類としては念動テレキネシス精神感応テレパシー予知プレコグニッション、透視、遠聴がある。

そこから細分化して各々の能力の派生形態、応用にまで及んでいた。

ほんのさわりの部分にも拘らず麻相には初めて知る事ばかりだった。

それらの力を発揮するには精神の平穏性が求められるとも書いてあった。

起伏のある精神状態では力を持つ者として失格、麻相は自身の適格性を疑った。

暴走したあげく制御不能な力を発現してしまうと麻相は自身の及ばなさを痛感していた。

そんな麻相の心情を汲んで田端は座禅を組むことを勧めてきた。

無念無想が理想だがそうは簡単にいかない。

目を閉じればあらゆることが脳裏に浮かんでくるが、そのうちに整理されて{空}になる。

その時こそ自分自身と向き合う時間になると田端は言った。

畑仕事の合間を縫って田端も座禅に付き合ってくれた。

僅かな時間ではあるが心を無にすることに麻相は専念した。

以前の様なトレーニングはつけないと田端から言われていた。

自己研鑽で(テレキネシス)を使うならば自由、山奥だから誰にも見とがめられない。

ただし山麓が見渡せるエリアまでの飛行と高高度まで飛ぶのは禁止と言われた。

麓には民家があり住民もいるので目撃されるのを避けるためだと注意された。

飛行能力もテレキネシスも試すことはなく麻相は知識の吸収に努めた。

難解な文章に疲れると母屋の周りを探検して回った。

平屋だが六部屋あるので手狭な感じはしない、それでも外観は小さく見える。

猫の額ほどの畑が母屋の周りにあり、斜面にそって石垣が組まれ段々畑が点在する。

その周りは高木が乱立していた。

そのため周囲の見通しが悪く、空が覗けるだけだった。

想像以上の山間の僻地に田端の家が一軒だけ存在していた。

麓には民家が点在するがそれとて空き家が数件ある。

夜空から見下ろすと民家の数だけ灯が灯っているだけで黒一色の箇所は山か田畑だとという。

田端とは食事の前後に世間話をした。

田端は山奥暮らしの苦労を語って聞かせた。

野菜は自家菜園で採れるもので賄えるが米は買って来るという。

山間の傾斜地、段々の水田では水の管理が大変なので今年の稲作は諦めたと言っていた。

調味料、魚肉類は麓まで降りて買うが冷蔵庫がない事を考慮しなければならない。

そのため質素で粗末な食事だと田端は自嘲ぎみに言った。

お金が必要になったら麓の農家に頼んで農作物を市場に出してもらう。

それで電力、動力の費用を賄っていると清貧ぶりを麻相に聞かせた。

水は山の湧水で賄っている。

山中の水溜と水路の掃除が欠かせない、サボれば水が落ちてこず生活に困るだけという。

火力はが薪が主力、プロパンガスも使うが非常用だという。

電力、動力への依存を極力抑え出費を抑えた生活を心がけている。

こんな苦労話は街中で育った者とでしか共感してもらえないと田端は述懐した。

麓の農家との交流はあるがこの苦労話への共感は得られない。

彼等はこのような生活が当たり前になっているので都会生活とのギャップが理解できない。

さらには旧来通りのルールに縛られ新しいルールを拒否すれる面が多々ある。

旧来のルールがあればこそこの地で生き延びてこられたとの住民の自負はリスペクトしたい。

複雑な心境を田端は吐露した。

ただし、それでは都会からの移住者を呼び込めないと危惧した。

稀に移住してきても旧来通りのルールになじめず都会へ逃げ帰っていくだけだと。

住民はますます少なくなりいずれ限界集落になると田端は断言した。

この地域も移住者呼び込みに自治体が動いているが定着率ゼロ、田端が最初で最後かもと述懐した。

「田端さんは都会からの移住ですよね。」

この地に10年も住んでいる田端との違いを尋ねた。

「俺の場合は地縁と血縁があった。田端の家といえば山の中のここ。

麓の連中は爺さんを知っている。清一の孫だからと気を遣ってくれる。

御師さんが連中に口利きしてくれたのもあるけどね。」

縁があればこそ定住できたと田端は言った。

その御師さんが書き残した大学ノートは3冊目まで読み進んだが道半ばの感が強かった。

独特の言葉遣いから実態をイメージできない。

飛ばし読みしようにもそれが出来なかった。

系統的な記述であればいいがそうとばかりもいかない。

断片的な情報はかえって混乱するだけなので順番に読み込むしかないかった。

専門家が作った教科書ではないからそれは仕方がないと麻相は諦めていた。

力の応用編と思しき記述がそこかしこにあるためじっくり時間を掛けて読むしかなかった。

その御師さんが居たという山寺は住職の死後に麓に別院を建立し勧請(かんじょう)

御本尊が無くなった山中の本堂にまで足を延ばす檀家は居なくなってしまった。

それは本堂が荒れて朽ちるままになることを意味していた。

本堂、庫裏ともにこの数年で老朽化が進んでいる、いずれは倒壊する。

歴史を感じさせる本堂と庫裏は後世に残すべきだと田畑は残念がっていた。

山中の本堂へは時間が許すならば案内すると田端は言った。

しかし農繁期で田端は多忙、麻相の滞在時間も限られていたので次の機会となった。

滞在最後の日、三日目は明け方から降りしきる雨だった。

その為に田端は外での仕事ができず土間で苗代を作っていた。

その作業をしながらだったが麻相がここに来た本当の理由を尋ねた。

畑作業で忙しかっただけではなく麻相が落ち着くのを待っていてくれたようだった。

麻相はバイトでの苦労話を田端に打ち明けた。

色々な事情が絡んでいたとはいえ理不尽極まりないと怒りをにじませ窮状を訴えた。

田端はひたすら相槌を打ち、同調してくれた。

麻相を肯定するだけではなかった。

麻相は猪突猛進するタイプだから一歩引いて全体を冷ややかに見てはどうか。

今までとは逆の考え方を試すと面白い結果が出るかもしれないと提案してくれた。

相手と同じ目線で考えるから腹も立つ。

時には上から目線で相手を見てみることも必要だと田端は諭した。

相手が上から目線で畳みかけてくるならこちらはさらに上の目線で相手を見てみればいい。

それにより相手の愚かさから同情すらしたくなると田端は言い放った。

一杯一杯になる前に一歩引いてみることだと麻相は理解した。


田端は昨年12月、あの事件の背景を私見も交えて話してくれた。

麻相を含めた超能力者の抹殺が狙いだったはずだと。

古来からの言い伝えにあり、古文書、大学ノートにもその事が記してあると言及した。

この世には【絶対悪】が存在し、それに対抗する者たちもこの世界には居る。

特殊な能力を持つ者が【正義の行使者】として立ち向かえるのだと。

どちらかが全滅するまで対決は続くと田端は言及した。

ここでも田端は言葉を濁した。

あの事件は意図されたもので麻相の抹殺だけを狙ったとは言えなかった。

麻相一人を狙ったにしては周囲の被害が甚大である。

麻相の今の精神状態ではそれに耐えられそうにないと田端は気を遣ったからだ。

超能力者は狙われる存在だと注意を促す事しかできなかった。


夕食時、田端はあることをやたらと気にした。

それは麻相と陽子の関係だった。

麻相はここまでの経緯を話した。

他の誰に話すことも無かった事をすべて曝け出した。

それを聞いて田端は驚いていた。

「それは、もうね、エッチしてもいいって、サイン出してるも同然じゃないの。」

それを聞かされて麻相は驚くと同時に途惑ってもいた。

「それで無視されたら女の子は怒るよ。」

そうは言われてもと麻相は思った。

「俺の様な低次元な人間が国立大に通う女性とエッチしていいわけないです。

そのうちに森本さんには相応しい男が現れるはずです。

しこりを残してはダメ、後腐れは無いほうがお互いの為でしょ。」

麻相は素直に心の内を吐露した。

「このことは森本さんにも話していないし、テレパシーで読み取られてもいないはずです。」

麻相の本心を陽子は知らないと付け足した。

田端はしばらく考え込んだ。

「今のその気持ち、森本さんに言ってみたらどう?思いっきり否定すると思うよ。」

身体と身体が触れ合うことすら躊躇してしまう二人の関係をどのように取り持つか田端は考えていた。

麻相の奥手振りに呆れてもいたが、それは陽子の(テレパシー)が影響しているように思えた。

身体が触れ合うことを麻相が無意識のうちに嫌っているとも思えた。

身体が直に触れ合えば境界がなくなり心の奥底のすべてを相手に曝け出すことになる。

麻相には心の奥底に隠しておきたい何かがあると思えてならなかった。

「信用金庫の会議室、麻相君を心配してテレポートしてきてくれた。

こんなことあると思う?説明はいらないと思うけどなあ。

肉体関係を持つ持たない以前に次元を超えた関係だよ。

傍から見ていると相思相愛、この関係は簡単には切れないでしょ。」

それまで真顔で聞いていてくれた田端は笑みを浮かべた。

「聞いてみたら?自分のことどう思ってるの?でもいい。エッチする?でもいいじゃないの。」

いくら何でもと麻相は思った。

「言うのが恥ずかしかったらさ、旅行に誘うとかは?」

「旅行?ですか?」

「夏休み、大学一年なら旅行の計画を立てるよ。あ、今の大学生は違うかな。

それでもダメ元で誘ってみたらどう?それで断られたら麻相君の考える通りにすればいい。」

悪の誘いをする大人だと麻相は思った。

「当然だけど、お泊り。浦安のネズミさんパークは定番でしょ?」

それを聞いた麻相は嫌悪感を抱いた。

あの時の出来事は未だに心の奥でくずぶっていた。

そんな麻相の表情を気にもかけずに田端は続けた。

「森本さんは芯の強い女性だよ。麻相君に寄り添ってもくれてる。

そんな女性の気持ちを踏みにじるなんて俺だったらできないね。」

その言い分では自分が罪を犯したようだと麻相は憤慨した。

陽子とまともに向き合わなかった為に悲しませたことは間違いなかった。

「一歩だけ踏み出してみたらどう?新しい世界が広がるかもよ。」

田端は愉快そうに夕食を平らげた。

麻相は食事代をいくらか払うと田端に申し出た。

貧農ぶりを聞かされたからにはタダメシをむさぼるわけにはいかなかった。

田端はそれを拒否した。

わざわざ会いに来てくれたこと、心底困って頼ってくれたことが嬉しかったと言った。

それで十分にお代に見合うとして受け取らなかった。

麻相は隙を見てタンスの引き出しに千円札三枚を差し込んだ。

そして田端に礼を言うと闇夜に向かって飛び立った。

再会を約束したのは言うまでも無い。


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